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刀闘記  作者: 燈海 空
血風緑輝 篇
106/109

ー漆ー


 安東の声がすごくきらいだと、凛は思った。人を見下すような音を、しゃべるたびに口から発している。


「本気を出してみよう。白魔がなんたるかを、全身で感じてから死ぬこと。それが、おまえらにできる最後の礼儀だ」


 安東は立ったまま上体を深くかがませる。スーツの背中がビリビリと破け、白い翼が大きさを増した。さらに、いきむように声をしぼってから、上体をぐわりともどす。


 迫力を増した翼を大きくあおぐ。生ぬるい風圧が生じて、空気がよどんだ。凛は銃を撃つ。片翼を盾のように広げて、安東は身を守る。弾は翼にはじかれ、金属に当たったのとおなじ音を鳴らした。


「硬い……? どうしよう、あの翼、弾も炎も、効かない」

「遠距離から攻めるのは、きびしいか……」シキのあごに力が入る。「ただ単に翼のサイズが増したことを、本気と言うかは怪しい。用心しろ」

「礼儀……」安東は両腕を大きく開く。「これが礼儀だ!」


 兄妹の全身が急激に重くなった。凛は銃を落としてしまう。持っていられなかった。シキにいたっては、口に咥えた刀が強く地面に引きつけられたので、芝生に顎下あごしたをぶつけてしまった。とてつもない重力を感じる。


「脚の関節かんせつが、潰れるっ……!」

「なにこれ、重い……!」


 約一〇メートル直径の円形で、地面が宇宙色に染まる。青々と茂っていた芝生しばふは、その範囲だけ即座に枯れてしまった。ふたりは、その円の中央にいる。


「そうだ、それでいい」安東は口を裂いて笑った。「礼儀正しく頭を下げろ! そこでお辞儀じぎをしていればいい! 下民が! 闇で飲みこむのはたやすいが——まずは無様が見たい!」


 勝ちほこった声をふたりに投げつけながら、ゆっくりと近づいてくる。安東の片腕は闇の刃に。


「動けまい。重力は地球上の万物ばんぶつを制する。金とおなじだ。金は、この世のすべてを制するんだよ。命すらもな」


 安東がを進めるたびに、その足元が宇宙色に染まり、芝生が枯れ、広い緑の上に茶色い足跡がつづいた。


「つくづく、かわいそう……、だな」シキが重力に逆らいながら、なんとか声をしぼる。「他人をすり潰して搾取さくしゅした金など、メッキを塗った泥とおなじだ。金は動かせても、心は動かせまい——」


 シキが話しているあいだも、安東はゆっくりと近づく。


「人など金でどうとでもなる。金が動いた結果、心が動く。その方程式でここまでのしあがった。心など数字で動くのだよ。所詮しょせんはな」

「心を失った白魔やつが、心を語るな……!」


 火事場の力を使い、シキはどうにか立ちあがろうとする。しかし、全身が岩になったような感覚に耐えることは難しく。顔をわずかに持ちあげ、安東をにらみつけるのが精一杯。


 両手両膝りょうてりょうひざを地面に押しつけている凛の顔は苦しさに満ちていく。手をすこしずらせば、地面に転がった銃に手が届くのに。


「凛に……、手を出すな!」シキがうなる。

「それでは老犬だな!」


 安東が肋骨を蹴った。シキは、痛みを声に漏らしながら、横になって倒れてしまう。全身がプレス機にかけられたように苦しい。肺が締めつけられて息ができない。他の内臓も強烈な重力にやられ、無事ではないかもしれない。


「お兄ちゃん!」


 頭を持ちあげられない凛は、地面に向かって叫んだ。


「気が変わった。メインディッシュはあとにする。この犬を黙らせたい」


 安東は宇宙色の地面に寝そべるシキの首ねっこをつかんだ。顔の高さまで持ちあげる。


「行儀の悪い犬が。身のほどを知るいい機会だ。瀕死ひんしまなこで、妹の死を観察するがいい」


 シキは、眼球だけをなんとか動かした。あとは動かない。安東の片腕、闇の刃のきっさきが腹に触れる。細い血が闇に溶ける。凛がなにかをわめいた。


 闇の刃先が腹肉に食いこむ。

 叫び、痛みに悶え。

 シキの瞳が釣りあがった。

 耳鳴り。

 全身が凍るような悪寒。

 死んでしまうのか、という恐怖。

 空に点が見えた。

 黒い点——悪魔が一匹。


「なんだあの悪魔は」安東は気配を察して、「手出しはいらないとあれほど言ったのに」


 悪魔は急降下で接近。シキをつかむ安東の腕に爪をたて、そのあともよだれを散らしながら爪を薙ぐ。たまらずシキを手離し、武器腕を悪魔の腹に突き刺す。


 自分の腹を貫通したそれをわしづかみ、一秒と経たずに腹から抜いてみせると、悪魔はまた爪を振りまわす。


 あまりの迫力に安東は退がった。迫力におされただけではない。その悪魔が爪を薙ぐたび、緑色の炎が噴き荒れ、攻めたててくるからだ。


 悪魔にとっての天敵とも言える緑の炎を、爪とともに振りまわす——そんな矛盾むじゅんを当たり前のようにあつかう女の悪魔。


「こいつ!」安東の顔がひきつる。「殺してはならないやつか? いや、純血をらえたいまは、すでに用なしのはず……。まさか月音か……! あの気まぐれうさぎが、おかしな気を起こしたか!」


 安東は手を人間のそれにもどし暴れる悪魔の両腕をつかんだ。爪による攻撃をきらった。


 怒り狂った狼のように歯をかちかちと重ね、悪魔は噛みつこうとする。歯が重なるたびに、紫の唇から緑色の火があふれた。


 兄妹を拘束こうそくしていた重力の床は消えた。安東が、悪魔に手を焼いたためだ。


 凛は、倒れたシキの治療をすぐにはじめる。傷口に手を添えながらもその視線は、安東と闘う一匹の悪魔にくくりつけられる。


 ぼろぼろの服、ちぢれてベタついた長い髪。女性の声が混じった不協和音。紫の肌、長く伸びた犬歯。頭部を飾るねじれた二本角。背中の黒い翼には、拘束具に噛まれたような穴が空いている。

 

 細いながらも、筋肉の隆起がしっかりとわかる腕の表面で、たくましい血管が溌剌はつらつと脈をうつ。体つきはかなりいい。長い時間をかけて、熟成された肉体——。


「母さん……?」


 凛がつぶやく。呼吸すらあやういシキは耳をませた。聞き覚えのある母の声が不協和音のなかにある——それを遠ざかる意識に泳ぎながら感じた。




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