7話 生きるためならなんだって
「今学期を終えたら退学して嫁ぎなさい。元々、嫁の貰い手を探すために泊をつけようと入学させただけなんだ。これ以上学園にいても意味がない」
「そ、そんな急すぎるわ!」
「家族の為だ。お前も長女としての勤めを果たせて幸せだろう」
父は真顔でとんでもないことを言う。
漫画では魔獣に食い殺されるはずだったのに、野外実習に行くどころかその前に親に売り飛ばされるだと。
(ど、どうなってるの……!? 死亡フラグを回避するどころか、知らない間に破滅へまっしぐらなんですけど……!?)
その上奨学金でなんとか必死に学園で頑張ってきたというのに、それも全て無に帰すなんて。
これじゃあ一生懸命実習を回避しようと策を練っていたのがアホみたいじゃないか。
あまりの衝撃に頭がくらくらしてきた。
とんでもない悪夢を見ているとしか思えない。
「ちなみに、私の嫁ぎ先は……」
「もちろん、コルズ商会の商会長だ。多少年は離れているが、お前を後妻として迎えたいと言ってくださった。これまでとは比べ物にならない裕福な生活ができるんだぞ、喜びなさい」
「ひぃ……」
いやいやいや、多少なんて誤魔化しているけど相手は五十代のおじさんだということを私は知っているんだぞ。
この父親、本気で言っているのか? このたぬきオヤジめ。
確かに貴族令嬢ともなれば嫁ぎ先に自由はなく、年の離れた人と結婚することもあるだろう。
だが我が家は貴族とは名ばかりの貧乏一家で、その上金目当てで嫁がされるのだ。
絶対にロクな待遇ではないのが丸わかりだし、世間からどんな目で見られることか。
「もう退学届も用意してある。それなりに頭が良いだけで他になんの取り柄もないお前をもらってくれると言うんだ。家族のために、賢いお前ならどうすべきかよく分かっているだろう」
「なっ……! 急すぎます、こんなのおかしいわ!」
「なんだ、文句でもあると言うのか。どうせ他にお前を気に入ってくれる相手もいないんだ、黙って親の言うことに従え!」
昔から、頭が良いだけで可愛げがないと嫌われていたのは分かっていた。
だけど、ここまで言われなきゃいけない覚えは無い。
ため息が出そうになる。
(私を好きになってくれる人なんていないって、私だって分かってるわ……!)
一瞬、頭に思い浮かんだのは黒髪の彼だ。
こんな時、彼がいたら助けてくれただろうか。
父の言葉を否定してくれただろうか。
でも、現実はそう甘くない。
助けてもらうのを待っているだけでは、足元をすくわれるだけ。まさしく、今みたいに。
「ふざけないで……。あなたの作った借金なんだからあなたが何とかしてよ。私の人生をこれ以上邪魔しないで」
「親に向かってなんて口を! いいか、破産して爵位を返上することだけは避けなければならないんだぞ。私が苦労して子爵家を守っているというのに、それも知らず口答えするな!」
「何が苦労よ。手当り次第に新しい事業に手をつけて失敗して、その繰り返しじゃない。自分が成り上がりたいばっかりなのは分かりきってるわ」
「お前……! 父親にそんなことを言っていいと思っているのか!」
父がバンッと机を叩く。大きな音に思わずびくりと肩が跳ねた。
力任せなそれは、多分二回目は私の顔に飛んでくるだろう。
こうなるともはやまともな対話すら難しい。
元々父は私が学園に通うことはあまり賛成しておらず、子爵家から一切金は出さないが就職して仕送りをするのなら良い、という条件で許可を出したぐらい。
今思えばその時点で縁を切って置けばよかっただろうが、あの頃の私にそんな勇気はなかった。
(どうにかして、この父親から逃げ切らないと……)
目の前の父親は書類を机の上に置くと不機嫌そうにふんぞり返っている。
そもそも娘として可愛がられたことは一度もないのに、なぜ私が従順に頷くと心の底から信じ込んでいるのだか。
確かに以前の私は世の中の全て諦めを持っていた。
実家の環境も、学園で嫌われ者なのも、どうにもならないと。
だけど、今は違う。
前世を思い出して、死をはっきり認識してようやく生きる覚悟が決まったのだ。
ひとまずこの人を追い出して、退学届は焼却炉に捨てる。
話はそれからだ。
「お父様、私は……」
その時だ。
ノックの音がして応接室の扉が開く。
「これはこれは、デュヴァル子爵。そのように声を荒らげてどうなさいましたか」
「先生!」
現れたのはコールヴェール先生だった。
そうか。あれほど大声で騒いでいれば誰かしら様子をうかがいに来るに決まっている。
「いや、なんでもありません。ちょっとした親子喧嘩ですよ。騒がせて申し訳ない」
「何か、お困り事でもございましたか。私で良ければお話を聞きましょう」
「いえいえ、先生の手を煩わせるなどとんでもない。今日のところは失礼します」
口調は穏やかだが明らかにこちらの様子を探ろうとしている先生に警戒したのか、父はさっさと荷物を手に出ていってしまう。
いっそのこと、実家にいた時みたいに私を殴ってくれればよかったのに。
そうすれば、何を話すまでもなく先生は全て理解してくれただろう。
「ではベアトリス。また迎えに来るからな」
別人のようににこりと微笑んだその姿は、娘思いの優しい父親にしか見えない。
大した演技力だ。昔から外面だけは良いひとだった。
先生は父をあっさり見送ると、私の隣に座る。
「先程から凄まじい声が聞こえていたが、何を言い争っていたんだ」
「先生……いえ、なんでも……」
いつもの癖で誤魔化そうとしたが、はたと動きを止める。
コールヴェール先生はその華々しい経歴に似合わず、生徒思いの面倒見の良い先生だ。
でも彼が将来的に大切にするのはソフィアだけ……今まではそう思い込んでいた。
けれど、生きるためなら何だって利用しなければ。
そして目の前にいる彼は、この学園で最も利用価値の高い人間だと言えるだろう。
私は賭けに出ることにした。
「先生……一つ、お願いがあります」
「なんだ。言ってみなさい」
「私を、雇ってください」
***
結論から言えば、私はコールヴェール先生の助手になった。
授業の準備や研究の手伝いだったり、学生でもできるような事務的な補佐役の仕事だ。
今は清掃の仕事はやめて、先生の研究室に出入りするようになった。
私が差し出した退学届と結婚の話、それを聞くなり先生は退学届を燃やして捨ててしまった。
『優秀な学生をそのような理由で失うなど、魔術界の大きな損失だ。私がなんとかしよう』
そう言ってくれた先生は、あっという間に特例で私を研究室に入れ、保護下に置いてくれた。
もちろん、あれ以来父からの連絡もなく、私は来期も在籍していられる。
子爵家の借金がどうなったのかは分からない。
先生からはそんなことは忘れてしまいなさいと言われたが、新聞でどこかの商会が詐欺罪で捕まったとかそんな話を見かけたぐらい。
こちらから連絡したってロクなことにはならないだろうから、先生の言う通り忘れることにした。
漫画の中の『ベアトリス』には、この出来事は起こったのだろうか。
もしそうだとしたら、もう二度と学園には戻ってこられないと分かっていながら学期末の野外実習に参加していたのだろうか。
そこで死んだのなら、悲惨な結末などではなく、むしろ彼女にとって救いになっていたのかもしれない。
でも、『私』は違う。
こんなところで死に絶えるなんて絶対に嫌だ。
利用できるものはなんだって使って生きてやる。
「ベアトリス。すまないがこれを出してきてくれないか。その後はもう帰っていい」
「お手紙ですね。分かりました」
忙しそうにばたばたしている先生から手紙を受け取って、研究棟を出ていく。
コールヴェール先生の研究室に出入りできる生徒は、彼に認められた少数の生徒ぐらい。
そのうちの一人になれたことは嬉しいが、先生は私の実力を見ているのではなく、哀れみをくれただけだと自覚している。
先生は優しいから、同情を誘うのは簡単だった。
いかにも無力で可哀想な学生の顔を見せれば、彼の持つ権限の全てを使って私を守ってくれた。
それに感謝すると同時に、他人に対してこんなに打算的になれる自分がいたことに気付かされた。
事務局に手紙を提出してから、寮へ帰るために夕暮れの廊下を歩く。
明日は古代言語のテストの日だ。
寮に戻ったら勉強しないといけないのは分かっているが、気は進まない。
重い足取りで階段を下っていく。
踊り場に、人影があった。
「……ねえ、俺に何か言うことあるんじゃないの」
顔を上げれば、ジュリアンがじっと私を見つめていた。




