9話 鏡の中の自分(ジュリアン)
「リヴィエ侯爵家の血を引く子なら、出来て当然よ」
ただ、魔術の練習が上手くいったことを褒めてもらいたかっただけだった。
母は俺を虫けらでも見るかのような冷たい目で一瞥して、去っていってしまった。
俺の幼少期は、そんな毎日の繰り返しだった。
俺はリヴィエ侯爵家の次男として生まれたが、歳の離れた兄は優秀な人で、俺がいくら頑張っても到底追い越せないような人だった。
生まれた時から越えられない壁が目の前に設置されていて、周りもそれを分かっているのか俺に期待はしなかった。
父も母も、兄のようになれとそればかり繰り返す。
食べるもの、着るもの、全てかつての兄と同じように整えられ、俺は兄の辿った人生の後を追うだけの存在。
食事の好みも好きな本も、一日のスケジュールも、全て兄と同じものを好むように強制された。
「ジュリアンがアンリと同じように育てば、万一あの子に何かあっても侯爵家は安泰ね」
「唯一気がかりなのは、ジュリアンの魔術属性がアンリと違うことだがな……」
八歳の時、深刻な顔で話し合う両親を覗き見て俺は知った。
俺は兄のスペアとして生まれた存在だったということを。
兄は俺が生まれる以前、大病を患い死の境目をさまよったという。
両親はその病が再発することを危惧し、万一後継者が死んだ時のための代わりとして俺を作ったのだ。
だから、何でもかんでも兄と同じようにと強制されていたのだと腑に落ちた。
だったら最初から、ジュリアンじゃなくてアンリと同じ名前を付ければよかったのに。
なぜ自分に自我があるのか、俺は俺自身が理解出来なかった。
自我さえなければ、両親の望む優秀な子どもに育ち、いくらでも褒めて貰えただろうにと思ったからだ。
やがて兄は王宮に出仕するようになり、王家にも認められる存在になっていった。
その頃には兄と顔を合わせることもほとんどなく、あの人がどんな人だったか、毎朝鏡を見ながら必死に思い出して真似る日々が続いた。
誰と会話をするにしても、兄はどう話していたのかを思い出しては真似て、好きだった推理小説も忘れて兄の本棚にある魔術書だけを読むようになった。
時々、母が俺をアンリと呼び間違えるほど完璧だったと思う。
そして、兄が卒業した王立魔術学園に俺も入学する日が来た。
学園に来たところで俺のやることは変わらない。
周りが求める存在として振る舞い、周りが思う俺の姿を体現し続ける。
そこに俺の意思はいらない。
リヴィエ侯爵家の次男、長男にそっくりなジュリアン。それでいい。
そう思っていた矢先、厄介な相手が現れた。
「あなた、私のお兄様にそっくりなの。ねえ、あなたのこと、お兄様って呼ばせて!」
学園で同じクラスになったソフィアとかいう名前の女は、俺をひと目見るなりそう言い放ってきた。
曰く、ソフィアには最愛の兄がいるが長いこと離れ離れなのだと。
こんな時、アンリならなんと答えただろうか。
優しく頷いて、彼女の望みを叶えてあげただろうか。
だけど、その時の俺は答えが決まっていた。
「やだね」
呆然とする女を鼻で笑って踵をかえしていったが、内心ではありえないぐらいにムカついていた。
力任せにその辺の木を殴って手を怪我したぐらいには、怒りをどう発散して良いのかわからなかった。
これ以上、俺に他の誰かを演じろと?
生まれた時から、兄と同じ存在になるように演じ続けてきた。
自分自身を見失ったとしても構わないと、ただリヴィエ侯爵家に相応しい姿を作り上げてきた。
それが、また別の見知らぬ男を演じろと。
それも、またしても『兄』とかいう存在を。
家の中から出て、環境の変化があったからなのだろうか。
その時やっと俺は、自分が疲れていることに気づいた。
ますます、『ジュリアン』という人間が何者なのかが分からなくなっていって、それなのに演じなければならない姿は増えていって。
しかし、俺の苛立ちに一切気づかなかったのか、ソフィアは次の日もめげずに俺に近づいてきた。
段々とかわすのが億劫になってきて、そのうち次第にだったらせいぜいお望み通りに演じて、喜ぶあほ面でも拝んでやろうと思うようになった。
結局、自分がないから、自分じゃない誰かを演じないと生きていけないだけ。
ソフィアのことは単なる言い訳で、何も考えず楽に過ごすために話に乗っただけだった。
「ねえジュリアン! 今度、一緒に図書館へ行きましょ。昔よくお兄様が連れて行ってくれたの」
「いいよ、暇だし付き合ってあげる」
へえそう。じゃあその兄貴と行けよ。
「ねえお兄様……っ、間違えちゃった! ジュリアンってば!」
「なにそれ。俺はソフィアの兄じゃないんだけどな」
わざとだろ。下手な演技だな。
周りは俺たちのことを恋人同士だとか思っているようだが、実際はそんなものでは無い。
互いに利用しているだけで、恋愛とは程遠かった。
そんな日々が続くうちに、次第に限界を迎え始めている兆しが出てきた。
(ああ、疲れた……俺って、なんなんだろうな)
発散しようのない感情を抱えながら、誰もいない庭園を歩く。
教育機関というものは、大抵学生の自立を促すものであって、俺みたいな自分の軸が壊れてるやつには相性が悪すぎる。
おまけに、兄の真似ばかりしているせいでますます性格がねじ曲がっているような気がしてならない。
両親は知らないが、兄はああ見えて性格が悪い。
外面は良いが裏では俺のことだって平気で役たたずだって馬鹿にするし、他人の悪口ばかり言っている。
兄のようになれというのでそういうところも幼い頃から真似していれば、いつのまにか俺まで本当に捻くれた野郎になってしまったのだ。さぞ滑稽なことだろう。
今日はもうしばらく誰とも話したくないし、何も考えたくなかった。
温室なんかちょうどいいだろうと、そう思いながら適当な場所を探していると。
「……なんで、こんなことになっちゃったのかなぁ」
ぐすん。女の子の泣き声が聞こえて、思わず身構える。
恐る恐る覗き見れば、そこにいたのは同学年のベアトリスだった。
俺がいつも、真面目ちゃんと呼んでいる生真面目で堅物、信じられない分厚い瓶底眼鏡をした女子。
けれど、そこにいたのは見たこともないような可憐な人だった。
(泣いてる…………綺麗な涙だな)
同級生の泣き顔を見てそんな感想を抱くなんて変かもしれない。
けれど、その時の俺にはそう見えたのだ。泣き方も忘れた俺には。




