ー陸ー
「——!?」
しずかに経を唱えていたかすみは急に目を見開いて、祭壇を見た。緑の炎は怒り狂うように乱れている。
「なんじゃ!」
横にいる銀次が、かすみを見上げる。
「秋が暴走を、力を制御できていない……!」
「感情が崩れたか」
「怒り……」かすみの額に血管が浮く。「大地を揺るがすほどの怒りを火を通じて感じる」
「おい、秋!」うしろのほうで座布団に座っている須賀が、身を乗りだして声を投げる。「どうしたんだ、しっかりしろ!」
「どうする。かすみや」
銀次に問われ、かすみは合掌したまま首をたれた。目は閉じている。
「この感情は、なにかを守るために必要だった。精神が、ここまで乱れるほどの事態が起きた。火守りは……、火を支えるしかありません」
「うむ、それしかないよな」
銀次は息をついて、数センチの座布団にかわいらしいお尻をつけた。
「いまが山か……」
横顔からも分かるほどに、かすみは顔をしかめている。かなり苦しそうだ。
「なんじゃ、なにを感じる」
「いままで感じたことのない——」
「そんなに秋が怒っとるのか?」
「怒ってはいます。ですが、それとは別の感情が……」
「なんじゃ」銀次は首をかしげた。「怒りでなければ、悲しみか?」
「近いかも……」
かすみは、やっと目を開いて祭壇の火を見た。速まる心拍をおさえて、あえてゆっくりの呼吸をする。炎はそれでも、荒々しく燃えている。
「悲しみ……、いや、これは罪悪感。大勢の人を殺めたような、とても気分のわるい。心が押し潰されるような、強い背徳感……」
かすみの静かな口調に、燃えた木の弾ける音が混じった。
・…………………………・
「おどろいた。おどろきはしたが、致命傷にはならないな」安東が言った。「おまえらはどうゆう間柄だ。犬と少女」
「答える義理はない」刀を咥えるシキの声は、鼻声に近い。「やるぞ、凛」
シキは、天秤刀の柄に犬歯を食いこませた。
凛は、右手に刀、左手に拳銃を構える。
いつでも、どの方向にも飛びだせる。
——ふたりは戦闘態勢をとった。
「ふう……」安東は、首を左右にかたむける。「時間を稼ぐか」
まずは銃声。それから、シキの四本足が走る音。安東は銃弾を見切り、最小限の動きでかわす。歩きながら、身体をすこし横にずらしただけだ。
「銃撃は点にすぎない。そこをよく理解することが、銃に対する礼儀だ」
次第に歩を速めて、安東は駆けだす。迎えうつように走るシキとぶつかるところで、武器腕を縦に落とした。シキは横に跳んで避ける。——銃声。安東は身を低くして弾を避ける。そのまま黒い穴を地面に生成して、地中に消える。
「凛、背中に乗れ!」
下からの急襲が来ると判断したシキは、凛を呼んだ。ふたりは素早く近づく。
背中に凛を乗せたシキが飛び跳ねるのと同時に、地面から闇の刃が突きだされた。安東は上を見ながら、ダガーを投げてくる。ひゅん、と何本かのダガーがふたりを追い越した。いやな音がして、シキの喉が苦しそうに鳴った。凛はうしろを見る。兄の毛が赤く濡れている。
「うしろ脚、血……!」
「かすめただけだ、刺さってはいない!」
シキは地面におりた。すぐさま凛も背中から飛び降り、銃弾を撃ち散らしながら敵に近づく。安東はすべての銃弾を避けた。そして楕円形の闇のゲートをつくり、その場からいなくなる。
一瞬、安東の気配そのものが消えた。状況を探る間も与えられないまま、凛の短い悲鳴。肩にダガーを受けている。
「凛!」シキが駆けよる。
「だめ、まわり、見て!」凛は叫んだ。
なにもない空間にバスケットボールひとつ分の黒い穴が空き、そこからダガーが飛びだしてくる。場所を選ばず、何度も射出が繰り返される。シキは反復横跳びで左右に動き、ダガーを避けつづける。
「凛! 黒い穴を撃て!」
肩の痛みを堪えながら、凛は黒い穴を探した。真横、数メートルさきに穴が開いたが、見つけるのが半秒遅れた。きゃん、と犬の鳴き声。シキがかばった。ダガーを腹で受けとめた痛みのあまり天秤刀を口から離してしまう。
「お兄ちゃん!」
「いい、穴を、探せ……!」
銃を握りしめ、きょろきょろとあたりを探した。背後に悪寒を感じる。振り返ると、黒い穴があった。
ダガーがくる。それを避けながら銃弾を穴に撃ちこむ。六メートルほどの距離があったが、五発のうち三発は確実に当たった。
黒色がわからなくなるほどに、緑の炎が闇の穴を焼いた。すると穴は大きく広がり、楕円形のゲートに変わった。そこから安東が飛びだしてきて、地面を転がる。スーツに炎が燃え移っている。熱さにのたうちまわっている。
「大丈夫?」
凛は刀を鞘に納め、まず自分の肩からダガーを抜いた。次にシキの腹を穿つダガーに手を添える。
「がまんしてね……」
毛がぐっしょりと濡れている。血が滴って、ダガーの持ち手までベタついている。
「おまえの肩は?」
「大丈夫。じっとしてて」
赤く濡れたシキの腹に、手を添える。
緑の光が全身をつつんだ。
「やっぱり、闘うより、治療が得意」
目を閉じた凛がつぶやく。それから数秒経つと、シキは身体を起こして、ぶるぶると毛を振るった。傷は完全に治癒した。天秤刀を口に咥えると、芝生の味がした。
「闘える?」凛は、自分の肩に手を添える。
「ああ、助かった。平気か?」
「うん、痛かった。けど、それだけだった」
兄妹が受けた傷は、完全に治った。
対する安東のほうも消火は済んでいる。
燃えて暴れて無様をさらしたが、活動には支障ない。
「闇に逃げてばかりか? 白魔」シキがわざとらしく言う。「凛の炎からは、逃げられんぞ」
「闇のなかから、一方的に攻めようと思っていたが、おまえという無礼が邪魔でしかたない」
話す安東の視線は、凛の顔一点に注がれた。白い翼が風に揺れる。
「おまえをさきに消す——それが礼儀というもの」




