第六話 思い出した
目が覚めた瞬間、遠くで何かがパチ、と鳴った。
天井が、ゆっくりと光っている。
壁の線が、朝にあわせてふわっと明るくなる。
「……おはよう……」
自分の口から出た声を聞いた瞬間、胸がひやりとした。
(……日本語?)
当たり前みたいに喋ってる。
今さらだけど、これ、日本語だ。……俺、そんな器用だったっけ?
(なんで、周りも日本語なんだ?)
(……ここ、地球じゃないんだよな?)
一周回って笑えてきた。
「アオ、起きるニャ!」
枕元で、ミケが尻尾をぶん、と振る。
小さな前足で、ぺしぺしとほっぺたを叩いてくる。
「……おはよう、ミケ」
「今日もいい朝ニャ!」
ミケは、家族だ。
気づいたらいつもそばにいて、勝手に膝に乗ってきて、
気づいたら枕を占領してる、うちのネコ。
──の、はずなんだけど。
(いや待て。
家のネコが、普通に日本語でしゃべってる状況って、冷静に考えてどうなんだ)
昨日までは気にしてなかった。
でも今はっきり分かる。
(これ、言語の問題じゃなくて、世界のほうがおかしい)
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
(……思い出した)
映像が、ノイズ混じりに脳内をかけ抜ける。
灼けるような熱。
押し寄せる人の波。
照明に照らされたスタジアム。
スコアボードがひっくり返る歓声。
マイク。
カメラ。
インタビュアーの顔。
高く上がった数字。
そして、そのあとに来た、真っ白な光。
(あれは──最後の日だ)
名前が浮かぶ。
高橋碧。
ここでの、ぼくの名前。
でも、それだけじゃない。
もうひとつ、舌の先にひっかかっていた名前が、やっと形になった。
(カイル……)
頭の中で、もう一度、ちゃんと名乗る。
(カイル・マクラウド)
そうだ。
俺は、地球で生まれた。
訓練を受けて、任務に出て、裏切られて──
(……死んだ)
胸の奥がじん、と痛くなる。
あの夢の声が、まるで今ここで囁いたみたいに蘇る。
『世界を救え』
(これ、本気で“異世界転生”ってやつ?
日本のラノベとか、なろうでよくあるやつだよな)
そこまで思ったところで、頭の中で何かがカチンとつながった。
世界樹みたいな巨大な木の中に広がる街。
エルフの両親。
しゃべるネコ。
神獣。
魔道具。
魔獣だらけの森。
(……なあこれ、テンプレ盛り過ぎじゃない?)
ひとつずつ、頭の中で並べてみる。
世界樹の中に広がるダンジョンみたいな街。
→ テンプレ①:神域スタート
(普通はさ、田舎の村とかから始まるもんじゃないの?)
エルフの両親。
→ テンプレ②:親が最初から美形
(顔面偏差値どこで配られてんだ、ほんとに)
しゃべるミケ(家のネコ)。
→ テンプレ③:日常に“異常”が溶け込んでるやつ
(家族枠が普通に日本語で話す時点で、すでに世界設定おかしい)
神獣グリフォン。
→ テンプレ④:序盤からSランク保護者
(初期装備が強すぎるんだよ。ゲームバランス考えてくれ)
魔道具で生活。
→ テンプレ⑤:インフラが謎技術
(光ってる壁と浮く皿、全部タダ働きってどういう仕組み?)
森に魔獣がうじゃうじゃ。
→ テンプレ⑥:討伐クエスト不可避
(絶対どこかに冒険者ギルドあるよな、これ)
(これどう見ても、“日本のなろう文化”で見たことあるやつだよな……)
諜報の仕事で、海外にも日本にも行った。
空き時間に読んだラノベやWeb小説。アニメ。
「異世界転生」という単語。
それが今、全部つながって見える。
(でも──ひとつだけ違う)
ここは「読み物」じゃない。
今、俺は実際に腹が減るし、怖いと震えるし、
サラが泣いたら、一緒に胸が苦しくなる。
テンプレの形をしているのに、手触りは生々しい。
それがいちばん怖い。
「アオ〜、起きてる?」
扉の向こうから、サラの声がした。
やわらかくて、ちょっとだけ甘えた感じの声。
「……うん、起きてる」
「早く来ないと、ミケにおかゆ取られるよ〜」
「取らないニャ! ちょっと味見するだけニャ!」
ミケが胸の上に乗ってきて、前足で服をつかんだ。
体を引き寄せるようにして首にあごを乗せてくる。
(……これが、ぼくの日常なんだよな)
思い出してしまったからこそ分かる。
地球での記憶も、アークヴェリアでの記憶も、
どちらも「夢」じゃない。
どちらも、ちゃんと俺の「人生」だ。
(カイル・マクラウドとしての俺)
(高橋碧としてのぼく)
二つの名前が、胸の真ん中でぶつかって、
でも、不思議とどちらも拒否できない。
サラの笑い声を覚えている。
お父さんが頭をなでてくれた手の重さも、
お母さんの作るおかゆの味も、
隼丸の、大きな影がすぐそばにある安心感も。
それら全部を「捨ててまで」世界を救いたいわけじゃない。
(……でも、ゆっくり壊れていく音が、どこかでしてる)
(そして……世界を救えって言われたんだよな)
夢の中の声は、確かにそう言った。
あれはきっと、この世界の外側か、もっと上のどこかからの声だ。
カイルだった頃の“仕事”なら、
世界の裏側を覗くことも、汚れた場所を歩くこともできた。
でも、今の俺は──
魔法ひとつ使えない、ただの五歳児だ。
神域ベイラのことも、
世界樹の構造も、
カルドラインの本当の意味も、
まだほとんど知らない。
(そんな状態で、「世界を救え」って。
要求スペック高すぎない?)
思わず、ふっと笑ってしまった。
「アオ? どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
扉の向こうで、サラが小さく笑う気配がした。
その音だけで、胸の奥が少しあたたかくなる。
(サラは、ぼくのお姉ちゃんだ)
それでいい。
それ以上でも、それ以下でもない。
ミケは家のネコで、家族の一人だ。
隼丸は心強すぎる守り手で、
両親は……今までずっと、ぼくを守ってくれた大人たちだ。
どれも、カイルの人生にはなかったものだ。
だからこそ、簡単に手放したくはない。
でも──
思い出してしまったからには、もう知らないふりはできない。
この世界が、なろう文化みたいなテンプレで出来ているなら。
テンプレの裏側には、たいてい「ろくでもない真実」が隠れていることも、知っている。
(だったらいつか、そこまで行って、全部この目で見るしかないよな)
胸の奥で、小さな火がふっと明るくなる。
怖さと、わくわくと、少しの諦めと。
ぜんぶまとめて、今の「俺」だ。
ただ一つだけ、まだ分からないことがある。
(どうやって……世界を救えばいい?)
答えは出ない。
でも、走り出す準備だけはできている。
この世界で、“俺”が始まる。




