4話 すごく柔らかいパン
「ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、偶然聞こえちゃってさ」
「……いえ。公共の場で独り言を言う私も悪かったので」
慌ててメガネをかけ直す。
ジュリアンはこれ無しで私だと気づけるなんて、さすが洞察力が鋭いだけはある。
「そんなことないと思うけど。それより、留学行くんだ?」
「行きませんよ。ただ、見てただけです」
「でも、この学校が嫌なんだろ? 親に言って転校させてもらえばいいじゃん」
これだから貴族は。
思わず出そうになった言葉をぐっと飲み込む。
「そういうわけにはいきません。奨学金も給付されていますし。それに、本当にただ興味があっただけなので」
「でも、泣くほど嫌だったんだろ」
「……え?」
泣くって、どういうことだ。
私は一滴たりとも泣いてないのだが。
「今泣いてたじゃん。もしかして、こないだのソフィアのことを気にしてるのか? 許してやってくれ、あいつも悪気はなかったんだ」
「別に、泣いてないし、そんなのどうでもいいですけど……?」
何を急に言い出すんだこの男は、と思わず言い返してしまう。
「え、うそ」
「強がってるわけじゃないですよ。目が疲れただけです」
「まじか。ごめん」
ソフィアのことなんて言われるまですっかり忘れていたぐらい。
こっちはそれどころではないのだ。
「もう行きます。ご自由にどうぞ」
変に強がっていると疑われても困るし、さっさと退散しようとする。
だが予想外にもジュリアンは私を引き止めてきた。
「待って。真面目ちゃんも、ソフィアと仲良くしてやってよ。あいつ、あんたに誘いを断られて嫌われたんじゃないかって心配してたぞ」
カフェに誘われた時のことだ。
漫画ならベアトリスは是が非でも着いて行ったのだろうが、こちとらそうはいかない。
「それに、あんたももっと周りと仲良くしたらいいじゃん。いつもそうやって一人でツンツンして、ずっと馴染めなくて浮いてるだろ。何話してもそうやってつまんなそうな顔ばっかしてるしさ」
「そうですか? そんなつもりはなかったんですけど……」
至って普通の態度を取っているつもりなのだが、やはり目元が見えないと表情が伝わりづらいのだろうか。
「ほら、またそれ。いつもそうやって疲れきった顔ばっかじゃん。たまにはにっこり笑ってみなよ」
「人のこと、よく見てるんですね。さっきもメガネを外した私に気づいてくれてましたし」
「そりゃ気づくだろ。あんた、綺麗な紫の目してるんだからメガネなんて外せばいいのに」
「極度の近眼なので」
「ああ、そりゃ残念だ」
しかし、ジュリアンが私の素顔に気づくのは意外だった。
漫画でも現実でも、ソフィアのことばかりで他の女子生徒のことなんて欠片も興味が無さそうだったのに。
チャラ男の彼が他の女子と仲良くするのは、たいがいソフィアを嫉妬させて気を引く、みたいなクズい動機のときぐらい。
その報いなのか彼は結局ソフィアと結ばれないわけだけど。
「そういえば、真面目ちゃんって男爵令嬢だよな。なんで奨学金貰ってんの?」
「男爵令嬢じゃなくて子爵令嬢です。名ばかり貴族で借金だらけなので利用してるだけです」
「なるほど。色々大変なんだな」
ジュリアンはそう言いながら、じいっと手元のパンフレットを見つめてくる。
家計が苦しいなんて話、これ以上彼に言ったってどうしようもない。
不幸自慢は好きではないのだ。
「それでは、失礼します」
さっさとジュリアンを置いて温室を出ていく。
お気に入りのスポットだから、次は来ないで欲しいかな……なんて失礼なことを思いながら。
だが残念なことに、ここでジュリアンと再会したのはわずか二日後のことだった。
「なんでまたここにいるの? って顔だね」
私がいつも座っている椅子に腰掛け、ドヤ顔でこちらを見ている。
うへぇと言ってしまいそうなのを必死に押さえた。
「……帰ります。どうぞ、お気になさらず」
「ちょっと待ってよ。俺、昨日も待ってたのに」
「昨日も?」
昨日は温室に行かなかった。
何か用があるのなら誰かに言伝すれば良いものを、わざわざここで待っていたというのか。
「真面目ちゃんさ、古代言語得意だったよね」
そういうことか、と合点がいく。
「……レポートの写しはありませんよ」
「そうじゃないって。ちょっと俺に古代言語教えてよ。お礼はちゃんとするから。この前の課題、赤点で困ってるんだ」
「……? お友達と一緒に勉強したらいいじゃないですか」
「そ。だからあんたのとこに来たの。俺らもう友達だろ?」
急に何を言い出すのか理解できなかった。
友達? そんなわけない。つい数日前にあなたのお仲間に吹っ飛ばされたばっかりなんだけど。
ただ勉強を教えてもらいたいだけじゃないか。
いつも真面目ちゃんなんて馬鹿にしているくせに、人の学力をあてにしないで欲しい。
「ちなみにお礼で学食奢るってのはどう? 街のカフェでもなんでもいいよ」
「……一回だけなら」
「やった」
弱かった。
ダメだ、やはり食には勝てない。
一回だけだ。一回だけご飯を奢ってもらってそれで終わり。
ジュリアンにとって大切なのはソフィアだけ。
赤点回避の為に私を利用するだけで、そのうちソフィアのように課題をまるごと押し付けられる事態になりかねない。
というわけで食事に釣られてあっさり引き受けてしまったのだが、意外にもジュリアンに教えるのは楽な仕事だった。
「つまり、逆なの。単語の接続関係をまるっきり逆転させちゃってる」
「てことは、基礎の基礎でつまづいてたってこと?」
「そう。でも単語の読解はちゃんとしてるしそこまで悪くない。ここを直せば、すぐ点数は上がるはずよ」
私があれこれ教えるまでもなく、根本的な問題を解決すればジュリアンはすぐに上達していった。
そして予想通り、今回の定期テストではジュリアンは前回から大幅に点数を上げていた。
「これも、ベアトリスのおかげだよ」
「あなたがちゃんと勉強したからよ。それじゃ、次もお互い頑張りましょ」
いつの間にか名前で呼ばれるようになっていたが、美味しいご飯を奢ってもらえたので大満足だ。
学食のふわふわしたすごく柔らかいパンを味わいながら、これ以上ないほどの至福を覚えてしまった。
とはいえこれから先は漫画の展開もどんどん進行していくことだろうし、関わることは無いだろう。
と、思っていたのだが。
二度あることは三度ある、と言うもので。
「……なんでまだいるの?」
「え? 待ってたんだけど。次は魔術式教えてよ」
「……学食、お願いね」
「もちろん」
いつの間にかジュリアンは何度も温室に通うようになり、私の安寧の地はすっかり彼に住み着かれてしまっていた。
日頃ソフィアにべったりなくせに、放課後になるとどうして私のところに来るのか理解できない。
ソフィアと一緒に勉強すればいいだろうに、何度言っても私に教えて貰いたがる。
さてはソフィアからの嫉妬を狙っているのだろうなと適当に受け流していたのだが。
「ベアトリスさん、私と勝負しましょ!」
数日後、今度はジュリアンだけではなくソフィアも現れた。




