第三話 男の慟哭
男の声に気づいたときには、
商店区のざわつきの向こうで、人だかりができていた——
お父さんが歩みを止めた。
その視線の先──人だかりが半円を描いて広がっている。
「アオ、サラ。こっちに来なさい」
お母さんがぼくたちの手をきゅっと握り、
人の輪の後ろへまわり込む。
輪の真ん中には、ひとりの男がうずくまっていた。
髪は灰で固まっていて、
服はところどころ焦げて穴があいている。
泥とすすが混ざって、どこが皮ふなのかも分からない。
耳も、しっぽも──形が崩れていて、種族が分からなかった。
息が荒くて、今にも倒れそうだ。
さっきまで笑っていた人たちも、近づこうとはしない。
ひそひそ声だけが、輪の外側で小さく揺れていた。
「……レイラン西の住民だろ」
「金獣レベルの襲撃、生き残りが出たって……」
「入口で倒れてたらしい。守護隊が保護枠で通したってさ」
レイラン。
さっき、お父さんが話していた場所だ。
その名前だけで、胸の奥が少しひやりとした。
お父さんは男を知らないようだったが、
表情が、みるみる固くなっていくのが分かった。
男は誰を見るでもなく、地面に向かって呟いた。
「……信じてたんだよ……ここなら守られるって……」
声が震えていた。
泣いているのか、怒っているのか、分からない声だった。
「ベイラの判断だってよ……
俺たちの村は“後回し”にされたんだとよ……!」
お母さんが小さく息をのむ。
サラの指が、きゅっとぼくの手を握った。
「家も……仲間も……全部、燃えた……!
俺の知ってる場所は……もう、どこにもねぇんだよ……!」
広場の空気が、ぎゅっと重くなる。
さっきまで浮いていた匂いと音が、すべて遠ざかっていくみたいだった。
誰も近づけない。
誰も止められない。
そんな中で、お父さんが一歩、前へ出た。
「……ここは街中だ。大声を出すのは危ない。深呼吸をしよう」
叱らず、落ち着かせようとする声。
けれど男の肩は、びくっと震えた。
「危ない……? 危ないのは外だよ……!」
「最近どんどん、おかしくなってる……
今まで一度も魔獣に襲われたことがなかった土地が襲われて、
俺の村なんて“地図から消えた”んだ……!」
男は顔を上げた。
真っ赤な目が、お父さんをすり抜けて、遠くの空を見ていた。
「信じてたんだぞ……!
守ってくれるって……!
それなのに……!
何も残らなかったんだよ……!」
「お父さん……」
ぼくの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
知らない人の言葉なのに。
初めて会った人なのに。
なのに、その怒りと悲しみが、
ぼくの深い場所を、何度も何度も叩いてくる。
男の声が震えたまま、かすれていく。
「……聞いたんだよ……
“英雄がいる”って……どこかに……
誰かが“再び生まれた”って……
でもよ……」
喉の奥に、壊れた笑いが混じる。
「なんで俺の村には来なかったんだよ……!」
──その瞬間。
頭の奥で、何かがひび割れた。
商店区の光景が、ばらばらのガラスみたいに砕け、
色と音が混ざり合い、別の景色が流れ込む。
──赤い光。
──黒い煙。
──焼けた金属と焦げた匂い。
『撤退しろ! そこはもう持たない!!』
『カイル!! 聞こえてるなら返事しろ!!』
『あんたの判断のせいで、俺たちは──!』
知らない声。
知らない名前。
なのに胸の奥が、焼けるみたいに痛む。
ぼくじゃない。
ぼくはアオだ。
(それは俺だ)
でも──その名前を、知っている気がした。
「っ……は、ぁ……」
息が苦しい。
熱いのか寒いのか分からない。
胸がぎゅっと縮んで、足がふらりと揺れる。
「アオ!? アオ、大丈夫!?」
サラの声が遠くなっていく。
「アオ、顔真っ青ニャ!? アオ!!」
ミケの声も聞こえるけど、輪郭がぼやける。
「アオ!」
お父さんの腕がぼくを抱きとめた。
大きくて、あたたかい腕。
いつもは安心できるその腕が、今日はすごく震えている。
「サラ、ミケ! ついて来い! 戻るぞ!」
お父さんの声は必死だった。
お母さんがすぐ横に来て、ぼくの頬に触れる。
「アオ、聞こえる? アオ……!」
意識がにじむ。
人の声も足音も、商店区のざわめきも、
全部、水の底みたいにぼやけていく。
お父さんがぼくを抱きしめたまま、
押し寄せる人だかりをかき分けて進んでいく。
「どいてください! 子どもが倒れた!」
「道を開けろ!」
サラが泣きながら、お父さんの服をつかんで走る音が聞こえる。
「アオ……っ、アオ……!」
ミケは必死にぼくの胸の上で踏ん張って、
小さく震えながら叫んでいた。
「アオ!! 起きるニャ!!」
遠ざかる景色。
だんだん光が薄れていく。
お父さんの腕の中はあたたかかった。
最後に、涙でぐしゃぐしゃのサラの声だけが
耳の奥に届いた。
「アオ!! 帰ろうよ……アオ!!」
その声で、小さく息を吸った気がしたけど――
そこで全部、闇に飲まれた。




