第011話 ミリアム、幻ではないと告げる
見間違いなら、それでよかった。
ミリアムが、違うと言うまでは。
配信停止後、俺たちは湖畔の観測天幕に集まっていた。
外では、水神官の湖が静かに揺れている。
さっき黒い街を映したとは思えないほど、何もなかったような顔をして。
天幕の中には、端末、録画魔道具、湖面観測用の水晶板、ミリアムの記録紙が並んでいる。
ミリアムはその中央に座り、眼鏡を少し下げて画面を見ていた。
戦闘の時より、ずっと怖い顔をしている。
いや、怖いというより、逃がさない顔だ。
数字も、時刻も、映像の乱れも。
何もかもを、曖昧なまま通さない顔。
「まず、時刻を再同期します」
ミリアムが言った。
「端末時刻、録画魔道具、水時計、湖面観測水晶。四つを同じ基準へ戻します」
「ずれてたのか」
「通常許容範囲内です。ただし、異常像の検証では、その範囲も無視できません」
彼女の指が淡々と動く。
時刻が並ぶ。
数字が揃う。
そのたびに、俺の逃げ道が一つずつ消えていくような気がした。
見間違い。
配信遅延。
端末故障。
湖の幻。
そういう言葉で片づけられれば、楽だったのかもしれない。
でも、ミリアムは楽な言葉をくれない。
「検証項目を順に確認します」
彼女は画面を天幕の中央へ投影した。
一つ目は、通常配信の記録。
二つ目は、俺の手元端末の非公開録画。
三つ目は、湖面観測水晶の映像。
黒い街が、三つの異なる形で残っている。
「まず、通常の配信遅延ではありません」
ミリアムが言った。
「根拠は」
俺が聞くと、彼女は迷わず答える。
「配信サーバ側に、元映像が存在しません。通常配信へ流れたのは数フレームだけで、しかも手元端末と湖面観測で先に発生しています。遅延なら、元映像が先に配信側へ存在するはずです」
「つまり、配信の過去映像が戻ってきたわけじゃない」
「はい」
ミリアムは次の画面を出す。
「次に、端末故障の可能性。手元端末だけなら疑えます。しかし湖面観測水晶にも同じ紋章、同じ街路、同じ銀白の髪の一部が記録されています」
画面が並ぶ。
月の中の翼ある蛇。
黒い石畳。
銀白の線。
角度は違う。
画質も違う。
でも、同じものだとわかる。
「幻覚でもありません」
ミリアムは続けた。
「全員が同じ像を見ただけなら、集団幻覚という言い方もできます。ですが、別の記録媒体に、別角度で残っています。さらに白竜が湖面へ物理反応を示しました」
白竜は天幕の入口近くで丸くなっている。
アクアリナがその首元に手を置いた。
「白竜は、見せるのを止めました」
彼女が言う。
ミリアムはうなずく。
「それは感覚証言として記録します。物理記録としては、尾が湖面へ接触した時刻と、像が閉じた時刻が一致しています」
アクアリナの言葉を否定しない。
でも、そのまま証拠としては扱わない。
感覚は感覚。
物理記録は物理記録。
役割が分かれている。
それを見て、アクアリナは少し不思議そうな顔をした。
「わたしが感じたことは、証拠ではないですか」
「証拠の一部にはなります」
ミリアムは答えた。
「ただし、それだけで結論を出す材料にはしません」
「なるほど」
アクアリナは真剣にうなずく。
「水の声と、人に見せる記録は、分けるのですね」
「はい」
「それ、助かります」
アクアリナの声が少し柔らかくなった。
自分の感覚を否定されず、でも万能にもされない。
たぶん彼女にとって、それは初めてに近い扱いなのかもしれない。
「過去のアルケディア映像でもありません」
ミリアムはさらに続けた。
「ミラさん」
「確認しました」
ミラが資料を広げる。
「神官団記録にある主要都市、旧神殿街、竜皇信仰圏の過去建築、いずれにも一致しません。月蛇紋も該当なしです」
シャルロッタが自分の写しを添える。
「紋章の線は、こちらです。月と翼蛇の組み合わせ。アルケディアであれば、竜、翼、月を別々に使う例はありますが、この構図は見当たりません」
「つまり」
俺は言いかけて、止まった。
つまり、何だ。
この先を俺が言うのは危ない。
遠い場所。
別の世界。
弟。
どの言葉も、今の俺には強すぎる。
ミリアムが、まっすぐ俺を見た。
「結論を言います」
天幕の中が静かになる。
「あれは、実在する像です」
胸の奥が、ひどく重くなった。
ミリアムは言葉を止めない。
「ただし、現在の遠隔地か、過去か、別世界かは未確認です。人物も、時刻も、目的も、未確認です」
実在する像。
でも、何かわからない。
その結論は、希望にも絶望にもならなかった。
ただ、逃げ道だけを塞いだ。
「弟と」
言いかけて、俺は口を閉じた。
違う。
証拠に、弟の要素はない。
顔もない。
声もない。
名前もない。
俺が勝手に結びつけているだけかもしれない。
ミリアムは、俺が言い切らなかった言葉を聞いたように、少しだけ目を伏せた。
「秀直さんのために、断言を弱めることはできません」
「わかってる」
「あの像に、弟さんだと示す証拠はありません」
痛い。
でも、必要な痛さだった。
ミリアムは続けた。
「同時に、否定する証拠もありません」
俺は顔を上げる。
「それは、慰めか」
「いいえ」
即答だった。
「未確認事項です」
少しだけ笑いそうになった。
笑える場面ではないのに。
ミリアムらしい。
希望を守るために嘘をつかない。
絶望させるために断定もしない。
ただ、線を引く。
その線は冷たいようでいて、俺を転ばせないためのものだった。
「アクアリナ」
シャルロッタが水神官へ向いた。
「あなたの感覚では、あの像は何でしたか」
アクアリナは白竜に触れたまま、ゆっくり答える。
「遠いところで、誰かが選んでいました」
「名前は」
「わかりません」
「距離は」
「水の距離ではありません」
「時間は」
「流れていました。でも、湖の時間と同じではありません」
シャルロッタは一つずつ書き留める。
「像の出所は、アルケディア通常霊脈の外。何らかの記録回線を経由。強い選択、あるいは契約反応が発生していた可能性」
「それなら近いです」
アクアリナが言った。
「言葉にすると、そうなります」
シャルロッタは小さく息を吐く。
「では、その表現でミリアムへ渡しましょう」
ミリアムはすぐに整理表を作り始めた。
事実。
推定。
未確認。
画面に三つの欄が並ぶ。
「事実」
ミリアムが読み上げる。
「未知の黒い街。月と翼蛇の紋章。銀白の髪の一部。氷青の残光。湖面、手元端末、観測水晶に同時記録。通常配信へ数フレーム侵入」
次に、推定。
「アルケディア通常記録外の遠隔地、または別種の記録層。強い選択または契約反応の可能性。端末と湖面の相互反射」
最後に、未確認。
「人物。時刻。場所。目的。像の所有者。弟さんとの関係」
その最後の項目で、少しだけ喉が詰まった。
でも、消してほしくはなかった。
未確認。
その欄に残っていることが、今は一番正しい。
「公開はどうする」
俺は聞いた。
自分の声が、思ったより疲れていた。
「視聴者の集合知を使えば、紋章の情報が集まるかもしれない」
「はい」
ミリアムはうなずく。
「同時に、誰かの私的な危機を拡散する危険があります」
「だよな」
「提案があります」
「聞く」
「原本は非公開で保全。黒い街の映像は現時点では非公開。月蛇紋のみ、背景を抜いた匿名化調査画像に加工可能です。ただし、それも水の記憶の性質をもう少し確認してからにするべきです」
シャルロッタが頷いた。
「現時点で公開するなら、『異常現象を確認し、調査中』まででしょう」
「全部見せろって言われるだろうな」
「言われます」
ミリアムは即答した。
「ですが、記録者は要求されたから公開するのではありません」
痛いところを突かれた。
俺は配信者だ。
見たいと言われれば、見せたくなる。
求められれば、応えたくなる。
でも、応えることと、流していいことは違う。
「採用する」
俺は言った。
「配信再開時は、異常現象を確認したが調査中。詳細映像は権利者不明の記憶である可能性があるため非公開。そう説明する」
「記録します」
ミリアムが眼鏡を直した。
その仕草のあと、彼女は俺を見た。
「秀直さん」
「何だ」
「幻ではありません」
わかっている。
今、聞いたばかりだ。
それでも、その言い直しは重かった。
ミリアムは続ける。
「ただし、弟さんでもありません。まだ」
まだ。
その一語で、俺は息を吐いた。
欲しかった答えではない。
でも、必要な答えだった。
「ありがとう」
俺は言った。
「厳しいことを言ってくれて」
「優しい嘘をつく場面ではありませんでした」
「そうだな」
俺は画面を見る。
月蛇紋。
黒い街。
銀白の髪。
俺の知らないものばかり。
なのに、弟の名前だけが心の奥で消えない。
夜が深くなった。
配信は短く再開し、説明だけをして終えた。
《コメント:さっきの映像は?》
《コメント:調査中なら待つ》
《コメント:全部見せろよ》
《コメント:見せられない理由があるなら仕方ない》
《コメント:でも気になる》
全部見せろ。
その要求は、画面の向こうからずっと残っている。
俺の中にも、似た欲望がある。
全部見たい。
全部知りたい。
弟に繋がるかもしれないなら、なおさら。
でも、知りたいからといって、踏み込んでいいとは限らない。
その夜、俺は一人で観測天幕の外にいた。
停止画面を、何度も見返していた。
月の中の翼ある蛇。
黒い石畳。
銀白の光。
何度見ても、答えは増えない。
ただ、消えもしない。
証拠は、希望を叶えてくれない。
ただ、見なかったことにもさせてくれなかった。
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