錆びたタンクの鼓動
「いいか。無駄口を叩かず、そこに頭を押し当てろ」
荒木が指し示したのは、緑地公園の裏手にそびえ立つ、巨大なコンクリートの塊だった。
それは地中に半ば埋もれた円柱状の構造物で、表面には黒ずんだ雨だれと、血管のように這う無数のクラック(ひび割れ)が浮き出ている。
市役所のデータベースでは「廃止済みの旧調整池」とされているはずの場所だった。
「頭を、ですか?」
「早くしろ。耳じゃねえ。額を、骨を直接くっつけるんだ」
佐登は困惑しながらも、言われるがままに歩み寄った。
コンクリートの肌に触れた瞬間、ゾクリとするような冷気がこめかみの傷口を刺した。雨水を含んだ生コンクリートの、ひやりとした、そして無機質な質量。
額を押し当てる。
「っ……!」
その瞬間、頭蓋骨を直接ハンマーで叩かれたような衝撃が走った。
——ズズズ、ズズズズズズズ……。
それは、音ではなかった。
コンクリートの厚い壁を通して、佐登の頭骨、そして脳へと直接伝わってくる、地鳴りのような猛烈な「微振動」。
壁の向こう側で、膨大な量の液体がのたうち回り、コンクリートを削りながら激しく渦巻いている。その物理的なエネルギーの質量が、振動となって佐登の全身を激しく揺さぶった。
「なんだ、この……この揺れは……!」
「雨水と、化学排水と、上流から流れてきた泥水だ」
荒木はタンクの壁にぽつりと手を置き、煤けた瞳でそれを見つめていた。
「この調整タンクは、三十年前に耐用年数を過ぎている。だがな、上流のスマート開発区が降らせた雨は、すべてこのドブ底の旧管を通ってここに流れ込む仕様になってるんだ」
「そんな……データ上は、バイパス管が稼働しているはずです!」
「データ、データ、うるせえな」
荒木は吐き捨てるように鼻で笑った。
「お前らが画面の上でクリック一つで『流路変更』したバイパス管はな、五年前に予算が削られて工事が凍結された。だが、お前たちの上司は、システム上の計画書だけを『完成』に書き換えたんだ。市民を安心させ、予算を中抜きするためにな」
佐登の脳裏に、午前中の会議室で優雅に三次元グラフを操作していた和久井課長の姿が蘇った。
——「市民に余計な不安を与えることこそ、最大の怠慢だよ」
あの完璧なソプラノボイスの裏で、和久井が非表示にした赤い警告は、このタンクの壁の向こうで本物の濁流となって暴れていたのだ。
「俺は昔、土木技師だった」
荒木が、泥のついた手で自身の皺だらけの顔をこすった。
「古谷の奴と一緒に、この地下水道のコンクリートを流し込んだ。あの頃は、コンクリートの厚みこそが、人々の命を守る盾だった。一ミリでも厚く、一分でも強固に。それが俺たちの誇りだった」
荒木の言葉に、錆びた鉄のような重みが混ざる。
「だが、お前たちの世代はどうだ。コンクリートを補修する予算を削り、その代わりに、網膜を覆い隠すための『目隠しパッチ』をせっせと開発した。物理的な破壊から目を背けさせるためのシステムだ。昔はコンクリートで命を守った。だが、今はお前たちが嘘の重ね塗りで、上の奴らの地位と予算を守っている」
冷たい雨が、佐登の顔を伝って泥水の中に落ちる。
荒木が静かに佐登を見下ろした。その瞳には、深い諦念と、冷徹な真実が宿っていた。
「お前たちは、ただの『使い捨ての盾』なんだよ。上の連中が残した、インフラの維持限界という莫大な負債。それを隠蔽し、いつかこの街が物理的に崩壊するその日まで、矢面に立たされて感覚を麻痺させられている、ただの生贄だ」
佐登は何も言えなかった。
額を押し当てたコンクリートの向こうから、なおも激しい濁流の「鼓動」が、彼の脳波を暴力的に揺らし続けていた。
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