ー捌ー
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じめじめとした暗い地下室には、西洋の拷問器具がところせましと置かれている。棘だらけの椅子。腕や頭を切り落とすためのギロチン、あるいは、そうするぞと脅すために置いてあるのか。血だらけの縄と、刃の欠けたノコギリも、よくない想像をさせるばかり。
「はあ……、帰りたい」
錆びた鉄の椅子に座る、卯の白魔——藍澤月音は天井を見上げた。蛍光灯はない。金属の皿に立つ蝋燭が、壁に何本かあるだけだ。その頼りない光が、ただでさえ不気味な雰囲気を強調させる。月音が座る椅子は、この地下室でゆいいつ棘が生えていない椅子だ。
「推しの動画、観なくちゃ……。ありもしない心が、死ぬ」
そう言ってスマホを取り出した。右手の親指で側面のボタンを押し、液晶を起こす。ぼんやりとしたバックライトの光。薄暗い地下室では、むしろ眩しいと感じる。
「圏外……」
月音は足元に目をやる。骨のように細い自分の脚が、いまにも折れそうな気がした。白と黒のボーダー生地に、フリルがついたスカート。肩が寒い。赤色のノースリーブを着てきた自分がわるい、という結論。
「寒い、か……」
ため息がもれた。スマホを持った右手をだらりとおろし、入れ替えるように、左手を持ちあげる。ウサギのぬいぐるみが視界を支配した。長い両耳を束ねるようにして、片手で握る。いつもおなじ場所を持つから、おなじ場所が黄ばんでいる。
ぬいぐるみは綿の詰まった胴から、指の無い円柱形の四肢をぶら下げている。この腑抜けたすがたは、自分にそっくりだ、と月音はいつも思う。だからこそ癒される。自分とおなじようなものが、いつもそばにいるから。
しゃべらないことが、いかに平和なことか。
自分をさらけ出すから、否定される可能性が生じる。自らの不注意によって、相手を傷つける場合もある。だからしゃべらない。生きるために必要なこと以外——たとえば買い物で使う「はい、いいえ」などの基本的な言葉以外は、なるべく口にしたくない。ひとりごとは別だが。
「白魔になれば、感情がなくなるって聞いたのに。なんだろ、この、もやもやした感じ」
月音は椅子をうしろに傾けた。踵で、ぎゅ、ぎゅ……、と床を押しつけ、ロッキングチェアのまねごとをしてみる。三十キロ弱の体重では、椅子がきしむ音すらしない。
「殺戮欲求はある。でも、母さんも父さんも殺したし。しばらくは満足していられるはず。声だけで、骨のかけらも残らないくらいの粉砕ができるなんて。ほんと、卯の白魔は至高です。白魔中最強なのでは? やる気は最弱ですが」
椅子をぐらぐらさせながら、首を真っ逆さまに反らした。そうしたのは、物音がしたからだ。金属の鎖が、タイルの床を擦る音がする。
逆さになった視界に牢屋の一室がおさまった。錆びた鉄格子の隙間は腕が通るほどの幅しかない。
さっきから、鉄分のにおいがする。
それは血のにおいか。
それとも錆のにおいか。
「あんたも、人を殺したくなったの?」
月音は、牢屋のなかにいる人物に話しかけた。
相手は、うう……、とちいさくうなる。
両手両足に枷をはめられている。枷からは鎖が伸びており、鎖は壁のほうへ。壁の金属板一枚に対して、四本の太い杭。そして金属板には、強力な溶接によって、半切りの鉄輪が合体している。
何者かを拘束する鎖は、鉄輪にきつく巻きついたまま離れる気配はない。人の筋肉で、この厳重な拘束を解くのは、まず無理だ。
やりすぎとも思える拘束。
それをしなければならない理由は、ふたつあった。
ひとつは、拘束されている女性が悪魔だから。
ふたつは、その女性が黄泉巫女の純血だから。
貴重な存在、逃げてほしくない——それがこの状況をつくった甲斐那の想い。
牢に捕らえられた悪魔が、背中に生やす漆黒の翼にも、大きな鉄輪が噛ませられている。その鉄輪から伸びる鎖をたどると、丸まった子熊ほどの大きさの鉄球がある。
翼がふたつあるから、鉄球もふたつだ。
鉄球は、悪魔の体重よりも重い。
「そこまでしなくてもねぇ」月音は言った。「へんな趣味」
「し……、き。りん……」
女の不協和音が、儚げな声で言った。
「それってあんたの家族?」
だらだらと揺れていた椅子をぴたりと止めて、月音はあることを考えた。
「甲斐那が悔しがる顔——見るのもいいかもねぇ。天魔さまには殺されるだろけど、こちとら死んでもいいし」




