第四十四話 ナイラ入学
宙舟の影が、街に落ちる。
ここは魔界。
世界で唯一、まだ生きて稼働している魔界の都市。
レイランから“世界樹の入口”をくぐってきた者たちは、皆そう言う。
光が、空から降っている。塔が伸びる。まっすぐではなく、少しだけ曲線を含んだ線で、空へ向かって立ち上がる。
壁面は金属のようなのに艶の奥に、薄い緑――苔や蔦が絡み、建物が“生きている”ように見える。
全てが異質だった。
宙船が到着しタラップが降りる。最初に出てきたのは、護衛。
続いて、随行員。数が多い。十数名――いや、もっといる。
その中心に、ひとりの少女がいた。
ナイラ。
背は高い。十一歳にして、周囲の大人と目線が近い。
肩幅はあるが、威圧感ではなく、骨格の強さとしてまとまっている。
肌は健康的で、髪は黒に近い。瞳は琥珀色で、光を受けるとよく拾う。
――“鬼人”と聞いて想像する荒々しさより、静かに整った、美しさの方が目についた。
少女は一歩、踏み出した瞬間に、呼吸を整えた。
息を吸う深さが、ほんの少しだけ大きい。
(……空気が薄い)
顔色は変えない。
だが、胸の上下がわずかに速い。
重力も同じだ。シェイラは外界より少し重い。
普段なら気にしない階段が、今はじわりと効く。
ナイラは、そこで弱さを見せないために、背筋を伸ばした。
視線を上げ、前を見る。
出迎えの先頭に立った職員が、一歩進み出る。
「アークヴェリア王国、シェイラ特別教育機関。
本日よりアウレア連邦よりお預かりする――セルヴァン・ナイラ殿を歓迎します」
儀礼の言葉が続く。
評議会の者が、短い会釈を返す。
ナイラは、頷いた。
「……光栄です」
声は澄んでいる。
ただ、硬い。
「環境差もございます。
本日は無理をなさらず、まずは休息を」
職員の声に、ナイラは小さく頷いた。
そして、彼女たちは宿泊棟へ向かった。
ナイラは歩き出す直前に、もう一度だけ深く息を吸った。
誰にも気づかれない程度。
(……やっぱり、少し辛い)
***
――その頃。
俺は、教育棟の廊下の端に立っていた。
授業の合間。窓の外の空が、いつもと違う形で賑やかだ。
遠い。
だけど、見える。
宙舟の隊列。
人の列。
警備の厚さ。
(……すごいな)
俺はここに来たとき、式なんてなかった。
必要な手続きだけが済まされて、あとは“教育”が始まった。
視線を滑らせて――護衛の先頭に、見覚えのある体格を見つけた。
ソウマ。
周囲の動線を見ながら、目だけで場を制御している。
目が合った。
一瞬。
ソウマは気づいている。
でも仕事中だ。何事もなかったように指示へ戻る。
(……そりゃ、そうか)
分かっているのに、胸が少しだけ軽くなる。
知ってる人がいる。
それだけで、この場所がほんの少し“ベイラ”と繋がった気がした。
誰かの声が廊下に響いた。
「本日夕刻。ナイラ殿の入学式を執り行います。
続いて歓迎会。形式は立食。
関係者は指定の導線を使用すること」
淡々としたアナウンス。
窓の外では、宿泊棟へ向かう一団が見えた。
中心の少女は、背筋を伸ばしたまま道路を滑っている。
(……あれが、ナイラか)
俺は、ただ見ていた。
***
授業に戻った。
――なのに、頭の端が、ずっと外を向いている。
ロッド先生が、板面を止めた。
「珍しいな。今日は話を聞いてない」
「……すみません」
「いい。戻れ」
それだけで、授業は進む。
胸が、少しだけ熱い。
(俺、浮かれてるのか)
そうかもしれない。
でも、ソウマがいた。
それだけで、今日はいつもと違う。
***
放課後。
会場へ向かう通路の手前は、すでに警備の準備で人が動いていた。
導線の確認。扉の開閉。立哨位置。
ソウマがいた。
短く指示を出し、最終確認の札を返す。
一区切りついた瞬間を見計らって――俺は近づいた。
「ソウマ」
呼んだ声は、思ったより小さかった。
ソウマが振り向く。
仕事の目から、ほんの一瞬だけ“知っている人”の目になる。
「……アオ様。お久しぶりです」
「うん。久しぶり」
それだけで、胸が落ち着く。
ソウマはすぐに周囲を確認し、声を落とした。
「皆、元気です。ご家族も。隼丸殿も変わりありません」
「……よかった」
「食事は取れていますか。パンは」
その問いが、妙に具体的で、懐かしい。
「食べてる。……ちゃんと」
「なら良い。皆さん、心配していました」
ソウマは言葉を選び、続ける。
「……お預かり物があります。
ただし、特別教育機関へ外から持ち込む物は検閲が必要になります。
警護班が帰還し、手続きが済み次第、部屋へ届けることになるでしょう」
「中身は?」
「申し訳ありません。こちらも確認していません。
“誰かのための物”だ、とだけ」
それで十分だ。
あの家の匂いが、一瞬だけ蘇った。
「ありがとう」
「いえ。――本日は式です。ご武運を」
変な言い回しに、俺は少しだけ笑った。
「式に武運って」
「……緊張するでしょう。相手は外交ですから」
ソウマは仕事の顔に戻り、俺も引いた。
ここで長居はできない。
***
夕刻。
入学式の会場は、一般学生が使うという、広い食堂だった。
俺は、ここに足を踏み入れたことがない。
俺は教員エリアの後方――特別教育生の席に通された。
前には評議会。横には職員と先生たち。
その“間”にいる。
厳かな空気。
評議会の一人が壇上に立ち、淡々と挨拶をした。
友好の歴史。交流の意義。
そして――ここでも、ユーリ女史の名が出る。
誰かが、それを誇らしげに語った。
式は進む。
「――本日、アウレア連邦より一名。
ナイラ殿を受け入れる」
名前が呼ばれた。
ナイラが壇上へ上がる。
歩幅は崩れない。背筋は真っ直ぐ。
だけど、息を吸う間が一拍だけ長い。
(……強がってる)
俺はそう思った。
理由は分からない。
ただ、そう見えた。
ナイラが止まる。
会場が静まる。
彼女は原稿を握っていない。
暗記しているのだ。言葉を体に入れてきたのだ。
そして、話し始めた。
「アウレア連邦より参りました、ナイラと申します。
本日このような機会を賜り、光栄に存じます」
「かつて、アークヴェリアより我が国へ渡り、
“ユーリフォース”を体系化されたユーリ女史に――私は、憧れております」
そこだけ、ほんの少しだけ息が揺れた。
「私は、まだ立場も浅く……
ですが、アウレア連邦から、ここアークヴェリアのシェイラへ来て、
科学的な知見を学び、実験と検証を重ね、
自分の成長と――社会への貢献を、目指します」
しっかりしている。
拍手が起きる。
式は終わり、空気が少しだけ緩む。
歓迎会――立食が始まった。
人が動き始める。
言葉の温度が変わる。
職員の顔も、外交の顔から少し外れる。
俺は席を立つか迷った。
行く理由はない。
でも――挨拶くらいは、してもいい。
(挨拶くらいは……)
足が動く。
人の流れを避け、少し遠回りして、壇上を降りたナイラの方へ向かう。
近づくほど、胸の奥が妙に静かになる。
言葉を選ぶ前の、あの感じ。
ナイラはグラスを持っている。
周囲の大人に囲まれ、背筋を崩していない。
笑っているようで、笑っていない。
俺は、最後の一歩を踏み出した。
「――ナイラ」




