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刀闘記  作者: 燈海 空
血風緑輝 篇
104/109

ー伍ー


「さあ——さあ。本番はこれからです。いいですね、ながめましょう、この高みから。すべてを見下せるのは、生命の頂点たる白魔だからこそ」


 目の色を失った修道者たちに囲まれながらも、秋はなんとか澪を一瞥いちべつした。呼吸をしてはいるが意識はなさそうだ。


「どうする……、どうすればいい……」


 中段に構えられた刀が、せわしなく向きを変える。秋が東京に来たのは、悪魔を人にもどす術を得るためだ。人を斬るためにここへ来たのではない。


「おまえら、人間なんだろ……」震える声は、広い室内の全員に届いた。「あのメガネに操られているだけなんだろ!」


 群衆のなかのひとりが、秋に斬りかかる。

 それが答えの代わりだ。


「やめろ、斬りたくない……!」


 刀をはじき、修道者を遠ざけようとした。次からつぎに、弾けばはじくほど、また別のだれかが斬りかかってくる。攻撃がやむ気配がない。たまらず秋は、高く跳ねた。長椅子を越えて、壁を背にできるまで逃げた。


「はは、素晴らしい」


 甲斐那は微笑み、秋を見ながら、うなだれる澪の頬を撫でた。まるで目当ての女性を家に連れこみ、アクション映画をリビングで観ているかのよう。


「防戦一方の悪魔祓いをながめるのが、これほどに楽しいものだとは思いませんでしたよ。どうあがいてもいい。逃げつづけてもいい。ですが、けっきょく、闘う以外にない」


 天井をあおいで、甲斐那はかっかっと笑った。

 うれしそうな顔のまま、脚立の上から飛び降りた。


「さあ——さあ! まだ——まだ斬りませんか、風使い! もう我慢も限界にきているはずだ。いいですねえ、斬りたい感情を我慢すればするほど、斬ったときの快楽は凄まじいでしょうね! うらやましい、実にうらやましい」


 肩を並べて、行く手をふさぐ修道者を秋の足が蹴った。二、三人が一度に吹っ飛び、さらに将棋倒しょうぎだおしで一〇人ほどが倒れた。隊列を崩した群衆の上を飛び越え、甲斐那のもとへ、猛烈な速度で飛びかかる。獲物をとらえたはやぶさのようなするどさで。


 甲斐那はとっさに腕を持ちあげ、防御の姿勢をとった。全身に風をまとった秋が、強く斬りつける。ぎん……、と金々《かながな》しい音が鳴った。腕を斬ったはずなのに、この音。


 衝撃と風圧によって、そばにあった脚立はバランスを失って倒れた。怒り狂った秋に押しつけられるままに、甲斐那は壁まで追いやられる。腕と刀の鍔迫つばぜりあい——そしてまた、金属音。


 今度は、秋の躰だけが飛んだ。甲斐那の腕に弾かれてしまった。砲丸のように飛んだ秋を受けとめた長椅子は、中央からまふたつに割れた。


 背中の痛みを感じながら、上体をなんとか起こし、むこうを見る。甲斐那はすでに平気の顔だ。


 太刀を受けた腕——その袖をまくって、傷をたしかめる。腕は白銀の被毛におおわれていた。太めで密度のある毛は、光が当たる角度によって、薄い水色にも見えた。金属音は、その被毛と刀がぶつかったために鳴った。


 甲斐那は、反対の手でそでを戻した。白銀の被毛は、黒い修道服の内側に隠れた。


「なかなかに重い一撃だった。刀の切れ味もいい。ダイヤとおなじ硬さの被毛ですが……、何本か傷んだかもしれない」


 一方の秋には、休んでいる暇などない。修道者たちの刀がくる。すぐに起きあがり、攻撃を防いで、逃げて……。いつまで、こんなことをつづけるのだろう。


「そろそろ本題をやりましょうか。終わりなき剣劇も見飽きた」


 別の仕事にとりかかるため、甲斐那はゆっくりと歩きだす。


 いまの秋は、草食動物の群れから一方的に蹴られつづけるライオンのようだ。反撃をすれば勝てる。だが、道徳心がそれを許さない。


 キャスターつきの担架たんかが見えた。

 若い修道女と、男の修道者が、ふたりで運んできた。

 悪魔が寝ている。

 女の悪魔。


 紫の頬は、げっそりと痩せほそり、頭髪の密度もすくない。両手両足をバンドに固定されている。身につけている白いガウンには清潔感がある。暴れる気配はない。天井を見ているが、瞳は死んでいる。


「さあ——さあ。やっと。やっとこの瞬間だ。十字架を倒せ」


 甲斐那が指示をだす。若い修道女が澪の足元に近づいた。十字架の根元にある赤いボタンを押すと、からくりの音とともに、十字架はゆっくりと倒れていく。その仕事が終わると修道女は別室に向かった。


 十字架が完全に横になると、澪のそばに担架が並べられた。寝ている方向はおなじ。甲斐那は、十字架と担架のあいだに立った。


「澪……、澪起きろ!」


 秋は喚きながら攻撃を防いでいる。腕も、脚も、頬にも、刀傷ができた。


「純血の胸をひらけ。心臓が見えたら、そこに針を刺す。清き血が針に滴ったのち。それを妻の心臓の奥深くまで刺します。わかりますね」


 修道者は、まず悪魔のガウンをめくり、胸をはだけさせる。心臓付近の肌には手術痕がいくつもあった。別室からもどった修道女の手には銀色の医療用トレイ。そこから白い手袋とメスを取る。下着すがたの澪の胸に、ちいさな刃をゆっくりと近づける。


「心臓は、もうすこし中央じゃないのか?」


 甲斐那が言うと、修道者は手の位置を直した。


「やめろぉっ!」


 遠くから秋の声。甲斐那の耳に入ったが、気にする様子はない。


「さあ——さあ。胸をひらいて」


 修道者が、メスの刃先を当てる。

 風の音。

 竜巻の音。

 暴風。

 ざくざくと、骨肉が斬られる音が鳴った。

 血が舞い飛ぶ。

 飛んだのは、澪の血じゃない。

 甲斐那の眼鏡にも血飛沫がついた。

 目の前には、蒼の瞳。

 秋の刀が。風刃が。

 修道者をすべて斬り捨て。

 澪にメスを刺そうとした者も斬り捨て。

 すべての長椅子と、すべての石柱に、

 深い斬り傷がつくほどの太刀風が吹き荒れて。

 ステンドグラスは、割れ尽くし。

 シャンデリアが揺れて。

 それでも澪と、銀の毛皮に守られた甲斐那にだけは傷つかず——


「ほう——ほう」メガネの向こうの無表情は、わずかに歯をきしった。「遊びが過ぎたか。さっさとやっておけばよかった」


 担架は風に倒れ、投げだされた甲斐那の妻が、うう、ああ……、と声を漏らしている。


「すこし待っていてくれ。おまえを人間にもどす前に。この小僧を叩き潰す必要があるようだ」


 悪魔化したまま、薬漬けにされ。甲斐那の妻は、数年の時を生きてきた。床にうつ伏せたまま、乾燥した紫の手を旦那のほうにのばす。なにかをい求めているように見える。


 斬り散らされた、何人もの血に沈んだ大聖堂。ただ蒼い瞳だけが甲斐那という残酷をにくみ、きらい尽くし、憎悪の蒼炎に燃え——血の海のなかでひかりを放つ。


「まずは——まずは」


 甲斐那が袖をまくる。

 秋が斬りかかる。

 ふたりの口がおなじ言葉を重ねる——


『おまえを、ぶっ殺してやる!』



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