20話 幸福の味
「自覚症状が無いとなると、かなり重症だな。このままでは、学園に通い続けることも難しいだろう……」
ふと、誰かの話し声が聞こえて目を覚ます。
「できれば静かなところで療養させてあげたいけれど、休学となると、あなたでは彼女をどこかに連れていくことも出来ないわ」
「あの親元に帰すのも嫌だが、規則に従うとそうする他はないのがなぁ」
「だったらいっそのこと、どうにかしてうちに迎えてあげれば……」
先生とシルヴィーさんだ。
何を話しているのだろう。なんだか深刻そうな声音だ。
ゆっくりとまぶたを開く。
そんなに時間が経っていないのか、まだ外は明るくて、反射的に目を閉じた。
「不可能では無い。が、この子の人生だからな。私たちで勝手に決めるわけにはいかない。どちらにせよ、あの両親の元ではなく別のところで療養はさせるつもりだがな」
「あの方々、まるで子どもを所有物のように扱っていたわ。次女の方をとても可愛がっているようだったけれど、娘として個人を尊重していない、着せ替え人形のような口ぶりだった」
「貴族の間ではそういう認識の方が一般的だと言うからな。昔の同僚にも、家庭環境で悩まされている者はそれなりにいた」
誰の話をしているのだろう。
先生たちは、怒っているような悲しんでいるような様子だ。
何か悲しいことでもあったのだろうか。
「この子は、あなたに頼りたくても頼り方が分からないのかしらね……」
「まあ、今のままでは症状を自覚したところで隠そうとするだろうな。多少強引にでも私たちが介入した方がいいかもしれん。いずれにせよ、私はこの子に教師として責任を取らねばならないからな」
また眠ってしまいそうで、なんとか重いまぶたを開いて体を起こそうとする。
「おお、起きたか」
「せんせ……私……」
ぼんやりしていた頭がだんだんはっきりしてくる。
ちょっと休むつもりだったのに、なんだか凄く寝ていたような気がする。
何日も眠っていたのにまた寝てしまうなんて、これでは寝てばかりで怠けてしまいそうだ。
「よく寝ていたわね。もっと休んでいてもいいのよ」
「いえ……少し寝たら楽になったので、もう大丈夫です」
「少し、か。お前、あれから二日も寝ていたぞ」
「……え」
一瞬、先生に言われたことが理解できなかった。
二日、だなんてありえない。私の体感では数時間程度だったはず。
困惑する私を前に、先生は表情を改める。
「ベアトリス、これからとても大切な話をする。お前の将来に関わることだ」
***
久々に学園に戻ってきた。何週間ぶりだろうか。
きっともう講義にはついていけないだろうが、今となってはもはや関係なくなってしまった。
「大丈夫、ゆっくりね」
シルヴィーさんに支えてもらって歩く。
私だけ真冬にいるかのように寒くて仕方がないので、長袖で厚着しているのが少し恥ずかしい。
「やっぱり、そう簡単には受け入れられないわよね」
「いえ、嫌という訳じゃないんです。……ただ、実感がわかなくて」
戸惑ったままの私に、シルヴィーさんは優しく微笑む。
「きちんと治療すれば大丈夫よ、すぐに元通りになるわ。それに、あなたは優秀な学生ですもの、あなたがこれまで努力して積み重ねてきたものは、決して無駄にはならないわよ」
そうだと良いのだけれど。
結局、私は休学し長期の治療を受けることが決定した。
郊外の穏やかな環境で療養させると言われた時は、自分の状態がそこまで悪いなんて思っていなかったから驚かされた。
もっと言うと、その場所がコールヴェール先生の所有する別荘というのも驚きだった。
「これからは、私たちにもっと頼ってちょうだい。心配ごとも、悩みも、どんなお話だって聞かせて欲しいの」
シルヴィーさんはそう言ってくれるけれど、やっぱりご迷惑なんじゃないかという気持ちはかき消せない。
本来なら休学扱いとなった私は規則時寮では生活できず実家へ帰らなければならないが、両親は私を受け入れるつもりがないのだと。
何となく予想はしていたが、それを利用して先生は私を養子にしたいと両親に申し出たのだ。
これでも貴族家の長女なので手続きやら何やらかなり面倒なことになるはずなのだが、先生はあっという間にそれらを片付けてしまい、気が付けば私の姓は変わっていた。
『筆頭宮廷魔術師として偉ぶった役人どもにこれでもかというほど恩を売ってきたんだ。これぐらいの頼み事ぐらい、いくらでも融通を効かせてくれるに決まっている』……なんて言って先生は笑っていたが、国王陛下が右腕にしたがっていたほど有能だったなんていう噂はあながち間違いではなさそうだった。
そういうわけで私はコールヴェール先生とシルヴィーさんの養女になったわけだが、居場所を失った私を助けるためにわざわざそんな手間までかけさせてしまったなんてあまりにも申し訳ない。
今の私にできることは、二人に恩を返せるように一刻も早く回復して復学を目指すことだけだろう。
(家族……ね)
いつか二人で暖かい家庭を、ジュリアンとそう約束したはずなのに、私だけ勝手に新しい居場所を得てしまった。
ジュリアンが知ったらどんな顔をするだろうか。怖くて想像できそうになかった。
「じゃあ、私は少し手続きをしてくるから待っていてね。荷物をまとめるのは一緒にやるからここで休んでいて」
久々の寮の自室で、シルヴィーさんは私をベッドに座らせると、また校舎の方へ戻っていく。
持っていく荷物なんてほとんどないのに、わざわざ手間をかけさせてしまった。
一体どうしてこんなに調子が悪いのだろうか。
熱が出ても半日寝れば治るぐらいにはしぶとかったはずなのに。
「はぁ……」
私がため息をついた時、コンコンと部屋のドアがノックされる。
シルヴィーさんがもう戻ってきたのだろうか。
「はあい」
「——————久しぶり、ベアトリスさん!」
勢いよくドアを開けて入ってきたのは、シルヴィーさんではなく、なんとソフィアだった。
「な、なんで……!?」
「なんでってそんなの、命の恩人なんだからお礼を言いに来たに決まってるじゃない!」
ソフィアは満面の笑みで私に駆け寄ってくる。
「ベアトリスさん、本当にありがとう! あなたが助けてくれたおかげで、私たちみんな無事に帰ってこられたわ! あなたはこの学園の英雄よ!」
「そ、そこまで言わなくても。でも、元気そうで良かった……」
「もうずーっとみんな、あなたの話題ばっかりなのよ! みんな言ってるの、ベアトリスさんがまるで、未来を知っていたみたいって!」
「……え?」
硬直する私に、ソフィアは構わずにっこり笑って話を続ける。
ハイトーンの声がやけに耳に痛い。
「あの時、あなたは私たちの誰よりも冷静に戦っていた。それに、ずっと何かに警戒していてこれから危険が迫ってくるのが分かっていたみたい。戦闘経験なんてないはずなのに、どうしてあんなに的確に魔物のことが分かったのかなってずっと不思議だったの!」
「な、なにを、いって……」
狭い室内に、逃げ場などない。
ソフィアが何を考えているのか分からない。
ベッドの上で狼狽える私に、ソフィアはゆっくりと近づいてくる。
一瞬、ふわりと春風のような暖かな風が吹き抜ける。
ソフィアの魔力だ。
それに気づいた時には、もう遅い。
「あなたの秘密、ぜーんぶ私に見せてっ!」
ソフィアが私の瞳を覗き込む。
きらり。
ソフィアの瞳が輝き、凄まじい閃光が私の視界を、脳を焼き付けしていく。
「っ、あ、ああ、あああ——————!」
光に飲み込まれて、まるで時間が停止したかのような錯覚に陥る。
呼吸しているはずなのに、止まっているような、夢なのか現実なのか分からない。
揺らぐ視界の中、あまりの初撃に頭を押さえて倒れ込めば、ソフィアはぶつぶつと何か呟いているのが聞こえてきた。
「へぇ……異世界の記憶……そう、私が主人公の物語だったの。物語の世界だとあなたはすぐ死ぬから、それを回避したかった……なるほど、上手くいってよかったわね」
「なに、を……」
「知ってるんでしょ、私のお兄ちゃんのこと。ああほら、見えてきた……あれが未来のお兄ちゃんなのね……!」
私の記憶を盗み見たということなのか。
前世の記憶なんてソフィアが知るはずのないことだ。それを、今しがたこの目で見たとでも言うかのような口ぶりじゃないか。
しばらくするとソフィアは満足したのか、倒れ込んだ私を助け起こし、治癒魔術をかけてくれる。
あなたが仕掛けてきたくせに一体なんなんだと言いたいが、彼女の目的はもう分かっていた。
「お兄さんのことが知りたかったの?」
漫画でもこの現実の世界でも、ソフィアの最愛の人は変わらない。
ただ一人、ソフィアは兄のことだけを永遠に想い続けている。
「知ってるんでしょ、私がお兄ちゃんのことを愛してるって。優しくて素敵で、私のことを誰よりも大切にしてくれて守ってくれる人。魔術師としてもとっても優秀で将来を約束されてて、あんなところで簡単に死ぬような人じゃないの!」
聞いてもいないことまで大声でまくし立ててきたが、結局のところ、ソフィアは兄の生死が知りたかったのだろう。
長年行方不明で消息が掴めず、ただの級友であるはずのジュリアンにまで面影を重ねるほど恋焦がれていたのだ。
「誤解しないで、私はあなたの敵じゃない。ただちょっとだけ、あなたの記憶を借りたかっただけ。不思議だったのよね、私の暗示にかからない上に、教えたはずのないお兄ちゃんのことまで知ってたなんて……ジュリアンから聞いて、ずっと疑ってたのよ。あなたは私の知らない何かを知っているんじゃないかって」
「そう……あなたの見た通り、私は前世の記憶であなたたちのことを知っていたの。でも、現実は私の記憶とは違っていて、どんどん異なる展開に進んでいるの」
「別に構わないわ。細かい部分が違っても本筋は同じなんだから、お兄ちゃんの居場所も間違いないはず。やっと手がかりが手に入ったんだもの、本当にありがとう!」
ソフィアはまたいつもの明るい調子に戻り、先程の狂気的な一面はすっかり潜んでしまった。
「手荒な真似をしてごめんね。でも、あなたならきっと分かってくれると思ったの。乙女の恋心ってもの。あなたもそうでしょ、あの男のことが好きで好きで仕方がなくて狂いそうなの。見えちゃった」
いたずらっ子のように笑っている。
「校内での不純異性交友はおやめ下さ〜い」
「見たの!? 見たのね!? 見たんでしょ!?」
「アハハッ、怒っちゃった! 安心してよ、言いふらしたりなんてしないから」
ジュリアンとちょっとエッチなことをした時の記憶まで見るなんてひどい。
ケラケラ笑っているけど、全然笑いごとじゃない。
見られてしまったのならもう誤魔化したってどうしようもないじゃないか。
けれど、ソフィアはひとしきり私をからかうと、ふと寂しそうな表情を見せる。
「幸福の味って面倒よね。一度味わうと二度と忘れられなくて、永遠に手に入れられるまで幸せになれない」
その通りだ。だから私は、こんなに苦しんでいる。
愛されることを知ってしまったから、それを失う恐怖も知ってしまったのだから。
「ね、少し外を歩かない? 恋バナしましょ!」




