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現実世界で世界を救った俺、異世界で魔王に転生したみたいだけどなんやかんや世界を救うはめになりそう ~世界を救う魔王の英雄プロトコル~  作者: 足本 弘
第五章 目覚め

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第六十八話 事件の形

 施設に戻ってから、しばらくの間、アオは自室にいた。


 事件は終わった。

 子供は無事だった。男も押さえられた。搬入口の混乱も、少しずつ元の形へ戻されているはずだった。


 それでも、手のひらにはまだ感覚が残っている。

 子供の背中側へ薄く置いた力。

 押し込まないように、足元だけを軽くした感覚。


 その直後にぶつかった男の肩の硬さと、重さ。

 衝撃が身体へ入る前に、セーフティ膜が斜めへ逃がした感触。


 机の端には、剥がした封片が置かれていた。

 光はもう消えている。薄い紙片のようなそれは、ただそこにあるだけだった。


 アオは椅子に座ったまま、自分の指先を見ていた。


 昼を過ぎ、午後が傾いていく。

 壁面の光が、少しずつ夕方の色へ変わっても、手の中の感覚だけはすぐには消えなかった。


 呼び出しの合図が来たのは、それからしばらくしてからだった。


 ***


 案内されたのは、訓練施設内の小部屋だった。

 机が一つ。椅子が三つ。

 広くはない。飾りもない。必要なものだけが置かれている。


 部屋の中には、ソウマがいた。

 その横に、カゲツも立っている。


 アオは扉の前で一度だけ足を止めた。


 叱られるのか。

 報告を受けるのか。

 それとも、別の何かを聞かされるのか。


 まだ分からないまま、アオは中へ入った。


「座ってください」


 ソウマが言った。


 声はいつも通り丁寧だった。


 アオは椅子に座る。

 カゲツは座らなかった。壁際に立ったまま、こちらを見ている。

 ソウマは少しだけ間を置いてから、口を開いた。


「結果だけ見れば、成功です」


 アオは顔を上げた。


「子供は守られ、男も押さえられました」


 そこで、ソウマの視線がアオの手元へ落ちる。


「あの瞬間、魔法を使った判断も否定しません」


 アオは、ほんの少しだけ息を緩めかけた。

 けれど、ソウマの声はそのままだった。


「子供を押し倒さず、男を攻撃せず、間に入りました。緊急介入としては成立しています」


「……はい」


「あれを咎めるつもりはありません」


 言葉だけなら、評価だった。


 ソウマは続ける。


「ですが、そこまでです」


 アオの指が、膝の上でわずかに止まった。


「市民に魔法を触れさせる必要が出た時点で、こちらは一段遅れています」


 アオはすぐに返せなかった。

 

 子供を守ったことも、間違いだと言われたわけではない。

 それでも、その言葉は手のひらの感覚より重く残った。


「問題は、男の手が子供へ伸びた瞬間ではありません」


 ソウマは、静かに言った。


「その前です」


 アオの頭の中に、搬入口の通りが戻ってくる。


 荷車。店先。人の流れ。

 男の肩。

 視線。


「男が店先を逃げ道として見た時点で、こちらは後手でした」


「……店先を」


「もっと正確に言えば、店先が逃げ道に見える状態で残っていた時点です」


 アオは言葉を探した。


 子供は守った。

 男の手は届かなかった。

 母親の腕の中へ戻せた。


 それは、間違っていないはずだった。


 でも、ソウマはその一つ前を見ている。

 男の視線が、店先へ逃げた瞬間。


 そこに、まだ下がりきれていない子供と母親がいたこと。

 その意味を、自分が一拍遅れて理解したこと。

 子供を守ったという事実の前に、もう遅れていたと言われている。


 アオは、すぐには飲み込めなかった。

 ソウマは机の上に指を置き、搬入口の配置をなぞるように動かした。


「追い詰める考え方自体は、間違っていません。逃げる相手を完全に止めようとすれば、相手は暴れます。逃げられるように見える方向を残し、そこへ向かわせる」


 指が、細く動く。


「ですが、残す方向を間違えれば、相手はそこへ行きます」


 アオは黙って聞いていた。


「今回、橋側は私が消しました。搬入口側はカゲツ殿が管理していた。あなたは市民側を下げていた」


 ソウマの指が、店先に当たる場所で止まった。


「本来は、ここを完全に消すべきでした」


 カゲツが、そこで初めて口を開いた。


「碧」


 短い声だった。

 アオはそちらを見る。


「市民側を閉じて残れば、こちらが詰めた」


 カゲツは、それ以上を足さなかった。

 それでも、その一言で、アオの頭の中に別の動きが浮かんだ。


 自分が店先側を消して残る。


 男には、そこが使えない。

 搬入口側へ戻る細い道だけが、逃げ道に見える。

 その先に、カゲツがいる。


 上には、ソウマがいる。

 男がそこへ入った瞬間、閉じる。

 自分が取りに行く必要はない。


「あなたが一人で取り返す必要はありません」


 ソウマが続けた。


「守る側は、味方に閉じさせる形を作ることも仕事です」


 アオは、さっきの現場をもう一度思い返す。

 男がどこへ行くかは見ていた。

 人の密度も見た。

 逃げたくなる空白も見た。

 けれど、カゲツがどこを閉じられるかまでは、見えていなかった。


 自分が消す場所。

 味方に残す場所。

 その区別が、足りなかった。


 カゲツがもう一度、短く言った。


「追うな。残せ」


 アオは顔を上げる。


「相手が入る場所を、こちらで決める。そこに味方を置く」


 それ以上、カゲツは言わなかった。

 部屋の中が、少しだけ静かになった。

 ソウマはその静けさを置いてから、言った。


「街を守るとは、起きたことを上手く片づけることではありません」


 アオは、ソウマを見る。


「相手に、事件の形を取らせないことです」


 言葉は淡々としていた。

 けれど、軽くはなかった。


「子供を守ったことは成功です」


 ソウマはそこで一度、言葉を切る。


「ですが、子供を守らなければならない場所まで相手を入れたことは、課題です」


 ソウマも、それ以上は重ねなかった。

 代わりに、机の端に置かれていた薄い紙を一枚、アオの前へ滑らせた


 そこには、押収物の一次確認らしき項目が並んでいた。

 部品名の半分は分からなかった。短い記号と数値がいくつも続き、材質らしい名前も、形状の分類らしい言葉もある。


「男は、名簿上は正式な搬入班に含まれていました」


 ソウマが言った。


「ただし、行動は担当範囲を外れています。処理済み書類に触れようとした理由は、現在確認中です」


 アオは紙を見る。

 さっきまで人だった男が、今は項目の中に分けられている。

 名簿。担当範囲。押収物。確認中。


 言葉が、冷たく並んでいた。


「断定はできません」


「カルドライン計測器自体は、珍しくありません」


 ソウマは紙の一行を指で押さえた。


「輸送管理にも使われます。ですが、これは登録された商用品の仕様ではありません」


 カゲツが横から紙を示す。


「碧、ここを見ろ」


 アオは、示された行へ視線を落とす。

 細かな数値の横に、用途欄らしい短い記述があった。


「低カルドライン環境での反応確認。荷の保全確認なら、ここまで要らない」


「用途はまだ確定していません」


 ソウマが補う。


「ただ、何かを運ぶためではなく、ここで何かを測るために持ち込まれた可能性があります」


 少なくとも、ただの荷物ではない。

 そのことだけは、アオにも分かった。


「身元引受があれば終わり、ではありません」


 ソウマは紙を伏せた。


「何を見たか。何をしたか。誰のために動いたか。それで扱いは変わります」


「……あの人は」


 アオは言いかけて、止めた。


 どうなるのか、と聞こうとしたのだと思う。


 聞いたところで、答えはまだ出ない。

 決めるのも、ここにいる三人ではない。

 違う言葉がアオの口から出た。


「国境が燃えている、というのは……どういう意味ですか」


 ソウマの目が、わずかに動いた。

 カゲツは何も言わない。


 アオは続けた。


「前にも、似たことを言っていた人がいました」


 喉の奥が少しだけ詰まる。


「レイランから来た男です」


 詳しくは言わなかった。

 地図から消えた場所。

 燃えた街。

 その断片だけを、短く口にした。


 部屋の外で、どこかの扉が開閉する小さな音がした。


「……今回の男の言葉と、その件が直接つながるかは分かりません」


 返ってきたのは、慎重な声だった。


「ただ、ドラグナール帝国とは、長く緊張関係が続いています」


 ドラグナール帝国。

 アオはその名前を聞いたことがある。


「数十年前、国交を正常に結ぼうとした時期に、身元保証を利用した侵入事件がありました」


 ソウマの声は、そこで少しだけ低くなった。


「それ以来、ドラグナール帝国に由来する者、物、保証は、通常の基準では扱いません」


 アオは、顔を上げる。


「疑義が残る場合、通さない。持ち込ませない。戻さない」


 短い言葉だった。


「それが今の運用です」


「……戻さない、というのは」


「身元引受があっても、です」


 ソウマは答えた。


「個人の善悪を、その場で決めるという意味ではありません。ですが、保証を信用してよいかは別です」


 アオは頷いた。

 頷きながら、頭の中では別のものが動いていた。


 レイランで叫んでいた男。


 今日の男。


 その二つが同じものかどうかは分からない。

 ただ、どちらもシェイラの外側から来ている。

 その外側で、何かが起きている。


 アオには、そこだけが引っかかった。


「ここから先は、警護班の総評ではなく、国防事務局の管轄です」


 ソウマは、そこで説明を止めた。


「必要な説明は、近いうちに、トウカ殿からお話があります」


 アオには、まだ聞きたいことがあった。


 ドラグナール帝国のこと。

 国境のこと。

 押収物が何を測っていたのか。

 あの男が、何を知っていたのか。


 ただ、ソウマが線を引いたことも分かった。

 今ここで聞けることと、聞けないことがある。


「今日の総評は、先ほどの一点に尽きます」


 ソウマは、それ以上繰り返さなかった。

 アオは小さく頷いた。


「……はい」


 その返事がどこまで届いたのか、自分でも分からなかった。


 ***


 部屋を出ると、夕方の光が廊下に差していた。

 昼間よりも少し低く、壁の白さを柔らかく変えている。

 アオは自室へ戻る道を歩きながら、ソウマの言葉を頭の中で並べ直そうとした。


 街を守るとは、起きたことを上手く片づけることではない。

 相手に、事件の形を取らせないこと。


 理屈は分かる。


 でも、と思う。

 子供の袖へ伸びた男の指より、その前に店先へ逃げた視線の方が、重く残る。


 自室に戻り、扉を閉めた。

 机の端には、剥がした封片がまだ置かれている。


 さっきここに置いた時と、何も変わっていない。

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