第四十一話 仲良くなった
ロッドが今日も迎えに来た。
アオが扉を出ると、自然に隣に並ぶ。
「おはよう、アオ」
「おはようございます」
歩き出す。足並みが揃うのに、もう意識はいらなかった。
「昨日のゲンマの基礎鍛錬、走行を入れてたな」
「……はい。きつかったです」
「だろ。歩き続けるよりは、楽だったか?」
「少しだけ」
それだけのやり取りで、会話は途切れた。
気まずさはない。ただ、朝の時間が流れていくだけだった。
「昼、時間が合えば飯でもどうだ」
「……はい」
「引き続き、ゲンマの基礎鍛錬だな。無理はするな」
「じゃ、後でな」
ロッドは手を軽く上げて、別の廊下へ消えた。
ゲンマの基礎鍛錬の時間は、今日も静かに始まった。
ゲンマは前に立ち、端末も記録も出さない。
ただ、アオの立ち位置と荷の具合を一度だけ見てから、短く告げる。
「昨日は走行を入れた。今日はまた歩行だ」
それだけだった。
速度の指定はない。距離も言われない。
ただ、歩く。
荷は軽くない。だが、意識するほどでもなかった。
肩にかかる感触を確かめながら、足を出す。昨日より、呼吸が乱れない。歩幅も、自然に揃っている。
ゲンマは何も言わない。
止めもしない。
本来なら、途中で姿勢の修正が入るはずだった。
だが、背中は崩れず、重心も流れない。歩調も一定だ。
少し進んだところで、ゲンマが口を開く。
「……そこまでだ」
アオは、思わず足を止めた。
まだ、余裕があった。
だが、言われた以上は従う。
荷を下ろし、呼吸を整える。
「無理をする必要はない」
いつもと同じ声だった。
「今日は、ここまででいい」
理由は説明されない。
だが、次に何をすべきかは、もう分かっていた。
歩くだけの基礎鍛錬は、続いている。
だが、確かに前よりは、楽になっていた。
昼になり、食堂へ向かった。
指定された席に腰を下ろすと、ロッドが少し遅れてやってきた。
「待たせたな」
「いえ」
配膳された食事に目を落とす。
温度も、香りも、安定している。
ロッドが一口食べて、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、ここは外さないな」
アオも、つられるように口を開いた。
「レイランの食材って、美味しいですよね」
思ったより声が弾んで、自分でも少し驚いた。
ロッドが一瞬、意外そうに目を向ける。
「最初、魔獣の肉って聞いてたので……」
「カルドラインが多いから、味が違うのかなって思ってました」
言いながら、皿を見る。
「ベイラでは、あまり食べてこなかったので」
「正直、比べ方がよく分からなくて」
ロッドは、数秒だけ黙ったあと、笑った。
「なるほど。そう来たか」
「……確かに、レイランの食材は美味いな」
ロッドは一口食べて、少し考えるように言った。
「魔獣の肉って聞くと、身構えるだろ」
「カルドラインの影響か、癖が出ることも多い」
肩をすくめる。
「俺はどっちかと言うと、ベイラの肉の方が好みだな」
「脂の味が良い」
少しだけ声が弾む。
「特に牛はうまい」
「外界じゃ流通が少ないから、余計にそう感じるのかもな」
「俺も、最初は外界から来た」
唐突だが、声は軽い。
「ここで暮らすのが、教育の一部だったんだ」
小さく笑う。
「正直、最初は馴染めなかった」
「便利すぎて、落ち着かなくてな」
一拍置く。
「でも、しばらくすると分かる」
「……悪くない場所だって」
言い切らず、フォークを動かす。
「気づいたら、戻ってきてた」
「で、家族もできた」
「アオは、ベイラでは家族と?」
「……はい」
一拍置いて、アオは続けた。
「父さんと母さんと、姉と……」
そこで一瞬、言葉が詰まる。
「……あと、ミケと」
「ミケ?」
「ミケは家で飼ってるケットシーです」
ロッドが頷く。
「それから…………グリフォンなんですけど、隼丸と」
一拍置いてから、少し言い直す。
「……あと、フィオも」
ロッドの動きが、わずかに止まった。
「……そうか」
それ以上、追及しない。
「賑やかだったんだな」
「……今は、一人だな」
「はい」
「……そうか」
それ以上、踏み込まなかった。
だが、声は少しだけ柔らかかった。
「……しんみりさせて悪かったな」
ロッドはそう言って、軽く息を吐いた。
「もうすぐ昼休みも終わりだ」
「午後もある。頑張れ」
「はい」
アオは短く答え、席を立つ。
ロッドはその背中を見送り、少し遅れて歩き出す。
──廊下の角で、声がかかった。
「……ローデリック」
呼ばれて、ロッドが足を止めた。
振り返ると、アヤセが端末を手に立っている。
表情は変わらない。
「この前もお伝えしましたが」
声は淡々としている。
「碧殿に対して、少し踏み込みすぎています」
ロッドは一瞬だけ口を閉じた。
「……すみません」
「悪意がないことは承知しています」
そう前置きしてから、続ける。
「ただ――」
「碧殿の私生活を、こちらから掘り下げることは控えてください」
言葉は、それだけだった。
ロッドは短く頷く。
「分かっています」
アヤセはそれ以上何も言わない。
視線を端末に戻しながら、付け加える。
「念のため、本日の職員会議で共有します」
「碧殿に関しては、雑談の範囲を越えないという確認です」
「了解しました」
それで二人の会話は終わった。
アオは廊下を歩きながら、さっきの時間を思い返していた。
久しぶりに、家族のことを口にした気がする。
父さんと母さん。
サラ。
ミケと、隼丸と、フィオ。
思い出すだけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。
(……話せて、よかった)
アオは前を向き、午後の教室へと足を向けた。




