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摩耗の閾値  作者: 端野ゼロ


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3/6

フレームドロップ

午後二時。


本庁舎の最上階に近い、立ち入り制限区域のキャットウォーク。



佐登は、頭上をのたうつ巨大なガス配管ダクトの直下に立っていた。


古谷から押し付けられた「有毒ガス検知センサー」のログ修正と、それに伴う美化パッチの書き換え作業。本来なら専門の技術者が物理的に点検すべき領域だが、今の市役所では、こうして若手職員が端末を叩き、視覚情報を上書きするだけで「正常化」とされる。



「……よし、これでパッチの重ね塗りは完了だ」



佐登が虚空で指先をスライドさせると、視界に浮かぶ配管は、見る見るうちに「最新鋭のクロームメッキが施された輝くパイプ」へと塗り替えられていった。


V-Assistが提供する完璧な美観。ここには埃ひとつ、錆ひとつ存在しない。



だが、その安堵も束の間。


佐登の右のこめかみに、じわじわと不快な熱がこもり始めた。



(あついな……)



BMIデバイスの接続端子が、皮膚の内側から脈打つように熱を帯びている。


複数の美化パッチを同時に稼働させ、さらに高所の三次元空間レンダリングを行っているせいか。デバイスが過熱している。脳の髄に、微弱な電気信号がチリチリと刺さるような痛みが走った。



その瞬間、世界が「カクついた」。



一秒間に数十フレームで滑らかに描画されていたはずの視界が、突如として激しくコマ送りになる。


腕を動かすと、遅れて何重もの残像が虚空に取り残された。



「……っ、フレームドロップか?」



佐登はキャットウォークの手すりに手を伸ばしたが、距離感が掴めない。


視覚情報と実際の肉体の座標がズレている。脳が激しい眩暈を起こし、内臓がせり上がるような吐き気が込み上げた。



そして、決定的なエラーが起きた。



——パチ、と。


網膜の裏で、何かが爆ぜるような電子音が響く。


次の瞬間、目の前の「輝くクロームメッキの配管」の表面が、まるで熱で融けたプラスチックのように、ベロリと剥がれ落ちた。



「な、んだ、これ……」



パッチの剥げ落ちた隙間から露出したのは、目を疑うようなグロテスクな質量だった。



それは、全体が赤黒い錆に覆われ、内側からの圧力で不恰好に膨張した、巨大な「鉄の蛇」だった。


結合部のボルトは半分以上が腐食して脱落し、残ったナットも錆の塊と同化して辛うじて形を保っているに過ぎない。配管の歪んだ継ぎ目からは、正体不明の濁った液滴が、ぽつり、ぽつりと不吉な音を立てて滴り落ちていた。



これこそが、V-Assistが覆い隠していた「本物の質量」だった。



デバイスは必死にバグを修正しようと、激しいストロボのような点滅を繰り返している。


錆びた鉄の蛇の上に、一瞬だけ美しいクロームメッキの幻影が重なり、また次の瞬間に剥ぎ取られる。その明滅のたびに、佐登の脳波は異常な警告を発した。



——キィィィィィィィィン。



いつもの、耳の奥を引っ掻く高周波の耳鳴り。


しかし、その耳鳴りを遮るように、足元から全く異なる「音」が立ち上ってきた。



——ギギ、ギギギ、ギギギギギギギ……。



低く、重く、骨の髄に直接伝わる物理的な地鳴り。


それはシステムのエラー音などではない。


頭上の配管ダクト、そして自分を支えている鉄製のキャットウォークそのものが、限界を超えた重量と歪みに耐えかねて、本物の「悲鳴」を上げているのだ。



足の裏から伝わる微細な振動が、佐登の背筋を凍らせた。



「う、あ……」



逃げなければならない。


直感がそう叫んでいるのに、足が竦んで一歩も動けない。


もしこの鉄骨がへし折れたら、自分はパッチで美化されたこの偽りのビルごと、物理的な重力によって真っ逆さまに叩きつけられる。



美しく加工されたデジタルの光のすぐ裏側で、この巨大なインフラは、すでに崩壊へのカウントダウンを始めている。



佐登はただ、頭上で不気味に蠢く「赤錆びた鉄の蛇」を見上げたまま、高所の暗がりのなかで息を詰めることしかできなかった。

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