表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刀闘記  作者: 燈海 空
血風緑輝 篇
108/109

ー玖ー


「りん……。みん……、ナ」


 悪魔は女の子すわりをしている。背骨が抜けたような猫背だ。


「やる気がないなら、ここであんたを見張ってろ、それくらいできるだろ、って甲斐那には言われた。わたしはなーんにも乗り気じゃない。白魔の力をもらったら、それで満足をしてしまった。食べず、飲まず、寝ることもせず。感情もなくなる。メンテナンスのいらないロボットみたい。三大欲求にしばられず、思う存分に推しの動画やアニメを観れる。都合のいいカラダ」


 けほ、けほ、と月音は軽いせきをした。

 ほこりが喉をくすぐったようだ。


「でも、感情を失ったから……」唾液を飲みこんで、喉を整える。「いくら好きなアニメを観ても、楽しくないの」


 月音が片手に持っているウサギのぬいぐるみは、腰から下を床につけて脱力をしている。なんのために、いまもこのウサギを握っているのか、たまにわからなくなる。気分を落ちつかせるためにあるこれは、白魔になった時点で無縁のはずなのに。


「闇の魔法使いが、シキとりん、とかいう、わんことゴスロリと闘っている。安東の思念しねんが、わたしに流れてきて、さっきからすごくうっとおしい。甲斐那の思念も濃い。あいつ、ずっと笑ってる。テレパシー強制受信機能とか不要です。ひとりになりたいから白魔になったのに、孤独感が皆無なのです……」


 月音がこぼすと、鎖の音がじゃらじゃらとうるさく鳴いた。悪魔が暴れだした。いますぐにこの牢から出してくれ、と、人間だったら言葉にできるだろう。牢の内側から聞こえる声は、獣の呻きと変わらない。


「殺されるかもね。あのインテリ金持ち強いから」火に油を注ぐように、鎖の音が激しくなる。「わたしは気まぐれ。だれかの思い通りになるのがいや。裏をかいて、びっくりさせてやりたい。きらいなやつなら、なおさら」


 そう言いながら月音は、ありもしない自分の心に違和感を感じた。


「ああ、そうだ……。いまはだれのこともきらいじゃないの。心がないから。金持ちのインテリはきらいだ、と人間であったころの自分なら、思ってたかもしれない。そういう意味です」


 月音は椅子から立ちあがった。鉄格子のそばに近づく。暴れる悪魔の唾液だえきが服にかかった。腰から鍵を取り出して、牢を開ける。このまま中に入って拘束具を外そうとしても、その作業中に怪我をしてしまいそうだ。暴れる悪魔には近づかないほうがいい。


「よーく、狙って」


 月音は深く息を吸い、悪魔の手足をつなぐ拘束具を凝視ぎょうしする。


凶響きょうきょう砕壊さいかい……」口元から空気を漏らさないように、術を唱える。息を溜めて、肺を目一杯までふくらませた。「くだけろ!」


 湿った室内に月音の叫びが反響して、二回はこだました。


 同時に、金属が破裂したような音も室内に響いた。悪魔をつないでいた拘束具が砕け散っている。ハンマーで叩かれたガラスのように、黒鉄が粉々になってしまった。


「われながらよくねらった。肉を傷つけないように、拘束具だけをねらった。感謝の念は、勝手にもらっておきます。あとはご自由にどうぞ、溯乃宮理子そのみやりこ氏。こちらのひとりごとをしずかに聞いてくれたお礼、かもです」


 月音の横を、よれよれの悪魔が通り過ぎてゆく。ところどころが赤黒い床を裸足で歩くたび、ぺたぺたと音が鳴る。嵐にあおられる船の上みたいに、歩き姿勢が定まらない。頭がおもり玉になったみたいにふらふらする。廊下の壁のいたるところに、肩をぶつけながら進んでいる。


 それでも目的は明確だった。五メートルほど廊下を歩き、奥にある階段を登って、悪魔のすがたをした理子が去ってゆく。穴の空いた黒い翼が、月音の視界のなかで遠くなる。


「だれにも縛られる必要なんかない。心は自由。どこまでも」


 理子を見届けてから、目を閉じる。

 すう……、と息をつく。


 白い棒のような足をぎこちなく動かして、月音も地上への出口に向かう。親からは、もっとちゃんと歩きなさい、とよく言われたものだ。


 階段を登りきり、地上の空気で肺を満たした。空には、黒い点がひとつ飛んでいる。後ろを振りむいて、城のような建物を見上げる。ここは、カナンの裏手だ。


「地下の湿った空気より、外のほうがいいに決まってる。わたしの家の空気も、この地下室と似たようなものだった」


 白魔になってからも、胸に大きな穴が空いている。五時間ごとに、その穴に風が吹く。かなしみの風なのか、むなしさの風なのか。心を失った月音には、その判断ができずにいる。


 もしいまも人間として生きていたら、心に風が吹いたときは泣き散らして、喚いて。中学生のころから繰り返していた自傷をしていた。白魔になってすぐに、腕にあった無数の傷痕きずあとは消えた。


「不安も、恐怖も、五時間ごとにおそってきた。耐えられるときは、耐えられる。でも一日のうちに何度か、耐えられないほどの動悸どうきにおそわれた。しんどすぎて、腕に傷をつくって、苦しい時間をごまかした。親はわたしに金をかけたくないから、医者の顔を見たことすらない」


 ただ、懐かしい風が、

 時折、胸の穴に吹くだけ。

 時折、なにかを思い出すだけ。


「月のお小遣いは千円だった。不登校なんだから、遊ぶ友達もいないんだから、それで十分でしょって親は言っていた。月額六〇〇円の定額チャンネルに登録して、好きなアニメも、そうでないアニメも、食い散らかすように観ていた。それで命を繋いでいた——なんて、過去の話です」


 ・…………………………・


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ