第十話 暗い気持ちの理由
事故から、一週間が過ぎた夜だった。
サラはもう寝ている。
ミケも丸くなってる。
家は、いつもより静かだ。
理由は分からない。
でも、ここ数日、
胸の奥が沈んだままの日が続いている。
「アオ」
父さんの声。
低い。いつもより、ほんの少し。
「ちょっと……来てくれるか」
振り返った瞬間、胸がぎゅっとした。
父さんと母さんが並んで立っていた。
目の奥だけ、決まった目。
(やだ。今じゃない。まだ整理できてない)
でも、足は勝手に向かう。
逃げたいのに、逃げられない。
父さんの部屋。
扉がゆっくり閉まる音。
光がやわらかく残って、影だけが濃い。
「座ろうか」
母さんは椅子に座り、手を重ねている。
責める空気じゃない。けど「普通」じゃない。
喉がつまる。
母さんが先に口を開いた。
「アオ。この前は、よく頑張ったね」
宙船、枝、落下。
右手の熱。
「こわかったでしょう?」
(言いたくない。怖いって言ったら、全部出てしまいそう)
「……こわかった。でも、サラが無事で、よかった」
口が言った。
僕じゃなくて“口”が。
(ああ、まただ。止まらない)
父さんは少し笑うような顔をした。
「そうか」
父さんの声は、落ち着いている。
「アオ。今から話すことに、正しい答えはなくていい。
うまく言えなくてもいい。わからないって言ってもいい」
「……うん」
(聞いてほしい。けど、全部じゃない。どう言えばいい?)
「事故のあと、考えてることがあるんじゃないかと思って」
父さんの声は探らない。
「知りたい」というだけ。
母さんがそっと言う。
「順番じゃなくていいの。思いついたところからでいい」
(順番……崩したら、奥が出る。出したくない。やめたい)
でも出る。
「……右手が、まだ熱い」
ぽろっとこぼれた。
「火、触ってないのに。ここだけ、あの時みたいで」
父さんと母さんの目が、僕の右手を見る。
怖がらない目。
「他には?」父さん。
(言いたくない。これ以上出したくない)
「サラが……無事でよかった」
さっきと同じ言葉。
でも胸の奥に違う重み。
母さんが息を吸う。
「そう思ってくれたのね」
「……うん」
父さんが、静かに問いかける。
「それだけか?」
(“それだけじゃない”って知ってる声。もう隠せない)
喉の奥に、別の塊がある。
ずっと押し込んでたやつ。
「……すごかったって思った」
(言うな。やだ。怖い)
「守れた。うれしかった。けど……こわかった」
父さんも母さんも、何も言わない。
ただ聞いてくれる。
(助けてほしい。止めたい。でも止まらない)
「アークヴェリア人は……魔法使えないって聞いてたのに……ぼくは、使えた」
言った。
言いたくなかった言葉。
「止めたら、止まった。……なんで?」
呼吸が浅くなる。
「夢で、誰かに……“がんばれ”って言われた気がする」
(もっとぼかせ。お願いだから)
「世界がどうこう、とか……変な言葉も聞いた気がする」
父さんも母さんも、驚かない。
受け止める顔。
(その顔が一番こわい)
「……それで、もっとこわくなった」
父さんの声。
「どこが?」
「世界が終わるとか、そういうことか?」
首を振る。
(言わなくていい。黙ってていい。お願い、止まって)
でも、言葉が出た。
「それは……まだ遠い」
「一番こわいのは……」
喉がしぼんで、でも開いた。
「ぼくが……お父さんとお母さんの子じゃないかもしれないって……思ったこと」
空気が、ぴたりと止まった。
(やだ。言いたくなかった。戻せない)
「魔法使えるのおかしい。別の記憶がある。
誰かに違う名前で呼ばれた気がする」
声が震える。
(助けて。止まりたい。止まれない)
「……子どもじゃなくなるのが、一番こわかった」
涙が落ちる。
「もし違う何かだったら……ここにいちゃいけないのかなって」
母さんが立ち上がる。
ぎゅっと抱きしめられた。
「アオ」
母さんの声は、やさしくて、静かだ。
「何があっても、アオはアオ。私たちの子よ」
父さんの声が重なる。
「どこから来ても、何ができても、それとは関係ない」
(信じたい。ほんとは信じたい)
「……ほんとうに?」
幼い声だった。
父さんは即答した。
「ああ。何度でも言う」
母さんも頷く。
「何回でも聞いてね」
(助けてほしかった。ずっと)
涙は止まらない。
でも、呼吸がゆっくり整っていく。
そして——
父さんと母さんが、目を合わせた。
言葉のない時間が落ちる。
嫌な静寂。
何かが始まる前の気配。
父さんが低く言った。
「……母さん。話そう」
母さんが、小さく頷く。
その声は、昨日まで知らない響きだった。
胸の奥が、ひゅっと冷える。
でも、どこか熱い。
(聞きたくない。
……でも、聞きたい。
助けて)
父さんが、息を吸った。
母さんが椅子を引く音。
まだ何も知らない。
でも、もう戻れない。
父さんの口が、ゆっくり開いた。
「アオ……」
──ここから先は、もう普通の夜じゃない。




