第四十六話 ナイラ シェイラの朝
柔らかな明るさに、ナイラは目を覚ました。
眩しさはない。
けれど、確かに朝だと分かる。
身体を起こし、しばらく周囲を見回した。
窓の外に太陽は見えない。
天井にも、壁にも、光源らしきものはない。
(……どこが、光っているの?)
昨夜、部屋の中は昼とほとんど変わらなかった。
外の様子と時刻を見て、夜になっていたのだと気づいた。
眠るために暗くした時も、
部屋の中の何が変わったのかは分からなかった。
そして今朝も、同じ感覚が続いている。
ナイラはベッドを降り、部屋の中を歩いた。
天井を見上げ、壁に近づき、手を伸ばしてみる。
何もない。
光は、そこにある。
けれど、掴めない。
理解できないという事実だけが、はっきりと残った。
一度、深く息を吐く。
それから、今日の予定を頭の中でなぞった。
食事。
授業ガイダンス。
施設見学。
最低限の記録用具を確認し、上着の内側に収める。
紙とペンの感触を確かめてから、ようやく気持ちを切り替えた。
控えめなノックの音がした。
「ナイラ様。お時間です」
エリスの声だった。
「……入って」
扉が開き、エリスが静かに部屋に入ってくる。
「もうお起きでしたか」
「ええ」
ナイラは視線を天井から戻した。
「……光源を探していたの。でも、見つからなかった」
エリスは一瞬だけ天井を見上げ、
ほんのわずかに間を置いてから、ナイラに視線を戻した。
「不思議ですが、ここ魔都シェイラではそうなっています」
言い切る声は穏やかで、いつもと変わらない。
分かっているのか、分かっていないのかは分からない。
けれど、少なくとも不便ではない。
そのことだけは、エリスの態度から伝わってきた。
「体調に変わりはありませんか」
「大丈夫よ」
「それは何よりです」
エリスは、必要以上の感情を乗せることなく、そう答えた。
「昨日、ここシェイラでも同年代の碧様とお会いできたことは、ナイラ様にとっても良いことだったと思っております」
「ただ……注意された通り、ナイラ様も碧様も、何かしらの国を代表している立場です」
「個人的な情報を詮索するようなことは、控えてください。お気をつけを」
念を押す声はやわらかい。
「ナイラ様から何かお話する事は、別段問題になることはないと思っております」
「ですが、碧様の都合もありますので。――ご注意ください」
ナイラは小さく息を吐き、視線を落としたまま頷いた。
「……分かっているわ」
「そろそろ、職員がお待ちです」
「食事のとり方をご案内いただき、その後に見学の予定です」
「……分かったわ」
答えは出ないまま、ナイラは上着を羽織った。
部屋を出ると、廊下も同じ明るさに包まれていた。
影が薄く、どこも均一だ。
食堂は、思っていたよりも静かだった。
人はいる。
けれど、ざわめきはない。
「おはようございます。ナイラ様」
「こちらが食堂です」
案内役の職員が、丁寧に一礼してそう告げる。
「環境が変わっていますので、無理はなさらず」
「何かありましたら、すぐお知らせください」
その一言には、形式以上の気遣いが滲んでいた。
「お食事は、言葉でお伝えいただければ提供されます」
「細かな指定は不要です」
説明は簡潔だったが、突き放すような響きはない。
「初日は戸惑われる方も多いので、何かあればお声がけください」
ナイラは頷き、席に着いた。
「……スープと、パンを」
そう告げると、職員は「承知しました」とだけ答え、一歩下がる。
待つ。
音も、動きもない。
数分後、テーブルの上に、いつの間にか器が置かれていた。
「……」
ナイラは、置かれた瞬間を見ていない。
エリスを見ると、エリスも同じように器を見つめていた。
「固定のメニュー、例えばコーヒーや紅茶でしたら、すぐに用意されます」
職員が、補足するように付け加える。
エリスはカップを一つ、テーブルの端に置いた。
「では……コーヒーを」
返事はない。
少し目を離した、その間に。
カップは、満たされていた。
「……今、置いた?」
ナイラの言葉に、エリスは小さく首を傾げる。
「そうですね。今でした」
視線は穏やかだが、
その目もまた、決定的な瞬間を捉えてはいなかった。
スープは温かく、味も穏やかだった。
パンも、固すぎず、柔らかすぎない。
「……美味しいわ」
ナイラはそう言った。
それは、率直な感想だった。
食後、しばらく時間を置いてから、教室へ向かうことになった。
今日は授業ではなく、あくまで案内だと聞かされている。
通路を抜け、扉の前で足を止める。
「こちらが、学習区画です」
職員の声は落ち着いていた。
扉をくぐると、そこには何もなかった。
広い空間があるだけで、机も椅子も見当たらない。
一瞬、用途が分からない。
「本日の授業は行いません」
職員はそう告げてから、少し間を置いた。
「今日は、設備の説明のみです」
その言葉に合わせるように、空間が動いた。
床の一部が、静かに形を変える。
何もないはずだった場所から、机と椅子が現れ、配置されていく。
音はほとんどない。
動きも、急ではない。
まるで、もともとそこにあったものが、
思い出されたかのようだった。
(……これは、どんな仕組み?)
一瞬、そう考えてから、首を振る。
(仕組み、じゃない)
(でも……魔法、だけでもない)
技術と呼ぶには、あまりに自然で。
魔法と呼ぶには、あまりに整いすぎている。
((もしかすると))
魔法が、技術の形をしている。
あるいは――技術が、魔法として振る舞っている。
ナイラは、そう感じた。
「通常の授業では、この状態で行います」
職員は淡々と説明する。
「初回の方には、変化が分かりやすいよう、収納した状態からご案内しています」
続いて、机の上の何もない空間に、文字が浮かぶ。
数式が、立体的に組み上がっていく。
さらに、見たことのない植物。
構造を強調するように回転する、生物の模型。
触れられそうで、触れられない。
「表示内容は記録できません」
「必要な場合は、紙に書き留めてください」
そして、もう一つ。
「持ち帰る資料については、確認が入りますので、ご注意ください」
説明は簡潔だった。
ナイラは紙を取り、ペンを握る。
だが、一瞬だけ手が止まった。
学ぶための場所だ。
同時に、管理されている場所でもある。
今日は、まだ何も学んでいない。
それでも――
ここで、どう学ぶのかは、はっきりと示された。
夕方。
自由時間が与えられた。
「少し、外を歩いてもいいかしら」
「はい。こちらは安全区域です」
エリスと並び、外へ出る。
風はない。
けれど、空気は澄んでいる。
歩きながら、ナイラは今日一日のことを整理しようとした。
光。
食事。
設備。
どれも、説明は受けた。
けれど、理解には至っていない。
ふと、前方に人影が見えた。
昨日の夜、歓迎会の中で挨拶をした少年だ。
短い言葉だったが、妙に印象に残っている。
こちらに気づいたのか、少年が顔を上げる。
ナイラは、足を止めた。




