11話 私のお兄ちゃん
「お疲れ様」
「なんでいるの」
「可愛い恋人がお仕事頑張ってるんだから、迎えに行くのは当然だろ?」
すっかり先生の手伝いにも慣れた頃。
さっさと寮に戻ろうとしたら、研究室の扉を開けた先にジュリアンが待ち構えていた。
いつからそこにいたのかは知らないが、すっかりニコニコ上機嫌な様子。
「別に、そんなのいいのに」
「俺がしたくてしてるだけだから。それで、今日はどんなことやったの」
「普通の事務仕事だよ。先生、すぐ書類を溜め込むから毎回デスクが悲惨なことになっちゃうの」
「へえ」
ジュリアンが私の腕に手を回して組む。
早速密着してきたが、この声はかなり不満そうだ。
「俺の前で他の男の話なんて感心しないなぁ」
「いやあなたが聞いてきたんでしょ。それに先生は既婚者だし」
「あの人が既婚者だとかはどうでもいい。ベアトリスは俺と先生、どっちが好きなの?」
「何よ急に」
「答えて」
まさか先生相手に妬いているのか。
ジュリアンもたいがい嫉妬深い質ではあるが、さすがにそれはない。
「そんなのジュリアンに決まってるでしょ。わざわざ言わせないで」
最初の頃は恥ずかしがったり戸惑っていたけれど、だんだん慣れてきた。
むしろこの男は私が恥ずかしがれば恥ずかしがるほど喜ぶ。
「でも、これからはあんまり人前でベタベタしないで」
「え、なんで」
ジュリアンは首を傾げているが、なぜ分からないのだろうか。
「私より目が良いのに周りの視線ってものが見えてないの? あのね、私みたいな地味女とあなたみたいなかっこいい人気者がこんなに引っ付いてたらおかしいでしょ」
「どこがおかしいの? 恋人同士なんだから当然じゃん」
これだから人気者の陽キャは困る。
若干苛立ちながらも、なんとかジュリアンを口止めしようと説得する。
「その恋人っていうのも、他の人には絶対言わないで。もうこれ以上余計なトラブルに巻き込まれるのはごめんなの」
「ふうん。それってソフィアのこと?」
「彼女だけじゃないわ。あなたを好きな人なんてこの学園に何人いると思ってるの」
「でも、本当の俺を知ってるのはベアトリスだけだ。他の奴らなんかどうだっていい」
あなたがそう思っていても周りは放っておいてくれないのだ。
「明日のテスト返却、絶対変なこと言わないでね。約束して」
「どうかなぁ」
その後も私は必死にジュリアンに訴え続けたが、はぐらかすような返事しかもらえなかった。
頼むからソフィアとトラブルだけは起こしたくない。
万が一、みんなの前で私と恋人同士であるなんて口外されたらまずい。絶対にソフィアを怒らせるに決まっている。
とにかく私に出来ることは、必死に天へ祈ることだけだった。
***
「ベアトリスさん、テストの点数どうだった!?」
「あー、えっと……その……」
講義終了後、早速ソフィアが駆け寄ってきた。
慌てて返却されたばかりのテスト用紙を裏返す。
「見て見て! 私、92点も取っちゃったのよ!」
「…………すごいね! さすがソフィアさん! 今回はソフィアさんの勝ちね!」
ソフィアの誇らしげな大きな声に、周囲も視線を向けてくる。
私はひきつる顔を誤魔化しながらソフィアを褒め称える。
もうこれで終わりにして欲しい。
「何点だったの?」
「…………90点、ですよ」
「本当に?」
そう言ったのは、隣の席に座っていたジュリアンだ。
しまった。先にこの男を黙らせるべきだった。
「みーせて」
「ひゃっ」
口を塞ごうとした一瞬で、テスト用紙を奪われる。
「96点じゃん」
無慈悲にも点数が読み上げられる。
「え……じゃあ、私、負けたってこと……?」
ソフィアの顔から笑顔が消え、呆然としてしまった。
まずい、こうなるから嫌だったのだ。
しかもほとんど点数差がないのだから、なおさらショックを与えてしまう。せめて大幅に差があればよかったのに。
「っ、いや、引き分けってことでどうですか!? これからは、ソフィアさんも一緒にお勉強しましょうよ。ね、それでいいでしょ?」
必死にソフィアを宥めようとしたが、またしてもジュリアンが口を挟んできた。
「はあ?」
「っ、ジュリアン……!」
「ソフィア。この際だから言うけど、俺とベアトリスは見ての通り付き合ってんだよ。お前の入る余地なんか最初からどこにもないわけ」
ジュリアンは私の腰に手を回して抱き寄せる。
言ってしまった。
あれほど必死に口止めしたというのに、たやすく口にしてしまった。
「うそ……うそよ、そんなのうそ…………」
ソフィアはぶつぶつと繰り返しながら肩を震わせる。
ぐしゃり。
彼女の手の中にあるテスト用紙がくしゃくしゃに音を立てて握り締められる。
「私のお兄ちゃんはそんなことしない……私の、私だけのお兄ちゃんだったのに……ッ!」
(……ん?)
今、なんて?
聞き間違いだろうか。
ソフィアが酷く顔を歪めてこちらを睨みつけている。ヒロインがしちゃいけない感じの顔だ。
「俺、お前の兄貴じゃないから。悪いけど、そろそろ現実見た方がいいよ」
「ッ……黙れッ!」
今度は絶対に聞き間違いじゃない。
(……え、い、今のは……?)
漫画でも見たことのないような顔で、ソフィアが怒鳴る。
ソフィアが、ジュリアン相手にだ。
別人になってしまったのかと錯覚してしまう。
けれどソフィアは止まらない。
「そっちがその気なら痛い目見せてあげるわ……」
一瞬、ソフィアの目がキラリと輝いたと思ったら。
「うわぁんー!」
突然ソフィアが大声で泣き始める。
大粒の涙をこぼして、わんわん泣くものだからクラスの皆が一斉に駆け寄ってくる。
「ソフィア、大丈夫……!?」
「勉強できるからって意地悪してるんでしょ。ソフィアが可哀想」
キッと睨みつけられる。
えええ、これ私が悪いの。
「ちょっと、ジュリアン……」
「おっと、これはまずい」
ジュリアンが私を抱き寄せたまま、後ずさってソフィアから距離をとる。
皆に囲まれて慰められているソフィアは、泣いているようにもこちらを睨んでいるようにも見えた。
「最近変だと思ってたのよね。ジュリアンがソフィアより優先するなんて、ありえないもの!」
「てか、ベアトリスってコールヴェール先生の研究室に出入りしてんだろ。先生に色目使って不正したんじゃねーの」
「……え」
予想外の言葉を言われて絶句する。
「先生って既婚者だよね」
「でも、おかしいよね。あの子ばっかりいい点数取って、先生にも気にいられて……」
皆の鋭い疑いの視線がいくつも突き刺さる。
そんな、どうしてそんなことを言われなければいけないのだ。
先生は特定の生徒を贔屓するような人じゃない。
テストの点だって私が必死に勉強した結果だ。
それなのに、先生と良からぬ関係になり点数を稼いでいるなんてどうして、そんなことを。
「ベアトリス、大丈夫だから」
ジュリアンはそう言うが、呼吸は早くなるばかり。
どうしよう、何とかして誤解をとかなくちゃいけないのに怖くて声が出ない。
だがその時、講義室の扉が開いてコールヴェール先生が戻ってきた。
「お前たち、これは一体なんの騒ぎだ」
「せ、先生……」
明らかに異様な雰囲気に眉をひそめている。
先生が現れたことで、皆が騒ぐのをやめてわずかに落ち着きを取り戻す。
その瞬間、私はジュリアンに抱き上げられていた。
「逃げるよ」
「わっ」
いわゆる、お姫様抱っこというやつ。
「とにかく全員座りなさい。すまないが配布物を忘れていて……っ、おい、どこへ行く!?」
ジュリアンは私を抱えたまま、先生の横を駆け抜けあっという間に教室を出ていく。
開け放たれた扉から、生徒たちのざわめきがかすかに聞こえてきた。
「……あれ、今、私は……」
「なんだっけ、今なんだかすっごく怒ってた気がするんだけど……」
「誰に何を怒ってたんだろう……?」
「逃げるなんて……二人とも卑怯者だ!ベアトリスもジュリアンも、ぜーったい許さないからねっ……うふふふ!」
今回はあんまり楽しくない話でごめんなさい……!
次回は糖度高めのいちゃラブ話です!




