第五十二話 順調
二週間後。
ナイラ用に確保された実験部屋は、もう「空っぽの箱」ではなくなっていた。
扉を開けた瞬間、金属と油の匂いが、薄く鼻をくすぐる。床には傷を避けるための敷材。壁際に寄せられた木箱には、搬入札がついたまま。封の刻印が、まだ新しい。
(……本当に、来た)
視線が、勝手に走る。
机の上。棚。固定具。配線の束。台座。工具一式。交換用の部品が、種類ごとに揃えられている。
そして――発電機が、二つ。
同じ型。けれど識別のため微妙に色が違う。片方は外界で使われてきた個体で、使い込まれた痕。
もう片方は、比較のために用意された調整済みの基準機だろう。
ふと、頭の中に別の景色が差し込んだ。
遠い地方。舗装されない道。雨の後の泥。運びたくても運べない荷車。動かない機械。熱と臭いがこもる診療所。遅れて届く助け。
――あの場所を、変えたい。
背筋を伸ばしたところで、廊下から足音が近づいた。
控えめなノック。
「入りますね。ナイラさん」
扉が開き、生活面を担当するマキ先生が顔を出した。
部屋の中を一巡し、搬入状態を確認してから、ナイラの方へ向き直った。
「予定通り、搬入は完了しました。……待たせたわね」
「いえ。むしろ、こんなに――」
言いかけて、ナイラは口を閉じる。
喜びが先に出そうになるのを、飲み込んだ。
マキ先生は、くすっと笑って、机の端を軽く叩いた。
「嬉しいのは分かるけど、まずは順番。今日は“使い方”と“約束”を確認します」
「はい」
マキ先生は、壁際の台座に置かれた装置へ歩いた。
細い箱状の動力源。側面に端子。留め具。帯状の接続具が巻かれている。
「これが動力源。あなたが言っていた“ベルト”に接続するのは、こっち」
指先で端子を示す。
マキ先生は、ナイラの目を一度見てから続けた。
「動かす前に、必ず固定。これを床の留め具と繋いで、暴れないようにすること。」
留め具を指で押し、カチ、と小さな音を鳴らした。
「それと、一番大事な約束」
マキ先生は、わざと少し間を置いた。
「一人で試験は禁止。必ず立会いを付けること。――教員、もしくは許可された同席者」
ナイラの喉が、小さく鳴った。
「……分かりました」
「うん。いい返事」
それからマキ先生は、壁面の予定表示へ視線を向けた。
「まだ基礎カリキュラムも残っているから、当面は、授業と実験をうまく組みます。時間は応相談。あなたの体調と進度を見て、柔軟に調整します」
「ありがとうございます」
礼は短く。けれど、ナイラの声にはちゃんと温度が乗った。
マキ先生は「いいのよ」と言って、机の上の部品箱を開ける。
中には交換用のパーツ。調整用の小さな部材。形の違う留め具。細い線材が束ねられている。
「これが交換用。これは調整用。使う前に必ず数を確認して、記録して。失くしたら――探す時間が一番もったいないからね」
ナイラは、思わず笑いそうになった。
“もったいない”。
その言葉が、妙に現実的で、頼もしかった。
ナイラは部屋の中央に視線を戻す。
二つの発電機。並べられた工具。整えられた台座。
(……これからだ。)
ナイラは深く息を吸い、吐いた。
外界では、欲しいと思っても、揃わなかった環境がここにある。
魔法の影響が少ない世界なら――きっと、見つけられる。
整理できる。そして、世界を変えられる。
ナイラは、まだ触れていない発電機に目を向けて、静かに頷いた。
***
授業の合間に、ぽつりと空き時間が出るようになった。
アオはその時間を、休憩ではなくいつもの場所で魔法の自主練に回す。
小さな金属片が、宙で止まる。
揺れない。落ちない。
そこに、熱を通す。
じわり、と温度が移る。赤くはならない。けれど、触れたら分かる程度に、確かに変わる。
浮かせながら、熱。熱を通しながら、位置を微調整。
以前なら、どちらかが途切れた。
今は、続く。
金属片がほんの少しだけ回りかけて、アオは止めた。止まる。
(……順調だ)
胸が軽い。軽いのに、どこか落ち着かない。
今日は、授業のあとに、ひとつ許可が下りていた。
――家族と連絡ができる。
久しぶり、どころじゃない。
それを考えただけで、喉が乾く。
授業が終わり、廊下に出たところで声がかかった。
「アオ殿」
フジワラだった。後ろに、職員が一人だけついてくる。
「こちらへ。通信の準備が整っております。――本日は初回ですので、時間を区切ります」
アオは頷いて、ついていく。
通された部屋は、音が少ない。
床の一角に、淡い線で囲まれた区画があった。近づくと、音が遠のく感覚があった。
職員が丁寧に頭を下げ、端末を差し出す。
「アオ殿。こちらを。……設定は済ませてあります。区画の中で、手を離してください」
アオは受け取る。
(……やっと、使える)
フジワラは低い声で告げる。
「許可の範囲で。内容には踏み込みません。……異常があれば、こちらで切ります」
職員は一礼し、扉の外へ下がった。
アオは区画の中央で、端末をそっと持ち上げた。
指を緩める。
端末は落ちない。膝のあたりの高さで静かに落ち着く。
次の瞬間、部屋の音が消えた。
完全な無音ではない。自分の息と、喉の動く音だけが残る。
外の気配は、厚い布の向こうへ押しやられたみたいに遠い。
光が、端末からふくらむ。
輪郭が結び、影のない奥行きになって、輪の縁に沿って人の形が立ち上がった。
サラ。
母さん。
父さん。
声が、少し遅れて届く。
「……アオ?」
母さんの声に、胸の奥がきゅっと縮む。
サラは目を見開いて――次の瞬間には笑っていた。
「うそ! ほんとに繋がった! アオだ! アオだよね!?」
サラは、以前より少しだけ背が伸びて見えた。髪の結び方も、前より落ち着いている。
それが、逆に刺さった。
アオは息を吸って、言葉を探す。
「……久しぶり」
声が震えた。情けないくらい。
それでも、続ける。
「この前は、誕生日プレゼント……ありがとう」
言った途端、目が熱くなった。何も起きてないのに、涙が出そうになる。
サラが身を乗り出す。
「プレゼント、届いた!? どうだった!? 使ってる!?」
父さんが咳払いをひとつして、サラを制した。
「サラ。アオが話している途中だ」
父さんは、言葉を選ぶ顔をしていた。
「アオ。たくさん話はしたい。……だが、今回は時間が限られていると聞いた。だから要点だけになる。すまない。」
アオは、頷く。
父さんは続けた。
「お前が出てから……二年が近い。皆、元気だ。心配はするな」
母さんが、小さく頷いた。
父さんの視線が、少しだけ柔らかくなる。
「サラは、ベイラであのままお世話係の務めを続けて、今は、生徒代表も任されるようになった」
「えへへ」
サラが照れたように笑う。けれど、その笑顔の奥に、張りつめたものがある。
父さんは、言葉を区切った。
「……ただな」
母さんが、静かに補う。
「みんな、心配してるの。ここにいないミケも、隼丸も、フィオも。……アオが、ひとりでいることを」
アオの胸が、また締まる。
「だから、教えて。シェイラは、どう? アオはいつも、どんなふうに過ごしてる?」
アオは、目をこすりたくなるのを我慢した。姿勢を正す。
「寂しいのは、ある。でも……何とかやれてる。勉強も体力も、筋がいいって言われた」
サラが目を輝かせる。
「さすが!」
父さんが、ふっと笑った。
「予定より早く終わりそうだ、とも言われているのか?」
「……うん。順調だって。だから、もっと頑張ろうと思う」
母さんの表情が、少しだけ曇る。
「アオは、頑張りすぎるから。無理はしないでね」
「うん」
父さんが、話題を変えるように言った。
「日常も知りたい。食事はどうだ。何を食べている?」
それが、妙に嬉しかった。心配じゃなく、生活の話をしてくれるのが。
「……もらったパン焼き機、使ってる。白パンを、おやつにしたり」
サラがすぐに割り込んだ。
「えっ、ほんと!? よかった! ちゃんと使ってるんだ!」
母さんが眉を寄せる。
「サラ。今はアオの話」
「ごめん!」
アオは、笑いそうになって、続けた。
「あと……こっちに来て、多分、初めてちゃんと魔獣の肉を食べた。すごい美味しい」
サラがまた勢いよく顔を寄せる。
「魔獣の肉!?昔レイラン行った時、ちょっとだけ食べたけど、色々あってゆっくり食べられなかった! また食べたいと思ってた!」
「サラ!」
母さんの声が鋭くなって、サラが肩をすくめる。
――楽しい時間は、ほんとうに早い。
扉がノックされ、フジワラが部屋に入ってきた。
フジワラは一礼し、静かな声で告げる。
「アオ殿。時間となりました。通信を切らせていただきます」
そして、父さんたちへ向けても、続けた。
「守護長殿。碧殿は、我々が責任をもって安全にお預かりし、英雄として成長できるよう支えます。ご安心ください」
父さんが、深く頭を下げる。
「フジワラ殿。今回は調整、感謝します」
母さんも、目を細めて言った。
「……どうか、アオを、よろしくお願いします」
父さんが最後に、アオへ向けて言う。
「アオ。焦るな。無茶はするな。……だが、進め」
アオは、喉の奥が痛くなるのを堪えて頷いた。
「……分かってるよ。父さん。ありがとう」
光が揺れて、家族の姿が薄れていく。
最後にサラが、口を動かした。
「またね!」
次の瞬間、通信は切れた。
部屋が、急に静かになった。
アオは、椅子の背に少しだけ体重を預ける。
なぜだろう。急に、力が抜けた。
でも、嫌な抜け方じゃない。
守りたい世界。守りたいもの。
それを、確かめられた気がした。
フジワラが、端末を片付けながら言う。
「今後も状況を見て、今回のような機会を設けられればと考えております」
「……ありがとうございます。」
アオは小さく頷いて、立ち上がった。
(まずは、教育を早く終わらせる)
(魔法の制御も、完璧にする)
(強くなる必要は分かっている。
でも――この積み重ねで、本当に世界が滅ぶのを止められるのか。)
一歩ずつでいい。
でも、止まらない。
アオは、もう一度だけ深く息を吸って、扉の外へ出た。




