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刀闘記  作者: 燈海 空
血風緑輝 篇
109/109

ー拾ー


 悪魔化した理子りこに、安東は手こずっていた。シキと凛にそうしたように、地面を真っ黒に染めて重力の場をつくる。その術で理子の動きを封じようしたが、効かなかった。


 普通ならば、立っていられないほどの強い重力に苦しむはず。しかし、まったくもって、意味をさなかった。


 片腕に備えた闇の刃で、腹を裂いてもすぐに再起してくる。どこを斬っても、その傷はすぐに再生される。ダガーを身体のどこに撃ちこんでも無駄だ。紫肌しはだに空いた穴は、すぐに塞がる。


「凛、そばに寄れ!」全快ぜんかいしたシキが、凛に言う。

「どうしてそんなに冷静でいられるの!?」めずらしく句読点のない早口で、凛は声を散らす。「お母さんだよ!? お母さんが生きてた……」


 母が生きていたのはうれしいこと——すくなくとも動いている、という意味では。


「凛、まだ希望はある」シキは天秤刀を咥えて、安東の方を向いた。歯を剥き出してうなる。「まずはあいつを倒す。優香が霊剥れいはぎのすべをとりもどせば、母さんは人にもどるかもしれない」


 凛は叫んだ。いままでの悲しみをすべてぶつけるように。数発の銃声。四本足の駆ける音。理子が放つ獣の声と、薙がれた爪から舞う緑火。安東は舌をうった。


 三対一の闘い。

 凛の銃弾が身体を焼き、

 理子の爪で肩を裂かれ、

 シキの刀が身体をかすめる。


 王手おうてをかけられた気分だ。凛の銃、あるいは、理子の緑火に焼かれたとき、安東の身体は闇への変化を一時的に封じられてしまう。そこを、シキの刀に斬られたらおしまい。


 白い翼をあおいで上空に逃げても翼を生やした理子が追ってくる、そしてこちらの攻撃が通用しない。悪魔を倒したいのであれば。悪魔祓いの刀が必要とは——基本のことだ。


 それならば、もっと遠くへ。

 つまり撤退をするということ。

 このわたしが?

 プライドがゆるすものか。

 また兄妹を重力で潰すか?

 無理だ。

 理子が攻めてくる。

 ならば、理子をさきに殺すか?

 こちらの攻撃が効くのならば、彼女はとっくに死んでいる。

 ただの悪魔と思って排除しようとした。

 しかし、できなかった。

 シキを殺せば……。

 だめだ、やつの動きは早い。

 凛を……。

 無理だ。遠い。

 ならば、やはり理子を。


「金ならいくらでもくれてやる! だから攻撃をやめろ!」


 安東は攻撃にうつれずにいた。三人の猛攻に狼狽ろうばいしているだけ。


「こいつを監視していた月音のせいだ、気まぐれのバカウサギを監視役に回した、甲斐那のせいだ!」


 死が近づいてくる。

 三人の死神がいる。

 いや、死神はこちらか。

 ならば、こいつらは闇をはらう者——?



 ・…………………………・


 安東の身体は、十二人の白魔の中でも、特に特殊とくしゅなものだった。いのししの白魔になる前には、どうしてそれが闇の力なのか? と、彼は疑問に思った。


「ほう……。摩利支天まりしてんが騎乗していた動物、亥が逃げたと?」


 高層ビルの上階。三十畳ほどの広い部屋。高級なオフィスチェアに座る安東は、両足を組んで、それを大理石の机に投げた。


 机には電話とパソコン、サインをするための判子と朱肉。専用のスタンドに立てられている羽ペンの横には、数冊の本がある。ほかに余計なものはない。


 東京のすべてが一望できそうな、ガラスの壁。照明も、淡白な白い光を放つLEDだ。長方形の光る布団が、天井に張りついたような見た目をしている。


 面倒な仕事はすべて、下の階にいる者たちが片付けてくれる。雑多な資料はここにはない。自らの管理下で仕事をする人間をひとまとめにして、安東は「働きアリ」と呼称している。


 入り口の両開き扉のそばに、スーツ姿の女がひとり立っている。なに食わぬ顔で、しかし緊張を解かないよう、安東と客人の話を聴いている。彼女は秘書ひしょだ。


 大理石の机を挟み、反対側に立つその人物は、白革のロングコートを着て、大口のフードを深くかぶっている。フードの影で顔は見えない。身長は低めだが、体格からして男のように思える。


「おまえのいうことが、うそではないという証拠はあるのか? おまえが悪魔をたばねる王だという証拠だ」


 安東が尋ねると、フードの人物はちいさくうなずいた。


「ならば、しめしてみろ」


 フードの人物は、黙ってうしろを振り返った。片手のひらを秘書にかざす。黒いもやがただよったと思った刹那せつなに、秘書はうめき声をあげだした。


 悪魔となった秘書が安東に飛びかかろうとした瞬間、フードの人物が片腕を横に伸ばした。時が止められたかのように、秘書の動きはぴたりと停止する。


「な……」安東は絶句した。


 紫の唇からよだれを垂らし、狂った眼球は一点、安東をにらみつけている。おそわれそうになった彼は、机の下の警備ブザーに指を触れていた。ぽた、ぽた、とよだれが床に滴り落ちる音が社長室に響く。


「もどせるのだろうな?」


 なにも応えずに、フードの人物は横に伸ばした腕をひっくり返す。ぱちんと指を鳴らすと、悪魔化した秘書が倒れた。脳天を狙撃そげきされたように力を失った。


 安東は椅子から立ちあがって、秘書に駆けよった。指を頸動脈けいどうみゃくに当てて、心拍を確かめる。


 フードの人物は腕をおろした。安東を目で追うでもなく、倒れた秘書を気にかけるでもなく、だだそこで立っている。その様子は、窓際にある観葉植物と、さして変わらない。


「生きてはいるな……」動揺しているのか、秘書の首に添えた指が震える。「肌の色も、すこしずつもどっている」


 安東は立ちあがり、フードの人物を見た。


「この力を、わたしが手にできるのか?」


 相手はこくりとうなずいた。


「代償は?」


 たずねたが、答えは返ってこない。遠くのパトカーのサイレンが聞こえるほどに、この社長室はしずまりかえった。安東は、自分が貧乏だった時代を、不意に思い出す。


 夜——古いアパートの前を人や車が通ると、それだけで目を覚ました。壁も薄く、窓は歩道のすぐそば。睡眠を妨げられるたび、決心が強くなった。


 おれは、必ず大金持ちになる。

 この世のすべてを、金で動かしてやる。


 そのために青春のすべてを勉強に捧げ東大とうだいに入った。起業をしてからも多くの人間を踏み台にして、のしあがった。どうすれば法に触れずに人を蹴落とせるのかも勉強した。


 ときには、大金が動いたことで潰れた会社や、そのために消えた命もあった。他人を死に追いやってでも、安東はこの地位を手に入れた。白魔になることで、邪魔者をより簡単に消去できるのなら……。


 安東は、フードの人物に近づいて右手を差し出した。

 握手をする仕草だ。


「人ではなくなるが、人として生きていられる。白魔であることを隠して、これまでどおりに生活ができるならば、かまわない」


 フードの人物に握手をする気がないことを悟ると、安東は手をひっこめた。


「都合は良くなる。弊社へいしゃにとって邪魔な人間は、すべて悪魔に変えてしまえばいい。そうすれば、あとは悪魔祓いが勝手に殺してくれる。競合する会社は減り、ライバルがいなくなる。なんとも便利なシステムだ」


 大理石の机に近づき、フードの人物は羽ぺんを乱暴に取った。さらに、そこにあった本を適当につかむと、表紙になにかを書いて足早に去った。フードの人物が入り口に向かって振り返ったとき。安東は彼の口元を見ることができた。その口角は、わずかに持ちあがっていた。


 扉が閉まったあと、安東は机の上の受話器を取りに向かった。内線のナンバーを入力する。


「秘書が貧血で倒れた。医務室に連れて行ってくれ」と告げて受話器を置く。


 椅子に腰をかけて、本を手に取る。さきほど、フードの人物が机に投げ置いた本だ。


「この本、希少なんだがな……。まあいい。どうせオークションで買える」


 表紙には殴り書きで——むしろペンでったような強い筆圧で、こう書かれていた。


〈明日 シンヤ零ジ 摩利支天まりしてん徳大寺ニテ〉


「台東区……?」なぜそんな場所で、と安東は思った。「フードで顔を見せない時点で、礼儀は皆無。だが、まあいい。外れくじだったとしても、外に出れば息抜きにはなる。さっきの術もうそではないだろう」


 扉をノックする音が聞こえた。


「入れ」


 安東が声を投げると、扉が開き、担架たんかをもった白衣の人間が三人、入ってきた。三人は倒れた秘書を担架にのせてすぐに去った。失礼します、失礼しました、としか言わずに。


 安東は、余計なことをしゃべる部下がきらいだ。

 三人は、それをよく理解しているらしい。


 両手を腰のうしろで組み、ガラスの壁にゆっくりと近づく。夜景を眺めるそのすがは、いかにも社長らしい。


「さらにこの世の統べるか。金以外の力を使ってまで」


 机の電話が鳴った。安東は机にもどって、立ったまま受話器を手に取る。電話の相手は、よく知るライバル社の社長だ。大学では同期だったその人物と、しばらく仲睦なかむつまじく話をした。


「あまり金欲にとらわれるなよ。金だ、金だ、とさわぐ、小汚い悪魔になってしまう。そうなってからでは手遅れだ。友として心配するのは礼儀だろう? 悪魔にならぬよう、だがいに気をつけよう」


 安東は冗談まじりの口調で言った。


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