第一話 神域ベイラの朝
──何か、大切なものを失う夢を見ていた気がする。
悲しかったはずなのに、目を開けた瞬間、全部が霧みたいに消えてしまった。
ここはベイラ。
森と光に守られた、神域と呼ばれる特別な場所だ。
外の世界とはちがう──ここだけは、ずっと“安全で変わらない場所”なんだと、みんなが言っていた。
家の壁は、朝になると金色に光って、
床には青い線がふわっと浮かぶ。
むずかしい理屈は分からないけど、
“この家は生きてる”って言われると、なんとなく納得してしまう。
(……どういうことだ?)
今日は、ぼくの五歳の誕生日だ。
わくわくして飛び起きた瞬間──
クローゼットがぽん、と勝手に開く。
今日の服がふわっと宙に浮かんで、
ぼくの前まで泳いでくるみたいに近づく。
「……えへへ、ありがとう」
袖がぼくの手を探してきて、じっとしているとひとりでに着せてくれた。
誕生日だから、服もいつもより少しかっこいい。
そして、服を着終えた瞬間──
「おはようニャ、アオ!」
足元にふわっと柔らかい重み。
ケットシーのミケが、ぼくに抱きついてきた。
「ミケ、びっくりするよ」
「今日はアオの誕生日ニャ! 起きるの、ずっと待ってたニャ!」
「ミケのほうが楽しみにしてるんじゃない?」
「してるニャ!!」
尻尾がぴんと立つ。かわいい。
その瞬間だった。
家の外壁が“すうっ”と透けて透明になり、
朝日を背負った大きな影があらわれた。
「……隼丸?」
黒と金の羽毛が光り、獅子みたいな体。
ベイラを守る唯一の戦力──グリフォンの隼丸だ。
家には入れないから、
いつもみたいにテラスに顔だけ近づけてくる。
「おはよう、碧。今日は早いな」
「今日はぼくの誕生日だから!」
「知っている。守護長どの──お前のお父さんが昨夜からずっとそわそわしていたぞ」
隼丸の目の端がすこし上がる。
……絶対、笑ってる。
ミケが口をとがらせながら言った。
「もっとふつうに『おめでとう』って言うニャ……!」
「祝うべきことは祝う。それだけだ。……おめでとう、アオ」
「うぅ……そういうところニャ……」
拗ねたミケの声が、なんだか可愛い。
そのとき──ふわっと甘い匂いが鼻をくすぐった。
パンの焼ける香りが、ゆっくり家の中へ広がってくる。
「アオ、もう起きてたの?」
透明の壁が消え、お母さんが立っていた。
漆黒の髪が朝の光を受けてゆれ、とても美しかった。
「……おはよう、お母さん」
「誕生日だもの。早起きしちゃうわよね」
お母さんの耳がぴこっと揺れる。嬉しい時の仕草だ。
「アオー! こっちこっち!」
手を振っているのは姉のサラ。
七歳でしっかりしてるのに、笑うと急にやわらかくなって、ぼくはなんだか安心する。
部屋の隅では、幼いグリフォンのフィオが
藁の巣ですやすや寝ていた。
「朝ごはん! すごくいい匂いする!」
「ええ、誕生日ですもの」
「アオー! 今日は街に行くぞ!」
エプロン姿で、お父さん(守護長・常長)が登場した。
ぼくは「お父さん」、サラは「パパ」、
隼丸や守護隊は「守護長どの」と呼ぶ。
同じ人なのに呼び方がいっぱいあって、
なんだか別の人みたいで、不思議だった。
「食べたいもの、見たい劇、欲しいもの──全部言っていいぞ!」
「パパ、声おっきい……!」
「誕生日だからな!!」
サラが笑い、ミケがぴょんっと椅子に飛び乗る。
「ミケもアオと同じもの食べるニャ!」
「ミケ、それ毎日言ってるよ?」
「誕生日はもっと特別ニャ!!」
朝食は、パンがふわっと浮いて皿に乗り、
スープが勝手に注がれる。
楽しく食べていると──
お父さんがふっと真顔になった。
「……お父さん?」
「ああ、ちょっと仕事のことだ」
お母さんも少しだけ眉を寄せる。
「最近、レイラン地区で……魔獣が増えていてな」
魔獣。
よく分からないけど、胸がひゅっと冷たくなる単語。
「隼丸を呼べばいいニャ! 全部やっつければ──」
「そう簡単ではない」
隼丸が静かに言った。
「私が飛べば、一つの危機は消える。
だが、空を翔ける時間――その間、誰も守れぬ土地が生まれる。
強き者ほど、守りきれぬものが増える……そういうものだ」
その声は、風のように静かで、重かった。
ぼくは分からない。
でも、隼丸の声の重さだけは、胸に落ちてきた。
お父さんはぼくの頭をそっとなでる。
「アオ。心配いらんよ。
金獣や黒獣が来ても、
お父さんは守護長だ。何があってもお前たちを守る。」
「……うん」
サラが肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、アオ。パパは強いから」
それを吹きとばすように、お父さんが手を叩いた。
「よし! 誕生日だ! 今日は街で遊んで食べて、全部だ!」
「全部は多いニャ!」
「全部やる!」
「やるニャ!?」
隼丸が大きく翼を広げた。
朝日で羽が光って、とてもかっこいい。
「良い一日になりそうだな、アオ」
「うん!」
家族がいて、ミケがいて、隼丸がいて、フィオもいて。
ぼくは思った。
──この朝が、ずっと続けばいいのに。




