第十七話 家族であるということ
食卓を片づけ終えると、父さんは静かに姿勢を正した。
「サラ、アオ。
二人とも……こっちへ来てくれるか。話がある」
その声音は、いつもの優しさの奥に、わずかな緊張を含んでいた。
サラはきょとんとしながらも、椅子から降りて父さんのそばへ歩み寄る。
俺もその後を追った。
父さんはしばらく言葉を探すように沈黙し──
ゆっくりと、サラの目を見つめた。
「サラ……ひとつだけ、どうしても言わなきゃいけないことがある」
父さんは、すぐには続けなかった。
サラの目を見たまま、数拍。
その沈黙だけが、部屋に残った。
「アオのことは……
お前が思っているより、ずっと重たい話なんだ」
サラは、戸惑ったように瞬きをする。
「……重たい、って……?」
父さんは一度、口を閉じる。
視線がわずかに揺れ、それから口を開いた。
「アオは……お前と同じように大切な家族だ。
それは、この先も変わらない」
「でもな……サラ。
アオには“特別な道”がある。
どうしても進まなければならない道だ」
前置きのように聞こえた。なぜか胸の奥が、わずかにざわつく。
サラは眉を寄せる。
「……特別って、どういう──」
父さんは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
それから、静かに息を吸った。
「アオはね……お前とは血がつながっていない。
ただ、それは“家族じゃない”という意味じゃない。」
サラの表情が固まった。
時間が止まったみたいに、瞬きもしない。
「……え?」
辛うじて漏れた声は、ひどく小さかった。
サラ自身、その意味を掴めていなかった。
血がつながっていない。
言葉は分かる。
でも、それが何を変えるのかが、まだ分からない。
父さんは続けた。
「母さんも父さんも、アオをお前と同じように愛してきた」
そこで父さんは、いったん言葉を切った。
「……だからこそ、今まで言えなかった」
サラの喉がかすかに震えた。
「……なんで……今、そんなこと……」
「言わなければならない理由があるんだ」
父さんの声は穏やかだけど、悲しみがにじんでいた。
「アオには……ここでは進めない道がある」
サラが、反射的に聞き返す。
「……ここじゃ、だめなの?」
「ベイラでは学べないことがある。
だから……外へ出る必要がある」
少し間を置いて、父さんは続けた。
「行き先は……シェイラだ」
サラは息を呑む。
「でも、シェイラって……ベイラと全然ちがうよ……。
そんなところに行って……通えるの?
毎日、帰ってこれるの……?」
父さんは首を横に振った。
「しばらく……長いあいだ、家を離れる。
会えなくなるかもしれない」
「──っ」
サラの目に涙がたまった。
「どうして……どうしてそんなの……!」
父さんはサラの肩に手を置こうとしたが、サラは一歩だけ後ずさった。
「でもサラ……」
「それでも、伝えなければならない時なんだ。」
「アオは帰ってくる。必ずだ──
その時に胸を張って迎えてやってほしい。
お前には……サラのままでいてほしい。」
その願いは真剣で、優しくて、痛いほどに本気だった。
けれどサラには、まだ届かない。
父さんが俺を見る。
(……言え)
その目が、俺にそう告げていた。
サラの視線が揺れながら俺に向く。
涙の奥に、混乱と不安と、少しの期待が混じっていた。
胸が痛い。
でも逃げられない。
「サラ」
俺はひと呼吸置いて、言葉を選んだ。
「サラにだけは、自分の意思で伝えたい」
サラがわずかに息を呑む。
「俺……この家を出るんだ。
シェイラで、特別な勉強をするために」
サラの唇が震える。
「……勉強って……そんなの、ここでもできるじゃん」
「ここじゃ……だめなんだ。
俺が進むって決めた道だから」
サラの表情が歪む。
「……“決めた”?
いつ? いつそんな大事なこと……私、聞いてない……!」
胸が締めつけられる。
「ごめん。
ほんとは、もっと早く言うべきだった」
「……っ」
サラの涙が、ついにこぼれ落ちた。
「じゃあ……本当に……帰ってこないの?」
「必ず帰ってくる。でも──」
言いかけて、喉がつまった。
けれど言うしかない。
「たぶん……長く帰れない」
サラの世界が、音もなく崩れたようだった。
「……ひどい」
そのひと言は、小さくて、震えていて、重かった。
「お父さんとお母さんも……アオも……
みんな、ずっと隠して……私だけ知らなくて……」
「違う、サラ。隠したかったわけじゃ──」
「じゃあ何なの!?
私っ……アオと一緒に学校に行けるって……
ずっと、ずっと楽しみにしてたのに!」
涙がとめどなく溢れる。
「血が繋がってないって……そんなの……
どうして今日いきなり言うの……!?
どうして……どうして私だけ……!」
部屋の空気が一瞬で冷えた。
俺も、父さんも、母さんも、言葉を失う。
サラは震える声でつぶやいた。
「……もういや……みんな……嘘つきだよ……!」
そして、父さんの手を振り払うと──
サラは駆け出し、そのまま部屋を飛び出した。
呼び止める声は、誰ひとり出なかった。
出せなかった。
静まり返った家の中に、
サラの泣き声だけが、遠くに響いていた。




