第五十八話 謹慎
個室の窓は小さく、外の光は細い帯になって床へ落ちていた。
机と椅子と、簡素な寝台。
それだけの部屋は、広くはないのに妙に空いて見える。
俺は椅子に座ったまま、組んだ指先を見ていた。
あの後、拘束されたまま、この部屋に連れてこられて
それからナイラとも会えていないし、カリキュラムも休みになってしまった。
何度も考えた。
あの場で、ああするしかなかったのか。
もっと別のやり方はなかったのか。
もっと上手いやり方があった可能性は、きっとある。
でも――
(それでも)
ナイラは無事だった。
発電機も壊れなかった。
あのまま何もしなければ、もっと大事になっていた。
胸に重いものは残っている。
けれど、守れたものまで否定する気にはなれなかった。
扉の向こうで、控えめに靴音が止まる。
少しして、鍵の外れる音がした。
入ってきたのは、ロッド先生だった。
扉が閉まる。
先生はすぐには座らず、こちらを見たまま短く息を吐いた。
「馬鹿な事したな」
怒っている声ではなかった。
「……はい」
「理解しているはずだが、今回の件は、“約束を守らなかった”ってだけの話じゃない」
先生は机の横まで来て、腕を組んだ。
「お前は国家機密そのものだ。アークヴェリアの未来を恐らく握る、“英雄の卵”だ。まずそこを、自分の都合より先に置け」
言葉が、ひとつずつ落ちてくる。
「今回、お前の魔法を見られた可能性がある。そこから何かを察されたかもしれない」
俺は膝の上の手に、少しだけ力を入れた。
「ナイラが何かしらの情報を持つってことは、ナイラ自身に情報の価値が付いて回るってことだ」
先生の視線は動かない。
「情報を持つなら、将来それが危険になる可能性もある。お前だけの問題じゃない。相手の身にも返る」
喉の奥が、わずかに詰まる。
分かっていた。
あの瞬間にも、頭のどこかでは分かっていた。それでも、止まれなかった。
「……」
「もう一度言うぞ。自覚しろ」
短い沈黙が落ちた。
叱責は、それで終わりだった。
でも、終わった感じはしなかった。
言われた言葉が、そのまま部屋に残っているみたいだった。
先生はそこでようやく、少しだけ肩の力を抜いた。
「……だがな」
声の硬さが、ほんの少しだけ和らぐ。
「この前の事は、ナイラにはこっちで説明して、筋を通しておく。安心しろ。ナイラは大丈夫だ」
張っていたものが、わずかに緩んだ。
先生は続ける。
「それと、俺たちは、お前が約束や規律を破ったって事実だけを見てるわけじゃない」
机の端に指先が触れる。
そのまま、ゆっくり言葉が継がれた。
「助けに入った判断、そのとき見ていたもの、その根っこまで否定するつもりはない。
ああいう場面で身体が動いたこと自体は、英雄としての資質や心が育ってきている証拠だと見てる」
顔を上げる。
先生と目が合った。
「……そこまで問題視はしていない」
その言葉は、救いというより、重さを増すものだった。
認められたから軽くなるんじゃない。
認められても、線は越えたままなんだと分かる。
「とは言え」
先生の声が、また少し締まる。
「ベイラとの通信も、ナイラとの交流も、当面は我慢しろ」
返す言葉を探そうとして、やめた。
探したところで、何かが変わる気はしなかった。
「自分で選んだ結果だ。ケジメをつけろ」
俺は、息をひとつ吸った。
それから、ゆっくり頷く。
「……はい」
先生はしばらく俺を見ていたが、余計な言葉は足さなかった。
それが、この人なりの線なんだと思った。
扉へ向かう背中が、途中で一度だけ止まる。
「アオ」
「はい」
「飲み込め」
振り返らないまま、先生は言った。
「今のお前には、それが必要だ」
扉が開いて、閉まる。部屋はまた静かになった。
俺はしばらく、そのまま動かなかった。
ベイラにも連絡できない。
ナイラにも会えない。
心が重く沈んでいく。
それでも、受けるしかないとも分かっていた。
自分が何者で、何を背負わされているのか。
それを都合のいい時だけ忘れていい立場じゃない。
膝の上で握った手を、ゆっくりほどく。
(……ナイラが無事なら、それでいい)
***
数日後。
呼び出しを受けて、ナイラは小さな応接室へ入った。
先にいたのは、ロッド先生とマキ先生だった。
窓際の席に案内され、向かいに二人が座る。
机の上には湯気の立つ茶器が二つ置かれていたが、ナイラはまだ手を伸ばせなかった。
あの日のことだ、と分かっていた。
ロッド先生は、いつものように前置きを長くしなかった。
「この前の件について、こちら側から報告がある」
ナイラは背筋を伸ばす。
「はい」
「アオの国は、魔法が使えないシェイラで、神の道具の仕組みを参考にしながら、魔法に近いことを再現する研究をしていた」
「装置が危険な状態に入っていたのは明白だ。そこへ、アオが研究の延長にある手段で介入したと見ている」
「結果として、最悪は避けられた」
ナイラの指先が、膝の上でわずかにこわばる。
そこで、マキ先生が口を開いた。
「ナイラさん」
視線が合う。
その目は、いつもの授業の時より少しやわらかかった。
「あなたも、私も、アオさんに助けられたの」
ナイラは、うまく返事が出来なかった。
ただ、小さく頷く。
ロッド先生が続きを引き取る。
「ただし、この話は本来、機密事項だ。他言無用。表に出していい種類のものじゃない」
言いながら、腕を組み直す。
「アオの出身国は対外的に慎重な国だ。アウレアみたいな大国に余計な干渉をされたくない、って事情もある。
そういう背景があって、お前には最初から正しく伝えることが出来なかった」
ナイラは、息を吸って、それを飲み込んだ。
理解は出来る。
少なくとも、理屈としては。
でも――と思う気持ちも、残る。
ロッド先生は、そこを見ていたのかもしれない。
少しだけ声の調子を落として言った。
「だから、これからしばらくアオとの交流には制限が入る」
室内の空気が変わった気がした。
「……そう、ですか」
自分でも驚くほど、声は平らだった。
「アオはアオで、お前みたいに色々背負ってる。事情がある。そこは理解してほしい」
ナイラは俯かなかった。
代わりに、マキ先生がそっと言葉を継ぐ。
「アオさんは、ナイラさんを軽く見ていたわけではないわ」
その声だけで、胸の奥が少し痛んだ。
「彼にも、話せない事情があったの。つらいだろうけど……それだけは、分かってあげてほしい」
しばらく、誰も話さなかった。
茶器から細く湯気が上がっている。
ナイラはそれを見ていた。
感謝していた。
それは間違いない。
あの時、自分ではどうにも出来なかった。
装置の異常にも、空気の変化にも、気づけなかった。
結果だけ見れば、助けられたのだ。
なのに、その感謝と同じ場所に、別のものが生まれていた。
少しだけ、アオに腹が立った。
どうして、いつもそうなのだろうと思った。
自分では何も言わないまま、必要な時だけ手を貸して、終われば何事もなかったように引く。
けれど、それより強かったのは、自分への苛立ちだった。
分かっていたはずだ。
アオが何かを背負っていることくらい。
言葉にしなくても、隠しているものがあることくらい。
それなのに、自分は受け取る側にいた。
実験だってそうだ。
あれだけ詰まり続けていたのに、アオが手を入れたことで、ようやく道筋が見えた。
そして最後も、やってはいけない方法で、自分を助けた。
(なんで、私は……)
胸が熱くなる。
(なんで、私はいつも、もらってばかりなんだろう)
机の下で、拳を握る。
爪が掌に少し食い込んだ。
(なんで、アオは全部、ひとりで背負いこむんだろう)
悔しかった。
自分が助けられたことも。
そのことに、今さらちゃんと気づかされたことも。
何も返せていないことも。
「……分かりました」
ようやく出た声は、少しかすれていた。
「交流の制限も、受け入れます」
それを言えたのは、意地だったのかもしれない。
泣きたくなかったし、子供みたいに取り乱したくもなかった。
けれど、そのまま終わるのは違う気がした。
「……その上で、一つだけ、お願いがあります」
ロッドとマキが、黙って続きを待つ。
「今すぐじゃなくていいです。後日でも構いません。きちんと、お礼だけは言わせてください」
ロッド先生は短く頷いた。
マキ先生は何も言わなかったが、その沈黙は冷たくなかった。
話が終わって部屋を出たあとも、ナイラは落ち着かなかった。
廊下を歩きながら、何度も同じ言葉が巡る。
助けられた。
また、もらった。
自室の扉の前で足が止まる。
そのまましばらく動けなかった。
それでも、ひとつだけはっきりしたことがあった。
ちゃんと、言わなければならない。
もらってばかりで終わるのは、嫌だった。




