1話 少女漫画の脇役
——————自分が『ベアトリス』だと気づいたのは、医務室のベッドから起き上がった時だった。
「私……転生してる?」
窓ガラスに反射した自分は、見たことの無い姿をしていた。
ミディアムヘアの黒髪、だがその目は赤く、顔立ちも幼い。
そして、それら全てを覆い隠すかのような分厚い瓶底メガネ。
どう見ても、十五歳前後の少女にしか見えないが、記憶にある最後の自分は二十二歳だ。
「痛ったた……腰、痛ったぁ……」
強打した腰をさすりながら、ベッドから起き上がろうとする。
さっきの魔法薬の実験で、同じ班の子が失敗して吹っ飛ばされたおかげ運び込まれたのだった。
(このダサい瓶底メガネ……そして、私の名前『ベアトリス・デュヴァル』……間違いない)
今流行りの異世界転生とやら。
前世でそんな漫画をいくつも読んだが、問題は転生した世界だ。
『魔術師のハツコイ』——————学生時代読んでいた少女漫画だ。
魔術師を育成する魔術学園に入学した主人公が、恋と魔法と大冒険を繰り広げるファンタジーラブストーリー。
当時毎月雑誌を購読していたのでこの作品を連載当時から追っていたため、この世界をよく知っている。
問題は、自身が序盤で死ぬ脇役の同級生、『ベアトリス』であることだ。
この物語のヒロインは『ソフィア』という可憐な少女。
魔術師としての才能は一般的であったが、ある出来事をきっかけに才能を開花させる。
それが、野外実習で魔獣に襲われ絶体絶命に陥るという出来事だ。
ベアトリスはソフィアの目の前で魔獣に食い殺され、ソフィアは仲間を失い命の危機に瀕したことで才能を開花させ、見事魔獣を討ち取るという流れである。
要するに、ベアトリスはソフィアのための舞台装置なのだ。
(私……そう、私はベアトリス・デュヴァル。貧乏子爵家の令嬢で、奨学金制度を利用してなんとか学園に通っている。卒業後は就職して実家にお金を送らないといけなくて、それで……)
急に色んなことを思い出したからか、頭が痛くなってきた。
漫画の中ではソフィアの同級生で、頭が良く度々ソフィアの課題を見てあげていた友人のうちの一人として描かれていたぐらいだろうか。
そして現実のベアトリス……私は、有り体に言えば貴族でありながら貧乏苦学生という状況だ。
毎日苦労してこの学園になんとかしがみついているというのに、その結果が魔獣に喰われて無惨な遺体になるなんてあまりにも残酷すぎる。
「ベアトリスさん? 目が覚めたのね。大丈夫だった? 魔法薬の実験で気絶しちゃうなんて、不運だったわね」
目覚めたことに気づき、心配そうに養護教諭が声をかけてくれた。
「あ、先生……いえ、大丈夫です。それより、次の講義に行かないと」
「だめよ、ちゃんと休まないと」
「いえ。欠席数が規定の数を越してしまうと奨学金が無くなるので」
養護教諭を押し切って医務室を出ていった。
そうだ、今の私に休んでいる暇はない。
こうしているうちに刻一刻と講義は迫り来る。
無遅刻無欠席、常に学年上位を維持しなければ足元は簡単に崩れ去るのだから。
(それも……あと数ヵ月後の命だけどね)
問題の野外実習まではあと数ヶ月あるはず。
このまま何も対策しなければ魔獣の餌だ。
そんな筋書き、大人しく従えるわけがない。
(どうする? 成績のことを考えれば、実習は休めない……ソフィアには極力近寄らず、実習では逃げに徹するしかない……?)
だがそうなると、原作の流れはどうなるのだろうか。
ベアトリスが死ぬことでソフィアが覚醒するのなら、ベアトリスが死を回避すればソフィアは覚醒しないのか、それとも別の誰かが犠牲になるのか。
(あー……ほんとに頭痛い。前世を思い出したのが良かったのか悪かったのか……)
もうすぐ死ぬことを分かっていながら、回避は難しいという現状が突き刺さってくる。
(相談できる相手も……いないもんね)
廊下の角を曲がろうとしたその時、ちょうど向かいから話し声が聞こえてきた。
「あいつも大袈裟なんだよ! ちょっとした爆発ぐらいで派手に転んで気絶なんかして。あいつが鈍臭いのが悪いのに、なんで俺が謝らないといけないんだ」
「ハハッ、あの根暗と同じグループになっちまったのが運の尽きだよ。ま、さっさと謝って帰ろうぜ。俺らまで次の講義に遅れるだろ」
数人のバタバタとした足音と、笑い声。
最悪。そう思わずにはいられない。
(ちょっと爆発したぐらいで……!? はぁ!?)
実習で同じグループだった生徒たちだ。
(そもそもあなたが先生の話を真面目に聞かなかったからこういうことになったわけであって……!)
とまあ内心でブチ切れまくるものの、言い返す度胸はなかった。
「まーまー、そう言ってやるなよ。あの真面目ちゃんが可哀想だろ?」
グループの中心にいる男子が、そう言って笑う。
どう見ても可哀想など思ってはいないのが丸わかりじゃないか。
(ジュリアン……マンガだと、メインキャラのうちの一人だったのに、どうして今まで気付かなかったのかしら)
ジュリアンは序盤から登場するキャラでソフィアを妹のように可愛がっており、学園内でもよく一緒に行動していた。
そのうちソフィアに対して恋愛感情を抱くようになり、ソフィアが学園を卒業して魔術師になってからも彼女のそばで追いかけ続ける。
が、別にソフィアとくっ付くわけではない。
メインヒーローは後からの登場で、彼が登場して以降のジュリアンは完全な当て馬ポジションに成り下がる。
テコ入れなのか元々予定していたのかは知らないが、連載当時は当然ジュリアンと結ばれるものだとばかり思っていたので、あれには仰天させられものだ。
(でも私からしたらジュリアンは、かなーり苦手なタイプなんだけど……)
ソフィア視点から見ればちょっとチャラいが良い兄貴分、だがこちらから見れば、ジュリアンは人気者の陽キャでなおかつ私を真面目ちゃんと呼び小馬鹿にしている。
おかげで彼と仲の良いグループの男子からも一緒になって笑われる始末だ。
見つからないようにそっと逃げようかと身を潜めていれば。
「あ?」
「……!」
タイミングを間違えて早々に見つかった。
驚いたようなジュリアンと目が合うが、彼はふっと笑う。
「あれ、元気じゃん」
近い……!
ぐっと顔を寄せて覗き込んでくるものだから、身を引いて距離を取る。
「なんだよ心配して損したわ」
「おいおい、ひでーな」
後ろでは男子たちがげらげらと下品に笑っていた。
「じゃーね、真面目ちゃん。俺ら次の講義行くから」
ジュリアンはひらひらと手を振って、男子たちを引き連れて去っていく。
思わずはぁっ、と深いため息をついた。
(これが、私の日常かぁ……)
頼れる味方も主人公のような天賦の才もない。
こんな調子でどうやって死を回避できるものか先が思いやられそうだった。
(とにかく、目先の問題を一つずつ解決していきましょ……)
まずは、次の講義だ。
問題は山積みだが、目の前のことから手をつけていかなければどうにもならない。
その後、ペアワークで運悪くジュリアンと組まされるなどということも知らず、私は気合いを入れて講義室に向かっていたのだった。




