第四十二話 職員会議
夕方。
シェイラ内部の会議室に、落ち着いた空気が満ちていた。
定例の職員会議が始まろうとしている。
机を囲む教員たちは、すでに着席を終え、端末の表示を最低限に抑えた状態で待っていた。
議長席に立ったのは、ローデリックだった。
「それでは、定例を始めます」
静かな声だった。
「年度の区切りが近づいてきました。今日は、細かい議題に入る前に、簡単な総括を行います」
数名の教員が小さく頷く。
「まず、碧殿についてです」
ローデリックは端末を一度だけ確認し、顔を上げた。
「シェイラに来てから、まもなく一年になります」
その言葉に、場の空気がわずかに引き締まる。
「基礎学習、基礎鍛錬、生活訓練。すべてにおいて、当初の想定を大きく上回る進捗を見せています」
淡々とした報告だったが、内容は重い。
「特に基礎学習については、理解速度が非常に速い。単なる能力差だけでは説明しきれない水準です」
言い切らず、少しだけ間を置く。
「基礎教育の進捗自体は、計画通りです」
ここで、数名の教員が視線を上げた。
「ただし――その進度が、想定していた上限に近づいている」
誰かが小さく息を吸う。
「このまま進めば、基礎教育を終えた後の時間配分について、再確認が必要になります」
「一方で、身体面および生活訓練については、当初の方針を維持しています」
声の調子は変わらない。
「年齢相応を逸脱させない。無理をさせない。そこは今後も変えません」
端末を操作し、視線を一度、会議室全体に向ける。
「総じて言えば――よくやっています」
短い言葉だった。
「そして、計画を見直す段階に入った、という評価です」
それで、一区切りがついた。
数秒の沈黙のあと、別の教員が軽く頷く。
異論は出なかった。
その沈黙を破ったのは、アヤセだった。
「一点、確認させてください」
淡々とした声。
感情の揺れはない。
「これまで何度か共有してきた内容ですが、改めてこの場で線を引いておきたい」
視線を端末に落としたまま、続ける。
「碧殿に対して、教員側が踏み込みすぎないこと」
簡潔な一文だった。
「善意であっても、距離を誤れば問題になり得ます」
説明はしない。
理由も語らない。
「最近、その距離がやや近づいている事例が見受けられました」
アヤセはそこで言葉を切る。
「ここで一度、確認しておきたい。それだけです」
注意でも叱責でもない。
事実の提示に近い。
ローデリックは、短く頷いた。
しばらく沈黙が続いた。
誰も口を開かない。
それで十分だった。
フジワラは、ようやく端末から視線を上げた。
「今の話で、足りているな」
そう言って、軽く頷く。
誰かに向けたというより、場そのものに向けた仕草だった。
「碧殿の成長が想定を超えていること自体は、今に始まった話ではない」
「問題は、その後だ」
視線が、会議室をゆっくりと一周する。
「一人の教員が主に見る段階は、もう過ぎている」
「それだけだ」
ローデリックの方を見ることはしない。
名も出さない。
「これからは、全員が同じ距離で関わればいい」
「必要な配慮は、組織として行う」
一拍置いて、言葉を続けた。
「今回の件は、誰かを責める話ではない」
「想定していた切り替えが、少し早まった。それだけだ」
そのまま話題を切り替える。
「来年度の予定について、一点だけ」
端末を操作し、表示を確認する。
「アウレア連邦から、一名」
「詳細はこれから詰める。今日は覚えておけばいい」
端末を閉じる。
「各自、これまで通りで構わない」
「ただし――今まで以上に、扱いには気を配ってくれ」
それだけ言って、椅子に深く腰を下ろした。
会議室の空気が、自然とほどける。
翌朝。
シェイラ内部の通学路を、アオは歩いていた。
いつもと同じ時間。
いつもと同じ道。
ただ、隣を歩くロッドの様子が、少しだけ違う気がした。
「おはよう」
「おはようございます」
挨拶を交わし、並んで歩く。
しばらくして、ロッドが口を開いた。
「昨日の会議でな。少し注意を受けた」
冗談めかした調子だが、誤魔化す気はなさそうだった。
「今日から、俺は担任役を外れる」
アオは、一瞬だけ足を止めかける。
「……俺のせい、ですか」
「違う」
即答だった。
「もともと、生活に慣れるまでのフォローと、個別の補助が目的だった」
歩調を緩めずに続ける。
「どっちも、もう必要ないって判断だ」
少し間を置く。
「授業も評価も、変わらない。変わるのは……朝夕の付き添いがなくなるくらいだ」
軽く肩をすくめる。
「年齢を考えれば、異例だけどな」
小さく笑った。
「それだけ認められた、ってことだ」
アオは黙って歩きながら、その言葉を噛みしめる。
迷惑をかけてしまったかもしれない。
そんな気持ちが、胸の奥に浮かぶ。
けれど同時に、分かってしまう。
自分が、少しだけ先へ進んだということも。
(……もっと頑張らないと)
早く終わらせたい。
胸を張って、次へ進みたい。
アオは前を向き、いつもの教室へと足を運んだ。
静かに、新しい段階へ向かって。




