19話 綻び出す世界
大海蛇の魔力で汚染された水を大量に飲んでしまったことで、私の体内は確実に異常をきたしている、というのがシルヴィーさんの説明だった。
すぐに救出されたとはいえ、あちこち怪我を負って骨折もしていたらしい。
今は治癒魔術で回復しているものの、肉体の内部の異常は、特に魔力に関わるものは私本人の自覚がないと発見するのは難しいのだとか。
私の体調を考慮し、精密な検査をまた後日にとなったが、それまで魔術は決して使わないようにということだった。
「痛みはもうないか? 視力の異常や、体温の低下は」
「特にないです。むしろ、こんなに長く寝ていたのは久しぶりで、少し運動したいぐらいですよ」
「……そうか、なら良いんだがな」
「あっ、そうだ授業……! 私の出席って、どうなってるんですか!?」
思い出して慌てて先生に聞けば、苦笑いをされてしまった。
「大丈夫だ。その辺は配慮されているから気にするな。今回のことで単位に影響が出るようなことはないから安心して療養しなさい」
「良かった……」
ほっと一安心できる。
「話に聞く通りね。ベアトリスさんは勉強熱心で偉いわ。うちの子たちにも見習って欲しいぐらい」
「えっ、先生子どもいたんですか!?」
「言ってなかったか? 二人いるぞ。お前より少し上ぐらいだ」
「男の子と女の子よ。きっと仲良くなれると思うから、元気になったらお茶会でもしたいわね」
子育てをするコールヴェール先生なんて、なかなか想像がつかない。
生徒には親身になってくれる先生だが、華々しい経歴についても家庭についてもなかなか語らない人なのだ。
先生のそういうミステリアスなことろが好きでひっそりファンクラブなんかを作っている生徒もいるぐらいなのだが、彼女たちが知ったら卒倒しそうだろう。
それからそうして雑談をしたりしてゆっくりと時間を過ごしていると、おもむろに先生が咳払いをする。
「落ち着いたところで悪いんだが、少し嫌な話をしていいか?」
「はい?」
改まって何かと思い身構えれば。
「一応、学校の方からご両親にも連絡がいってな。今日明日あたりに来るらしい」
「えっ」
全くの予想外の方向だった。
が、それは私にとってはというだけで子どもが学校行事で大怪我を負わされたなんて、普通の親にとっては一大事だろう。
「さすがに連絡しないわけにはいかないだろ。この時期だから、ちょうど首都の方にも出てきているとのことで、直接顔を見に来ると言っていたそうなんだが……」
「そんな……」
はぁ、と先生はため息をつく。
あの非常識な両親が、私をただ心配して来てくれるなんて天地がひっくり返ってもありえない。
以前は心配してくれたかな、なんて期待しただろうが、今の私には両親よりももっと親密で大切な人がいる。
会いたい人とは違って、内心で落胆してしまったぐらい。
(ジュリアンじゃ、ないのね……)
今頃ジュリアンは心配してくれているだろうか。
彼やソフィアには怪我がないということで安心はしたが、それ以上にジュリアンと話がしたかった。
けれど、私の思考を遮るかのように病室のドアがコンコンとノックされる。
「噂をすれば、ね」
シルヴィーさんが立ち上がり扉を開ければ、予想通り両親がいた。
若干流行から遅れた仕立てのスーツを着た父に、派手な余所行きのデイドレスで着飾った母。
二人は一瞬驚いたように私に視線をやってから、すぐに先生たちを見やる。
「おや、先生がたもこちらにいらしたのですか!」
「ああ良かった、学園に行く手間が省けたわ」
二人とも私の姿を見て、心配というより困惑しているようにも見えた。
そんなに酷い見た目になっているのだろうか。
たしかに少しやつれた気はしているけれど。
「この度は誠に申し訳なく……」
「そ、そんな謝罪より、賠償金の話ですよ! 賠償金!」
先生が頭を下げ始めた瞬間、父がまたいつもの調子で失礼な態度を取り始める。
「うちの娘に大怪我なんてさせて、これでは嫁にも出せない役たたずじゃありませんか! 魔術師としても女としても価値がない!」
「……え」
思わず声が出てしまった。
本人が聞いているというのに、とんでもないことを口にしてくれた。
先生もシルヴィーさんも、これにはすぐに表情が固くなる。
「そんなことどうでもいいわよ。それより、賠償金はどのくらい出るんですの? そのお金でうちのマリーにドレスを新調したいのよ。これから社交シーズンですから、もっと着飾らせてあげなくては。平民のあなたがたには分からないでしょうけど、我が子爵家の未来はマリーちゃんの美貌にかかってますのよ」
マリーは私の妹だ。
ここには連れてこなかったようだが、そうか、世間は社交シーズンなのだと思い出す。
今頃知り合いの令嬢たちとお茶会でも楽しんでいることだろうが、あいにく私は社交界なんて関係なしにすぐ入学して寮へ入ったのでそんな経験はない。
しかし、両親の態度はいつにも増して目も当てられない惨状だ。
なにせ、平民と言えどコールヴェール先生はかつて宮廷で最上位の魔術師として君臨した、いわば特権階級とも言える立場にいた存在だ。
この二人は先生の経歴なんて気にせず、ただの教師だとばかり思い込んでいるのだろう。
なんて非礼をするのだ。
貴族階級だって今では昔のように絶対的な権力者という支配階級でもないのに、どうしてこう偉ぶることしかできないのだろうか。
先生は諦めたように二人を部屋の外へ押しやる。
「……お二方、病人の前でそのような話はおやめ下さい。外で話をしましょう」
「大体、今回の事故もどうしてこんなことが起きたのですか! 前も私が縁談を持ってきた時にあなたが余計な口出しをしたせいで」
「まずはお茶をご馳走しますわ、近くに良いティールームがありますの。そちらに一席ご用意しておりますわ」
シルヴィーさんが遮ると、真っ先に母が食いつく。
「まあそうなの? あなたただの教師のわりには気が利くじゃない」
シルヴィーさんは教師ではないのだが、言ったところで聞きやしないだろう。
二人もそれを分かっているのか、否定せずニコニコと貼り付けたような笑顔で対応し、両親をどこかに連れていってくれた。
静かになった病室で、はあと息をついた。
それから、ベッドに倒れ込んで呟く。
「私って、価値がないの?」
嵐が過ぎ去って、ようやく飲み込める。
両親にそう言われた時、二人からの愛なんて期待していないから大して傷つきはしなかった。
きっとこうなるだろうと予想はしていたからだ。
だけどもし、ジュリアンから同じことを言われたら。
勉強以外なんの取り柄もない私が魔術師になれなくなって、価値がないと思われてしまったら——————。
「嫌……そんなの、嫌……」
恐怖で思わず、丸くなって膝を抱えてしまう。
魔力が無くなって学園に通えなくなったら、もうジュリアンのそばにはいられない。
ジュリアンにとっての私が、価値のない存在になってしまったらすぐ忘れ去られてしまうだろう。
一度だけ向けられた、冷たい瞳を思い出す。
またあんな顔をされるぐらいなら、お互い仲良くなる前の、真面目ちゃんなんて呼ばれて小馬鹿にされていた頃の方がマシだ。
いっそのこと、出会う前からやり直したい。
ジュリアンと離れたくない。
ジュリアンに捨てられるぐらいだったら、成績も、将来も何もかもどうでもいい。
あの人のそばにいられないぐらいだったら、生きている意味なんて……。
(あれ……私、今、何を……)
我に返って、自分がおかしな事を考えていたのに気づく。
ジュリアンが私にそんな酷いことを言うはずがない。
それに、これまでずっと頑張ってきたのに、こんなことで学業を投げ出そうとするなんて何を考えているのだ。
魔力が無くなると言われて気が動転しているだけだろう。
もう少しすれば、すぐに落ち着くはずだ。
(ジュリアンに会いたい……)
目覚めたばかりでまだ本調子じゃないのか、なんだか寒気がする。今日はいつもより気温が低いのだろうか。
ベッドの中に潜り込んで、冷えた体を温めようとする。
その時、ようやく自分がいつもの眼鏡をしていないことに気づいた。
事故の時池の中に落としたのだろう。
先生は私の眼鏡姿しか知らないはずなのに何も言われなかった。
両親が私を見て驚いたのも、きっと眼鏡をしていなかったからなのだろう。
ここ数年で私が素顔を見せた相手なんて、それこそジュリアンぐらい。
(あれ、なんで眼鏡がないのに目が見えるんだろう)
外の光は眩しいくらいに見えている。
治癒魔術を受けた一時的な影響なのだろうか。
やっぱり、疲れているのだ。
光を遮断するように固く目を閉じる。
そうしているうちに、私の意識はゆっくりと微睡んでいった。




