第五話 外の世界の名前
テーブルの上に浮かぶ光の輪は、ゆらゆらと形を変えながら、家の空気を少し澄んだように見せていた。
普段のベイラの家は静かだけど、今日はその静けさがどこか特別に感じられた。
サラはいつものようにそわそわしていて、ミケは珍しくしっぽを巻いている。
お母さんはぼくの肩にそっと手を置き、やさしく押してくれた。
「アオ。今日は、ちゃんと世界の話をしよう」
サラがこくりと頷く。
ミケはなぜか背筋をぴんと伸ばした。
「ミケ、緊張してるの?」
「話が長そうニャ……おやつ持ってきてもいいニャ?」
「持ってくる前提なの?」
お父さんが光の輪に触れると、光はふっと緑色に変わった。
風が吹くような気配がして、景色が広がっていく。
「まずは──ここ、ベイラだ」
輪の中に映るのは、いつもの森。
けれど光に照らされると、まるで知らない場所みたいに静かで深かった。
「ベイラは神さまが残した“巡り”が続く土地だ。森も水も空気も、その巡りに守られている。
アオたちが暮らしているのは、この大きな神域の“外側”に近いところなんだ」
サラが首をかしげる。
「外側? じゃあ奥はどうなってるの?」
お父さんは少し笑って言った。
「神域の中心は、昔から誰も触れてこなかった“聖域”だ。
英雄たちが過ごした跡や、神さまの痕跡が残っていると言われている。
だから人が住む場所は外側だけなんだ」
「へぇ……聖域……」
ミケもこくこく頷く。
「深層は昔から、誰も入らない場所ニャ」
輪の景色がふっと揺れ、光が変わった。
「次は──シェイラだ」
ぼくが倒れた広場。
丸く続く道。
天井みたいな光の空。
シェイラが輪の中に浮かんでいる。
「シェイラは、神さまの巡りが色濃く残る街だ。
灯りも水も風も、理由が分からなくても自然に動く。
大樹の内側に築かれた街だから、街そのものが“生きている”ように感じるんだ。
外の人から見れば“理解できない場所”に見えるだろうね。」
サラが口をとがらせた。
「だから“魔界”って言われるんでしょ? 失礼だよね!」
「まあ、外の人には暮らしにくい場所なんだ」
お父さんは苦笑した。
「空気の重さも違うし、体の感覚も変わる。知らなければ、こわい場所だと思うだろう」
お母さんがぼくの手をぎゅっと握った。
「アオ。私たちはアークヴェリア人。どんなふうに見られようと、この地の民よ」
そして輪が、最後の景色を映し出した。
「ここが──外の世界、レイランだ」
畑、街の灯り、広い空。
ぼくは知らない景色なのに、少し胸がざわついた。
「アークヴェリア人は魔法を使えない。
だがレイランの人たちは、空気の中の“魔力のもと”──カルドラインを操る文化を持つ。
外はベイラともシェイラとも、まったく違う世界なんだ」
サラが身を乗り出す。
「外の空気ってそんなに違うの?」
「ぜんぜん違う。風の流れも、空気の軽さも、体の感覚も変わる。
アオたちは初めて行ったらきっと驚くだろう」
胸が少し熱くなる。
怖い。でもどこかで、行ってみたい気持ちがあった。
そのとき、窓の外で風が揺れた。
隼丸がテラスからのぞき込み、金色の瞳が静かに光る。
お父さんが小さく息を吸った。
「……ひとつだけ覚えておけ、アオ。
神域では、誰も“力”を通せない。例外を除いてな」
「例外……?」
隼丸の瞳が、ぼくの奥を見つめた気がした。
けれど彼は何も言わなかった。
言ってはいけないことを、飲み込んだように。
お父さんは光の輪を三つ並べた。
「ベイラ。シェイラ。そしてレイラン。
形は違っても、全部つながっている。
アークヴェリアは昔から世界を支えてきた民だ」
深呼吸すると、胸の奥がふっと温かくなった。
──この日、ぼくの世界はひとまわり広くなった。
森の奥も、外の街も、まだ知らないままだけど。
それでも胸の奥で、小さな光が揺れた。
「今日は、ここまでにしよう」
お父さんがそう言って、光の輪をそっと消した。
「一度に全部は話せない。続きを知りたくなったら、また聞きに来なさい」
その声に、胸の奥が静かに落ち着いていく。
(……もう少しだ。
名前……誰かの名前が……)
その感覚だけを胸に残したまま、
ぼくはその夜を迎えた。




