緑地公園の幽霊
「おい、遅れるな。足元を見て歩け」
荒木は振り返りもせず、泥濘をぐいぐいと進んでいく。
佐登は泥をまとった右こめかみの鈍痛に耐えながら、必死にその後を追った。長靴が泥を吸い上げるねっとりとした音が、雨音に混じって不気味に響く。
歩き始めて数分。佐登の記憶にある「都市地図」が、脳内で警告を鳴らし始めた。
(……ここは、市役所が三期計画で整備した『市民緑地公園』のはずだ)
総面積三ヘクタール。最新のスマートゴミ箱を配備し、自動灌水システムによって年中美しい常緑芝が保たれている、市民の憩いの場。
だが、佐登の視界に広がっているのは、芝生どころか、うず高く積まれたプラスチックと廃金属の山だった。
「なんだ、ここは……」
思わず声が漏れた。
広場のあちこちで、壊れたドラム缶が赤い火を噴き上げている。雨に濡れた未分化のプラスチックやタイヤが燻り、肺を刺すような黒煙が立ち上っていた。
火の周囲には、煤を浴びた毛布を肩に羽織った人々が数人、身を寄せ合うようにして座り込んでいる。彼らは虚ろな瞳で、闖入者である佐登をじっと見つめていた。その視線には、怒りも歓迎もなく、ただ冷酷な「無視」だけがあった。
ドサリ、と近くで重い音がした。
自動で分別・破砕を行うはずの「スマートゴミ箱」の残骸だった。上部のソーラーパネルは叩き割られ、内蔵されたマザーボードは剥き出しになって錆びている。今やそれは、ただの手作業で堆積されたゴミの山の、無残な土台に成り下がっていた。
その時、佐登の右こめかみで、チリ……と小さな放電音が響いた。
『——システム……再接続を試みて……い……ま……』
ノイズ混じりのシステム音声。泥の冷却が効いたのか、デバイスが不完全に再起動を始めたのだ。
網膜の端に、歪んだ青いウィンドウがポップアップする。
『周辺エリア:中央緑地公園』
『空気品質インデックス:AQI 12(極めて良好。深呼吸を推奨します)』
「ゴホッ、ゲホッ……!」
佐登はたまらず激しく咽せ返った。
喉を焼くような塩化ビニルの燃焼臭、そして重金属の混ざった排気ガスの煙。肺が物理的な毒を拒絶して悲鳴を上げているのに、システムは「極めて良好」という冷徹なデータを脳に送り続けてくる。
「ハァ、ハァ……嘘、だ。データが、狂ってる……」
「狂っちゃいねえよ。それがお前らの『仕様』だろ」
荒木が立ち止まり、錆びついたドラム缶を足蹴にした。
「センサーの周りにだけ都合のいい消臭パッチを貼って、吸気口を塞ぐ。データ上はいつでも楽園さ。このドブ底の煙が本庁舎まで届かねえように、お前らが毎日せっせとフィルタを書き換えてるんだからな」
佐登は反論できなかった。
午前中、自分が古谷に言われるがまま、有毒ガスセンサーのログを青い「正常」パッチで塗り潰したことを思い出したのだ。あの「正常」の裏で、このような煙が現実を侵食していた。
ふと、頭上に奇妙な影が見えた。
古いコンクリート製の電柱が、今にも倒れそうな角度で斜めに傾ぎ、引きちぎれた無数の電線が黒い蜘蛛の糸のように垂れ下がっている。雨水を滴らせるその鋼芯は、今にも強風でへし折れそうだった。
チリ、チリ、と佐登の網膜がストロボのように明滅する。
デバイスは、その危険な電柱を「視覚的バグ」と判定した。
必死のレンダリングが始まる。傾いた電柱の上に、一瞬だけ、美しく整えられた「ハナミズキの街路樹」の緑鮮やかなホログラムが重なった。
電柱が街路樹になり、千切れた電線が美しい藤の蔓に化ける。
だが、すぐに処理限界を超えてパッチが剥がれ落ち、ふたたび赤錆びた電柱が露出する。その高速の明滅のたびに、佐登の脳波は激しくシェイクされ、強烈な吐き気が込み上げた。
「インフラが、窒息してやがるんだ」
荒木は傾いた電柱を見上げ、吐き捨てるように言った。
「皮を一枚剥げば、この街はとっくに死んでる。お前らの目隠しパッチの重みに耐えかねてな」
佐登は両手で頭を抱え、泥の上に膝をついた。
視界の中で、美化された偽りの自然と、煙にまみれたゴミの山が、激しく衝突を繰り返していた。
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