13話 研究室にて
「今年の野外実習なんだが、またアガルムの岬に決まったらしい。もう毎年行ってるから飽きてるんだが」
コールヴェール先生の研究室で、いつものように掃除していればおもむろに先生がそう言った。
なお先生の机の周りは書き損じの原稿用紙がありえないくらいに散らばっている。
アガルムは大海に面した穏やかな港町だ。ここからそう遠くはなく、定番の実習先になっているため先生にとってはお馴染みの土地である。
「先生はそうですけど、私たちは初めてですから。あっ、またいらない書類を魔術で燃やして! 掃除した傍から灰が散るのでやめてください」
スペースがなくなったせいでいらない紙をその場で魔術を発動させ、燃やして片付け始めているではないか。
先生の手伝いをするようになってから分かったことだが、先生は日常の些細な動作にも遠慮なく魔術を使いまくる。
今だって論文原稿を書きながら、魔術で室内に置いてあるポットを動かしてコーヒーを入れている。
言ってくれればそれぐらいやるのに、熱湯で火傷したら困ると言われ、ポットに触らせて貰えないのだ。
ちなみにコーヒーはビーカーに入れている。マグカップぐらい買えばいいのに、これ以上ないほどごちゃごちゃしている研究室にこれ以上物を増やす提案は気が引けた。
「すまん、ついうっかり。だがなぁ、あんなところ行ったって面白みがないだろ」
「それでいいんですよ。学校行事なんて何事もなく予定通りに終わるのが一番なんですから」
「あまり乗り気じゃなさそうだな?」
先生はそう言いながら、書類のファイリングを必死にやっている私の目の前にもうひとつのビーカーを置く。
ついでに角砂糖が宙から二つ飛んできた。
「まぁ……こういうのはあまり、慣れてないので。というか、それぐらい歩いて取ってくださいよ。私も自分でやりますから」
「すまん、こっちの方が早いものだから」
先生は常人に比べて魔力量が半端ではなく、普通の人ならやらないレベルで魔術を使いまくるのだ。
それこそ、この人にとっては歩くこと呼吸することと同じくらいの感覚で何か魔術を使っている気がする。
見ているこっちからは、まるで手がいくつもあるように見えてなんだか面白くはある。
閉じ終えたファイルをテーブルの隅に並べると、私はビーカーを手に取った。
コーヒーの芳醇な香りがふわりと広がる。そういえば、先生は豆の種類にもこだわりがあるのだとかないのだとか言っていた。
「実習中は俺の手伝いは良いから、授業に集中しておきなさい」
「分かりました」
「それと、何か悩みでもあればいつでも相談しなさい。あと、妻がまた菓子を作りすぎたから持ってきた。食べなさい」
「ありがとうございます」
「最近はちゃんと一日三食食べているか?」
「それなりには」
「もっと肉を食べて、運動して体を鍛えるんだ。魔術師とはいえ、体が資本であることに変わりはない」
「はい」
椅子から一歩も立たない人に言われても、とは思いつつ返事をする。
先生がくれた林檎のタルトは、バターの香ばしい香りと林檎の甘い香りが素晴らしい。
一口食べれば疲れが癒される。
(ジュリアンにもあげたかったな)
彼は甘いものが好きだから、きっと喜んで食べただろう。もっとも、私の手作りの方が良かったとか言い出しそうだけど。
「そうだ。お前、ユベールとは仲が良いのか」
のんびり休憩時間を楽しんでいれば、唐突に先生が聞いてくる。
ユベールという苗字の生徒はひとりしか思い当たらない。
「ソフィアのことですか? 良いかどうかは微妙なところですけど……」
「そうか。ならいい」
先生はそう言って会話を終わらせてしまった。
急にどうしたのだろう。
まさか、この間の精神干渉魔術に先生が気づいたのだろうか。
先生の表情はいつもと変わらない。
また、原稿用紙に視線を落として硬い表情でペンを走らせている。
たしかに、ソフィアの魔術で傷付きはした。
でもトラブルを起こしたいわけじゃない。これで先生がソフィアを罰して、私が逆恨みされる可能性は否めないだろう。
思い切って、探られたのなら探り返してみるか。
「あの、」
「先生、今日の講義の事なんですが——————」
「ああ、来たか。見せてみなさい」
ちょうど運悪く上級生が研究室に入ってきて、先生と話を始めてしまった。
さすがにこれは割り込めない。
仕方なくテーブルの上に視線を逸らす。
書類と本と、あとなぜか置かれた花瓶。
一昨日片付けたばっかりなのに、なんて思いながら手持ち無沙汰で、なんとなしに花瓶に生けられた枝のつぼみに魔術をかけてみる。
「わっ」
「おお、咲いたな」
花瓶のつぼみは、ぽんっと音を立てて大きな青い花を咲かせていた。
***
「へー、そういえばもうそんな季節か」
研究室で先生と話したことをジュリアンにも共有すれば、彼は意外にもつまらなさそうな反応だった。
「ジュリアンは実習、楽しみにしてる?」
「あんまり。ベアトリスと二人きりになれる時間、絶対少ないだろ」
「遊びに行くんじゃないもの」
「だいたいなんで野外なわけ。ここでいいじゃん」
「アガルムは敷地も広くて気候も穏やか、危険な野生生物も生息してない地域なの。それに、地下に眠る魔力量が他の地域より突出している上に、山も海もあるから魔術の訓練を行うには最適な環境なのよ」
「へー詳しいね。もしかして楽しみにしてた?」
「違う。先生から聞いただけ」
嘘だ。漫画の知識と、前世の記憶を取り戻してから必死に調べ上げただけだ。
なにせ、そこが私の決戦の地になるのだから。
当初は実習をなんとか回避するために策を練っていたが、現実は漫画とは異なる展開を進んでいる。
そこで私は考えたのだ。
私の死という要素も、異なる展開を迎えるのではないかと。
本当に魔物が現れ私は喰われるのかもしれないし、何も起こらないかもしれない。
ただ、明らかに世界は私の知らない方向へと進んでいる。
確かめたいのだ。
この先も、漫画とは違う世界が続くのかどうかを。
そうすればきっと、ジュリアンがいつかソフィアのところへ戻ってしまうという不安もかき消せるような、そんな気がして。
「ねえ、ジュリアンは……」
——————私のこと、守ってくれる?
なんて、口が裂けても聞けないけれど。
「やっぱり、なんでもない」
「なんでもなくはないだろ」
下手な誤魔化しに、案の定ジュリアンは食い下がる。
「何があっても守るって約束したじゃん。それとも、俺はやっぱり信用ない?」
「そういうわけじゃないの! ただ……甘やかされるのに、慣れなくて……」
ジュリアンに前世の記憶のことは話せない。
だから、もっともらしい理由を付けてみたのだが。
「私、家族にもそんな優しい言葉、言われたことないから……」
ジュリアンの表情が変わる。
しまった。間違えたようだ。
私にとって家族との不仲は日常だったけれど、ジュリアンはそうじゃない。
「ごめん、暗い話がしたいわけじゃなかったの」
慌てて笑って誤魔化そうとしたが、ジュリアンは私の手を取る。
「じゃあ、俺とベアトリスで家族になろう」
「……私と、ジュリアンで?」
予想外の言葉だった。
突然プロポーズでもされたのかと思いきや。
「俺たちで温かい家庭を築くんだよ。それで、二人だけの居場所にする。そうしたら、ベアトリスにとって家族っていう存在が甘えられるものになるだろ」
「……うん。ありがとう、ジュリアン」
プロポーズには間違いなさそうだった。
でも、ジュリアンと家庭を築けたら、それはどんなに幸せなことだろうか。
彼は確か、家族とは仲が良かったはず。
優しい両親に大切に育てられ、年の離れた兄に憧れを抱いて学園に入学したのだという背景だった。
きっと、ジュリアンは家族愛を知っているからこそ、こういう素敵なことが言えるのだろう。
いつか私も、分かるようになるだろうか。
その未来を掴むためにも、まずは、目前に迫った難題に挑むしかなさそうだった。




