第005話 シャルロッタ、礼儀で風を切る
「許可なく触れれば、渓域への敵対と見なします」
風より先に、言葉が壁になった。
俺は反射的に言い返しそうになった。
敵対。
ずいぶんな言葉だ。
こっちは飛竜が苦しんでいる原因を探そうとしている。
神具に異常があるかもしれない。
ソフィアも匂いを拾っている。
ミリアムの記録にも、神具の歪みは残っている。
それなのに、敵対。
喉の奥で、言葉が熱くなる。
俺は一度、配信画面を見た。
コメント欄も当然、荒れ始めている。
《コメント:敵対は言いすぎ》
《コメント:神具おかしいの見えてるじゃん》
《コメント:でも管理地なら勝手に触らせないのは当然では》
《コメント:ここで英雄権限使えないの?》
《コメント:光の英雄パンチで押せ》
光の英雄。
その言葉が目に入った瞬間、余計に言いづらくなった。
使えば通るのかもしれない。
この世界で、俺にそういう名前がつき始めていることはわかっている。
神官たちも、その名前を無視できない。
でも、俺はまだ、その称号を信用していない。
信用していないものを振り回して、誰かの管理地を開けさせる。
それは、たぶん便利だ。
そして、危ない。
「シルフェリア」
俺はできるだけ声を抑えた。
「敵対する気はない。神具に異常があるなら、飛竜のためにも確認が必要だろ」
「確認は風神官の役目です」
「その風神官の管理下で、今、飛竜が怯えてる」
シルフェリアの目が鋭くなる。
言い方を間違えた。
正論でも、相手の責任を正面から刺せば、相手は守りに入る。
わかっているのに、やってしまった。
俺はまだ怒っている。
ソフィアへのことも。
飛竜が苦しんでいることも。
何より、今ここで称号を使えば楽になるかもしれない自分にも。
「秀直様」
シャルロッタの声がした。
静かだった。
でも、止める力がある。
俺は口を閉じた。
シャルロッタが一歩前に出る。
風に金色の髪が揺れた。
彼女はスカートの裾を軽く押さえ、まるで岩棚ではなく宮廷の広間にいるみたいに背筋を伸ばした。
その姿だけで、空気が少し変わる。
クリスティーナが小声で「姫モード」と言いかけて、ティアナに袖を引かれて黙った。
シルフェリアも、シャルロッタを見る目を変えた。
外来者を見る目ではない。
身分と格式を持つ者を見る目だ。
そこに敬意があるのか、警戒があるのかはわからない。
たぶん両方だ。
「風神官シルフェリア様」
シャルロッタは丁寧に一礼した。
「まず、渓域を守るあなたの責務に敬意を表します」
いきなり責めない。
シルフェリアの眉が、ほんの少し動いた。
「飛竜の巣が渓域の生命線であること。神具が中枢に関わるものであること。外部の者が不用意に触れてはならないこと。そのすべて、理解できます」
「ならば」
「だからこそです」
シャルロッタは、シルフェリアの言葉を切らずに上から重ねた。
強い。
でも、無礼ではない。
「だからこそ、記録された異常を放置することは、風神官の責務に反します」
言葉が、まっすぐ入った。
シルフェリアの顔が硬くなる。
「放置ではありません」
「では、すでに確認手続きは開始されていますか」
「配下を向かわせています」
「配下の確認結果は、誰の名で記録されますか」
「風神官の名です」
「その記録には、現時点で映像に残っている神具の焦げ跡、飛竜の異常反応、風の割れ、ソフィアの嗅覚証言が含まれますか」
シルフェリアはすぐには答えなかった。
シャルロッタはたたみかけない。
待つ。
相手に沈黙の重さを持たせる。
俺だったら、たぶんここで追撃している。
そして、相手をさらに硬くしていた。
「嗅覚証言は、正式な風神官記録には」
「では、外部協力者の補助証言として添付する形でいかがでしょう」
シャルロッタは即座に道を出した。
「飛竜の反応については、映像記録と風神官配下の現認を併記。神具の焦げ跡については、接触前の遠隔確認記録として保存。これなら、神具に触れずに一次記録を作れます」
ミリアムが小さくうなずいた。
「可能です。映像は距離、角度、時刻を付与できます。風音も同期できます」
「聞きましたか、シルフェリア様」
シャルロッタは微笑んだ。
美しい微笑みだった。
ただし、逃げ道を塞ぐ微笑みでもあった。
「私たちは、神具に触れたいのではありません。あなたの責務が、あとから誰にも疑われない形で履行されるよう、記録と手続きを整えたいのです」
《コメント:姫つよい》
《コメント:礼儀で殴ってる》
《コメント:言い方が綺麗なのに逃げ場がない》
《コメント:交渉担当きた》
《コメント:これが上流階級の圧か》
コメント欄が軽い。
その軽さが少しありがたい。
でも、実際に動いているものは重い。
責任。
手続き。
記録。
神官組織の名。
それらは、剣より遅い。
でも、刺さる時は深い。
「あなたは、私の責任を問うているのですか」
シルフェリアが言った。
「いいえ」
シャルロッタは即答した。
「今ここで問われるべきは、責任の所在ではありません。責任を果たすための手順です」
「同じことです」
「違います」
声はやわらかい。
けれど、今度は譲らなかった。
「責任を問う言葉は、人を後ろへ下がらせます。責任を果たす手順は、人を前へ進ませます」
俺は思わずシャルロッタを見た。
彼女は俺を見ない。
ただ、シルフェリアを見ている。
その横顔に、いつもの少し抜けた感じはない。
第一部で見せた王族としての顔。
いや、それとも少し違う。
王族だから立っているのではない。
自分の誇りで立っている。
そう見えた。
「ミラ様」
シャルロッタが視線を移す。
「神官組織上、外部協力者が記録補助に入る手続きはありますか」
ミラは一拍だけ考えた。
「あります。緊急時の観測補助規定です。ただし、神官本人の承認と、現地責任者の監督が必要です」
「現地責任者はシルフェリア様ですね」
「はい」
「では、シルフェリア様が監督権を保持したまま、私たちが遠隔記録と非接触確認のみを行う。接触判断は、一次記録を作成した後に改めて協議する。これなら、規律を破らずに進められるのではありませんか」
シルフェリアは沈黙した。
風が強くなる。
飛竜の一頭が、神具の方を避けるように翼を震わせた。
足場の縄が鳴る。
時間はあまりない。
だからといって、無理やり押せばもっと悪くなる。
シャルロッタは、そのぎりぎりの場所に立っていた。
「あなた方は、なぜそこまで記録にこだわるのです」
シルフェリアが問う。
シャルロッタは俺を見た。
答えを渡す目ではない。
答えてよいかを、確認する目だった。
俺はうなずいた。
「記録は、あとから裁くためだけのものではありません」
シャルロッタが言う。
「いま傷ついているものを、見間違えないためのものです。飛竜も、渓域も、ソフィアも」
ソフィアの耳が動いた。
彼女は少し驚いた顔でシャルロッタを見る。
「そして、あなたもです」
シルフェリアの眉が動く。
「私?」
「はい。あなたが本当に渓域を守るために動いたのなら、その記録はあなたを守ります。もし、手続きに不足があるなら、その記録は次に直す道になります」
「綺麗事です」
「綺麗事を、手続きに落とすのが政治です」
クリスティーナが小さく「かっこいい」と漏らした。
今度は誰も止めなかった。
シルフェリアは苦い顔をした。
だが、反論はしなかった。
彼女は神具を見た。
飛竜を見た。
配下たちを見た。
最後に、ソフィアを見た。
その視線は、まだ完全にやわらかくはない。
でも、さっきまでの分類ではなく、証言者を見る目だった。
「条件があります」
シルフェリアが言った。
「神具から三歩以上離れること。接触禁止。術式干渉禁止。飛竜が三度以上警戒音を発した場合、即時撤退。記録は私の確認を経て、神官組織へ提出すること」
「公開版については?」
ミリアムが確認する。
「渓域の安全に関わる部分は、事前確認が必要です」
「原本の改変要求は受けられません」
ミリアムの声は静かだったが、硬い。
シルフェリアが彼女を見る。
「原本は原本として保存します。神官組織への提出版と、一般公開版を分けることは可能です」
「……それならば」
シルフェリアは不承不承うなずいた。
シャルロッタが一礼する。
「ありがとうございます。限定許可として、記録します」
「感謝されることではありません」
「責務を果たす判断には、敬意を払うべきです」
シルフェリアは、また苦い顔をした。
でも今度は、ほんの少しだけ返す言葉に困っているようだった。
シャルロッタは俺の方へ戻ってきた。
風が彼女の髪を乱す。
その瞬間だけ、彼女は少し疲れた顔をした。
「助かった」
俺が言うと、シャルロッタは小さく笑った。
「秀直様が怒鳴らずに待ってくださったからです」
「怒鳴りそうだったけどな」
「存じております」
即答だった。
俺は少しだけ苦笑する。
「称号を使えば早かったかもしれない」
「早かったでしょうね」
シャルロッタは否定しなかった。
「ですが、称号は振り回すものではありません。責任を通すために、必要な場で、必要な形で使うものです」
「俺には難しいな」
「ですから、わたくしがいます」
その言い方が、あまりにも自然だった。
誇るでもなく。
甘えるでもなく。
役割を受け取っている声だった。
俺は、彼女がまた一つ自分の場所を作ったのだと思った。
守られる姫でもない。
ただの仲間でもない。
交渉と格式で、道を作る人間。
それは戦闘より派手ではない。
配信映えもしにくい。
でも、今この場では、剣より強かった。
《コメント:シャルロッタ様つよ》
《コメント:礼儀で風を切った》
《コメント:秀直がちゃんと任せたのもよかった》
《コメント:称号の使い方の話、重いな》
《コメント:姫、交渉担当正式就任でいい?》
コメント欄は勝手に就任式を始めている。
シャルロッタが画面を見て、少しだけ頬を赤くした。
「就任式は不要です」
《コメント:本人に見られた》
《コメント:かわいい》
《コメント:でも強い》
緊張の中で、ほんの少し笑いが混じる。
それで空気が壊れすぎない程度だったのが、ありがたかった。
ソフィアがシャルロッタのそばへ来た。
「シャルロッタさん」
「はい」
「ありがとうございます」
短い礼だった。
でも、ソフィアにとっては大きい。
自分の証言を、制度の中に通してもらった。
それは、ただ庇われたのとは違う。
シャルロッタも、それをわかっている顔で微笑んだ。
「あなたが立ったから、通せたのです」
ソフィアは少し迷ってから、うなずいた。
「はい」
その返事に、前よりも芯があった。
シルフェリアの配下が神具の周囲へ観測用の標識を置いていく。
ミリアムは端末を調整し、俺の配信画面にも補助線を表示した。
神具までの距離。
風向。
飛竜の警戒音。
足場の揺れ。
映像だけでなく、数値が重なっていく。
派手ではない。
でも、これが記録だ。
誰かの怒りや印象だけではなく、あとから確かめられる形にする。
「観測を開始します」
ミリアムが言った。
シルフェリアは腕を組んだまま見ている。
許可は出した。
だが、信用したわけではない。
その距離感が、今は正しいのだろう。
俺たちはまだ、同じ目的に向かっているだけの他人だ。
それでも、同じ方向を見ている。
神具の青白い石が、また明滅した。
風が一瞬、逆に流れた気がした。
ミリアムの指が止まる。
「ミリアム?」
俺が呼ぶと、彼女は端末を見たまま、ゆっくり眉を寄せた。
「……この風向、報告書と合いません」
ミリアムの声は、風の音より小さかった。
けれど、全員が聞いた。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




