プロローグ 英雄が死んだ日
──歓声が割れていた。
トラックが揺れるほどの、人の波。
スタジアムは光と熱気に満ち、実況席が叫んでいる。
「人類未踏のありえない記録だッ!!
十種競技で──一万一〇〇〇点!!
人類よ、これが“限界突破”だ!!」
持ち上げられ、抱えられ、手を振られ、
カイルはただ呆然としていた。
(……ああ、これ、夢だな。)
わかっているのに、気持ちよすぎて目が覚めない。
インタビュアーがマイクを突き出してきた。
「この喜びを誰に伝えたいですか?」
「え、あ、はい……いつも支えてくれた皆とか……」
(めっちゃ普通の返しじゃね俺)
観客が笑い、場が和む。
──そして目が覚めた。
天井は暗く、布団は湿って重い。
グレーの軍用照明が、虚しく点滅していた。
「……またこれかよ。オリンピックなんて、十年前だぞ。」
第三次大戦。
英雄扱い。
前線送り。
称賛とプレッシャーの果てにあるのは
「守れなかった」という後悔だけだった。
「……任務行くか。」
装備を肩にかけ、外へ出た。
合流地点には、昔からの仲間が立っていた。
「よー、英雄サマ。今日も立派に国を救ってくれんだろ?」
軽口……のはずなのに、声に棘がある。
「あ? どうした、機嫌悪いな。」
「悪いに決まってんだろ。」
一歩、また一歩。
目が血走っていた。
「なあ、“英雄”。
お前の判断で助かった人間も、国も……確かにあるよ。」
嫌な汗が背中をつたう。
「でもよ──
俺の街は消えたんだわ。
お前の“正しい”戦略のせいで、全部燃えた!」
胸倉を掴まれた。
「俺の家族は全員焼けた!!
お前の判断のせいでだ!!」
突き飛ばされた瞬間、背中に強烈なヘッドライトの白い光。
(……やべ──)
世界が横に弾ける。
トラックのクラクション。
衝撃。
地面が遠ざかる。
視界の端で誰かが男に飛びかかり、銃声が響いた。
音が水の中みたいに遠のいていく。
(あー……死んだな、これ。)
◆
真っ白な空間だった。
境界のない白さの中、ふわふわ浮いているような感覚。
そこに“声”が響いた。
「──よお、英雄。
敬意を表して、選択肢をくれてやろう。」
めっちゃ態度デカい。
「え……誰?」
「名乗るほどの存在じゃねえな。
わかりやすく言うなら──転生担当窓口だ。」
軽っ。
「さて、英雄よ。
次の生でも足掻きたいか?
それとも、静かに余生を送りたいか?」
「……え、転生って、なろう系かよ。」
「ああそうだ。お前ら流にいうと“なろうテンプレ”だな!」
本人が言うなよ。
「ただし忠告。
次の世界は──端的に言えば“詰んでる”。
表面は平和でも、裏では滅びに向かう仕組みが完成してる。
英雄が出なきゃ文明ごと終わりだ。」
言い方は軽いのに内容が重い。
「一応、一抹の希望だけは残しておいた。
もし“足掻く”気があるなら──それ全部、お前に託すわ。」
「いや、勝手に託すなよ。俺は……」
転生担当の声がクイッと割り込む。
「安心しろ!
英雄扱いされるかどうかは、お前次第だ!」
そこで、ひょいともう一つの選択肢を投げてきた。
「……でだ。もし“足掻く”のが嫌なら──
静かに生きる道もある。」
「静かに?」
「そうだ。滅びと重ならない時期に転生させてやる。
そこそこ平和な土地で、家族作って畑でも耕して暮らすとか。
あるいは文明の残り火の中で、誰にも邪魔されず余生を送るとか。
お前の人生は、お前のものだ。」
言葉は軽いのに、そこだけ妙に優しかった。
「……そういうのも“あり”っちゃありだろ?」
たしかに魅力的だ。
戦争も、責任も、誰かを救えなかった後悔も、何一つ背負わなくていい。
(……でも俺は……)
胸に浮かんだ後悔の影が答えを形にする前に、転生担当がニヤッと声を明るくした。
「まあ、足掻くほうを選ぶなら──
“いわゆるチート的な何か”も、多分つくと思うぞ。
戦いに役立つかもしれんし、生活に便利かもしれん。……知らんけど!
まあ楽しみにしてろ!」
「お前が知らねぇのかよ!」
「転生ってのは仕様が複雑なんだよ!
細けぇことは向こうで確認してくれ!」
(軽いけど重いなこいつ……)
沈黙。
カイルはゆっくり息を吸った。
守れなかったものが多すぎた。
諦めるものが多すぎた。
焼け跡で、少し前まで生きていたはずの小さな影に謝る事しか出来なかった。
もう後悔はしたくない。
「……もう一度、守りたい。
足掻くってんなら……やってやるよ。」
声が愉快そうに笑った。
「おう、それでこそ“英雄”。
じゃ、行ってこい! 次のステージへ!」
世界が白い閃光に包まれた。
◆
次に聞こえたのは、
やさしい女性の声。
「……よく来てくれたね、碧。」
そして──
小さな産声が新しい世界を満たした。
英雄だった男の第二の人生が、
ここから始まった。




