第四話 世界の話
広場の騒ぎから、二日がたった。
あの日、お父さんの腕の中で運ばれて、
ぼくはそのまま家に戻った。
一度だけ目を覚ましたけれど、
またすぐに眠ってしまって──
気づけば二日が過ぎていた。
今日は、ちゃんと起きていられる日だ。
壁はいつものようにやわらかく光り、
窓の向こうには深い森と白い山。
神域ベイラ──ぼくたち家族の家。
……なのに胸の奥はまだざわざわしていた。
広場で泣いていた男の声が、何度もよみがえる。
「守ってくれるって信じてたのに」
胸の真ん中に、ひりつくように残っていた。
(……ぼく、変だったよな)
怖かっただけじゃない。
あのとき胸の奥が焼けるみたいで、
どうしたらいいのか分からなかった。
そんなことを考えていると――
「アオ、入るよー!」
ノックより先に扉が開く。やっぱりサラだ。
「う、うん」
「起きてる! よかったぁ……!」
サラが走ってきて、ベッドの横にどすんと腰を下ろす。
肩の上からミケがひょいっと顔を出した。
「アオ、二日も寝てたニャ!
ミケ、おやつが足りなくなるかと心配で泣いたニャ!」
「心配の理由そこ?」
思わず笑ってしまう。
さっきまで重かった胸が、少しだけ軽くなる。
「ミケだけじゃないんだから!」
サラがむっとする。
「わたしなんて三回泣いたんだから!」
「三回で済んだんだ」
「もっと泣けばよかったってこと!?」
「……ごめん。心配かけた」
そう言うと、サラはむっとした顔で言った。
「“ごめん”じゃなくて、“ありがとう”が先!」
「え?」
「心配してくれて、ありがとう。でしょ?」
「そうね」
お母さんが笑ってうなずく。
「……ありがとう」
言い直すと、サラは胸を張った。
「よろしい!」
「サラ、とってもいい子ニャ……」
ミケが変に感心する。
居間に移動すると、
壁の透明な部分からベイラの森が見えた。
ぼくとサラが生まれた場所。
──神さまが残した庭。
──アークヴェリア人のふるさと。
──昔、“世界を助けた”英雄たちが出ていった場所。
(……ほんとに? いったいここはどこなんだ)
胸のざわざわが、その言葉をつつく。
ちょうどそのとき、
木々の向こうを大きな影がゆっくり横切った。
「……隼丸?」
「アオ。もう歩けるか」
テラスから、グリフォンの隼丸が顔をのぞかせていた。
「隼丸も心配してたのよ」
お母さんが言う。
「家の上をぐるぐる飛んでたんだから」
「空の見回りのついでだ」
隼丸はそっけなく言ったけれど、
しっぽが小さく揺れている。
「サラ、お父さん呼んできて」
「はーい! お父さーん!」
足音が近づき、お父さんが入ってきた。
「アオ。具合はどうだ」
「……だいじょうぶ」
「そうか」
けれどその目は、
二日前にぼくを抱えて走ったときのまま、
まだ少しだけ心配の色を残していた。
みんなが席につくと、お母さんが言った。
「お父さん。ちゃんと話してあげて。あの日のことも」
お父さんはうなずき、ゆっくり息を吐いた。
「まずは……アオに謝らなきゃな。
あんな怒鳴り声を正面で聞かせてしまって、すまなかった」
「お父さんのせいじゃないよ。
あの人、悲しそうだった。
どこにぶつけていいか分からなかったんだと思う」
お母さんがぼくの背をさすった。
「アオは、人の気持ちをそのまま受け取っちゃう子なのよ。
あんな状況じゃ、倒れるのも無理ないわ」
「怖かったか?」
お父さんの声は、普段よりずっと静かだった。
「……なんでかわからないけど、ぼくのせいって言われてる気がした」
「アオは悪くない!」
サラが机をばん、と叩く。
ミケも尻尾をぶんぶん振る。
「そうニャそうニャ!」
その明るさが、ほんの一瞬だけ場をあたためた。
だが、お父さんの顔はもう笑っていなかった。
「私は“行かない”と判断した。
アークヴェリアの守護長としては、
正しかったと思う。
……だが、その判断の結果として、
あの男のように救われなかった人がいるのも事実だ。
助けを待つ人の気持ちを思うと、苦しくなる」
ミケのしっぽがしゅんと下がった。
「アークヴェリアは昔、英雄を育てて世界を助けた。
今だって、グリフォンがレイランを守っている。
外の人たちにとっては──頼れる“最後の柱”なんだ」
「へぇ……すごいけど、パパたちが背負うの、大変そう……」
サラが眉を下げる。
ミケがすかさず言う。
「ミケは助けるよりおやつがいいニャ!」
「大変そうだね」と言ったサラの声が、
なぜか胸に残った。
“すごい”より先に、
“背負う”って言葉が浮かんだ気がした。
「おやつは関係ないでしょ」
お母さんが苦笑して言った。
場の空気が、少しだけやわらぐ。
テラスで隼丸が翼を揺らした。
「アオ。お前は逃げなかった。
感じて、倒れるまで頑張った。それで十分だ」
ぼくは小さくうなずいた。
お父さんがふう、と息をつく。
「アオ。外の人たちがどう思っていようと、お前はお前だ。
……だからこそ、世界の話をしようと思う」
お父さんはテーブルの上にゆっくり丸を描き、
光がふわりと輪をつくった。
「アオが知っている世界は、この丸の一部だけだ。
神域ベイラ。
神さまの力で守られた都市シェイラ。
そして、その外に広がるレイラン」
「えっ、そんなにあるの!?」
ぼくは思わず声を上げた。
「難しくなったら休んでいいからね」
お母さんが言う。
「えー、休憩はおやつ付きで!」
サラがすかさず言う。
「ミケもニャ!」
……ほんとに静かにできるか分からないけど。
ぼくは光の輪をじっと見つめた。
胸のざわざわはまだ残っている。
でも、その形が少しだけ変わった気がした。
──こうしてぼくは、“世界の話”を初めて聞くことになった。




