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現実世界で世界を救った俺、異世界で魔王に転生したみたいだけどなんやかんや世界を救うはめになりそう ~世界を救う魔王の英雄プロトコル~  作者: 足本 弘
第五章 目覚め

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第六十七話 追うか、守るか

 時間は、少しだけ戻る。

その日は、訓練ではなく見学に近かった。


 ソウマとカゲツの通常業務に同行する。

 アオの胸元には、見回りに同行する者だと示す小さな証票が留められていた。


 搬入口の周辺には、いつも通りの音があった。

 荷車の車輪が石畳を噛み、係員の声が札と名簿を照合していく。

 係員は荷札を確認し、受領欄へ印を入れる。

 

 商隊員には控えだけが返され、受付側に残る紙は書類台の箱へ重ねられていった。

 荷を下ろす者、次の順番を待つ者、台車を押して奥へ進む者。


 ソウマは、その流れの端を見ていた。

 乱れは小さい。けれど、ひとつだけ噛み合わない動きがあった。


 ひとりだけ、荷を置く手が半拍遅い。荷を置いたあとの視線が、荷札へ戻らない。

 止まる位置もずれている。次の荷へ移るには外側すぎ、係員の声を待つには前へ出すぎていた。


 まだ確信ではない。

 だが、見過ごすには十分だった。


 ソウマは動かなかった。視線だけを横へ流す。

 カゲツも、書類台のそばで同じものを見ていた。


 男の視線は、荷札ではなく、処理済みの紙束に寄っている。指先が、一度だけ迷った。

 紙束へ伸びかけた、というほど露骨ではない。袖の陰で、ほんの少しだけ手の向きが変わっただけだ。


 カゲツがわずかに顎を引く。

 ソウマは目だけで男の位置を示した。


 男が気づいた様子はない。

 分かったとしても、横合いの視線が変わった、その程度にしか見えなかったはずだ。


 カゲツが一歩、前へ出た。


「確認を追加します。荷はそのままにしてください」


 声は大きくない。


「皆さん、その場でお待ちください」


 商隊員たちが、戸惑いながら動きを止める。荷を抱えた者は荷を下ろし、台車を押していた者は手を止めた。

 不満の気配はあっても誰も逆らわない。

 ここへ入るために認可を受けた商隊なら、追加確認を拒む理由は表向きにはない。

 荷を止められることも、人を待たせることも、手順の中に含まれている。


 その中で、ひとりだけが動いた。

 荷箱が石畳に落ちる。

 周囲の商隊員が息を呑むより早く、男は横へ抜けた。


 ソウマの手が、アオの肩口へ伸びた。


「アオ様、念のためこちらを」


 布の内側へ、薄い封片が押し当てられる。

 淡い光が一度だけ走り、すぐに消えた。


「セーフティ膜です。受け損ねた時の保険に」


「追うために使わないでください」


「……はい」


「実地です。単独確保は不要です。無理に捕まえないでください」

「こちらで回収できる範囲だけです。市民を下げてください」


「私は上を取ります」


 ソウマはすでに地上を捨てていた。

 建物外壁の脇、表通りからは見えにくい細い足場へ手をかける。

 保守用の導線。訓練で教えられた、街のもうひとつの道。


「カゲツ殿、搬入口側を」


「承知しました」


 カゲツは男を追って飛び出さなかった。

 商隊員たちの間を崩さず、荷車の列を動かさず、人の流れをそのまま壁にする。

 係員に短く指示を出し、止まった荷の位置を変えないまま、搬入口側への戻りを細くしていく。


 商隊は混乱しない。

 だから、逃げ込む濁りも生まれない。


 男は走っていた。


 速い。


 けれど、その速さはどこか噛み合っていなかった。踏み込むたび、足が思った位置へ届いていない。

 角へ入る肩の傾きも、思ったより外へ流れる。

 

 男の背中は遠い。追いつこうとしても、届かない。

 だから、追いつこうとはしない。


 男が向かう先を見る。

 人の密度を見る。

 逃げたくなる空白を見る。


 男は壁へ寄った。手をかけ、足を置く。

 上へ抜けるつもりなのだと、アオにも分かった。


 だが、身体が上がらない。


 (……外の動きだ)


 跳び方も、手のかけ方も、外の力を前提にしている。


 爪先が滑り、肩が壁にぶつかった。

 男は一度、無理やり腕で引き上げようとしたが、伸びるはずの距離が伸びない。届くはずの縁に、指がかからない。


 ここでは届かない。


 石畳へ戻る音が、少し乱れた。

 外なら届いたのかもしれない。


 少なくとも、男は届くつもりで動いていた。

 男はすぐに地上の走りへ戻る。


 準備していた経路が、ひとつ潰れた。


 アオは息を吸った。

 店先に人がいる。


 両手で荷を抱えた商人。立ち止まりかけた通行人。荷車の横で足を止めた子供。窓際の商品を見ていた客。


「下がってください。店の内側へ」


 声を出す。


 強くしすぎない。

 けれど、迷わせない。


「荷は置いてください。そこから動かないで」


 商人がこちらを見る。

 アオは男から目を切らず、片手だけで奥を示した。


 逃げ道は、逃げる側だけが選ぶものではない。


 男が橋側へ切ろうとした。

 その瞬間、頭上で足音がした。


 先回りするための、短く正確な音。


 上にいる。

 男は橋側を捨てた。


 搬入口側へ戻る線もない。カゲツが潰している。荷車も、人も、まだ壁の形を保っている。

 男は地上を走り続けるしかなくなった。

 走っているのに、選んでいる道は少ない。


 アオは真正面を塞がず、男がそのまま進めば嫌がる位置へ滑り込んだ。


 踏み込んだ足を、男が見る。

 一瞬だけ、目が合った。

 邪魔な位置にあるものを見る目だった。


 男は進路をずらす。


 アオは追いすぎない。店先へ残りかけた人をさらに奥へ下げ、荷車の横へ自分の体を入れる。

 立ち止まりかけた通行人には、声ではなく手だけで示した。


 男の視線が、店先へ逃げる。

 そこに人がいる。


 アオは、その意味を一拍遅れて理解した。


 まだ、下がりきれていない子供と、その母親がいた。

 母親は子供の腕を引こうとしている。けれど、片手には荷物があり、横を流れる人の肩が邪魔になった。


 ほんの一瞬。

 足が遅れる。

 

 男の肩が、その線へ流れた。


 腕が伸びる。

 指先が、子供の袖へ届く。


 アオは、それを見た。


 追うか。

 守るか。


 その言葉が形になる前に、別の声が頭の中で落ちる。

 ――確保不要。

 ――無理に捕まえるな。

 ――市民を下げろ。


 アオは男へ踏み込んだ。

 子供と男の間に、身体を入れるために。


 声では間に合わない。距離も足りない。

 右手に力を入れて、足の裏に魔法を通す。


 踏み出す角度を、ほんの少しだけ変える。


 身体が前へ沈み、次の瞬間、視界が横へ流れた。

 石畳の継ぎ目が、一つ、二つ、足元の下へ消える。


 同時に、子供の背中側へ薄く力を置く。

 押し込まない。

 足元だけを軽くする。


 「っ――」


 子供の身体が、母親の方へふわりと戻った。

 母親が息を呑み、反射的に抱き寄せる。


 直後、男の肩がアオにぶつかった。

 硬い。

 重い。


 アオの体表に沿って、薄い膜が光る。

 セーフティ膜が作動し、ぶつかった力だけが斜めに逃げる。


 足元が半歩ずれた。

 けれど、倒れない。


 男は止まらなかった。

 ぶつかった反動を使うように、さらに前へ抜ける。


 三歩。


 アオが子供との間に入った分だけ、男は三歩先にいた。


(行かれた)


 そう思った瞬間、男は搬入口側へ身体を振った。

 

 だが、そこにはもうカゲツがいる。

 逃げ込めるように見える隙間の先で、カゲツが進路を塞いでいた。


 男の足が、わずかに止まる。

 

 すぐに反転。


 直後、上から足音が落ちた。


 ソウマだ。


 屋根の縁を伝うように移動し、男が向かうより先に、その上を押さえている。


 飛び降りてこない。

 ただ、行き先に音を置く。


 男はそちらへ踏み込めなかった。


 走っている。まだ、走っている。

 けれど、選べる道が削られていく。


 搬入口は塞がれている。

 荷車の列はまだ崩れていない。橋側へ肩を向ければ、頭上で足音が先に動く。

 戻る線も、もうない。


 残った細い通路へ、男が肩を入れた。

 その出口に、カゲツがいた。


 男がもう一度反転しようとする。

 その瞬間、上から影が降りた。


 ソウマは落ちながら、男の腕を肩の付け根で取る。

 さらに横からカゲツが入る。

 もう一方の腕を押さえ、足の置き場を奪う。


 男の身体が石畳へ沈んだ。


「動くな」


 ソウマの声は低かった。


 男は動かなかった。いや、動けなかった。

 男は押さえられたまま、顔だけを上げていた。


 乱れた息の合間に、声が出る。


「待ってくれ。書類は通っている」


「俺は搬入班だ。名簿を確認してくれ」


 カゲツは声を荒げなかった。

 男の腕を押さえたまま、視線だけを下ろす。


「名簿にはあります」


 男の目が動いた。

 カゲツは続ける。


「ですが、処理済みの紙束を確認する区切りではありません」

「そして、それを見る必要はない」


「立ち位置も、手順から外れていました」


 男は何も言わない。


「搬入記録も、ここから先、改めて確認します」


 周囲の空気が、少しずつ変わっていく。


 見物しようとした者が職員に下げられ、荷を抱えた商隊員たちは別の道へ誘導される。

 止まった場所と、動いていい場所が分けられていく。


 男は黙っていた。

 余計な言葉を足さない。

 抗弁できるところだけを使い、そこから先は口を閉じる。


 アオは、その沈黙を見ていた。

 その時、男の口元がわずかに動いた。


「……国境じゃ、今も人が死んでる」


 誰に向けた言葉なのか、分からなかった。


 アオへか。

 ソウマへか。

 カゲツへか。


 それとも、自分自身へか。


 ソウマは答えなかった。

 ただ一歩、アオの前に立った。


 男の視線が、そこで切れる。


「アオ様。ここから先は我々の仕事です」


 ソウマは職員へ向き直る。


「分離。商隊員全員、再確認」


「処理済み書類は封鎖してください」

「一般搬入は一時停止。混乱は出さないように」


 指示が短く落ちる。職員たちの動きが変わった。

 商隊員は一人ずつ別の列へ移される。荷は触れられる前に札を確認され、搬入口の線には一時停止の印が灯った。


 止まる。だが、崩れない。

 カゲツはそのまま事後処理へ回った。


 男の拘束を引き継がせ、次の確認へ向かう。

 顔色も、声も変えない。

 さっきまで走っていたはずなのに。

 呼吸の乱れすら、現場の中へ溶かしている。


 アオは、職員に促されて通路の外へ下がった。


 振り返ると、母親と子供の姿が見えた。


 子供はまだ母親に抱きついている。

 母親は職員に何度も頭を下げていた。


 助かった。


 それでも、男の声が耳の奥から消えなかった。


 国境じゃ、今も人が死んでる。


 その一言が、別の声と少しだけ重なる。

 地図から消えた場所、燃えた家。レイランの広場で叫んでいた男の声が、奥の方で揺れた。

 もっと遠くで、もうひとつ別の記憶も動く。

 救えなかった場所。正しい判断のはずだったのに、それでも残ったもの。


「アオ様」


 ソウマの声で、意識が戻った。

 声は労いの形をしていたけれど、いつもより少しだけ硬い。


「ひとまず休んでください。夕方、総評を行います」


「……はい」


 短く返したものの、それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。

 子供は助かった。男も押さえられた。

 もう誰もいない場所を、もう一度だけ振り返る。


 国境じゃ、今も人が死んでる。


 その言葉だけが、いつまでも消えなかった。

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