6話 朝市
「おきてアンジュ!アーンジュ!」
柔らかな塊が胸の上に落ちてきた。
開かれたカーテンから差し込む朝日が眩しい……私の上に乗っているのは、ココ。
「きょうはあさいちだよ!しゅうにいちどのだいあさいちなんだから!アンジュもいくんでしょー?おーきてっ」
ココは笑いながら私の上で転げる。
「わかりました、起きます、起きます」
私はベッドの上を転がるココを抱きしめ、その蜂蜜色の巻き毛に鼻を埋めた。甘い匂い……ココからは、いつも甘い蜜のようないい匂いがする。
そう。今日は、村の朝市に行くんだった。
普段はユースティスが必要なものの買い出しに行ってきてくれるんだけど、週に一度特に大きな朝市があるとかで、私も行ってみたいと昨日挙手をしたんだった。
まだ朝の5時。
もうすぐ朝市が始まる。
急いで準備しないと。
ベッドを降りて、部屋の洗面所へ。
ポットに汲んである井戸水をタライに流し込んで、顔を洗う。歯を磨く。そして、王都から持ってきた化粧水と乳液、美容液を肌に塗る。
「なにしてるのー?」
ココがやってきて、珍しそうに化粧水の瓶を手に取る。
「お肌のお手入れよ。大人の女性には必要なのよ」
「ココもやりたいー!」
ちょっと悩んだけど、ユースティスに黙ってココの顔に化粧品を塗るのは気が引ける。
「ユースティスの許可が降りたらいいわよ。そうだ、ユースティスは?」
「パパはねえ、朝ごはん作ってるの!」
「じゃあもうすぐ降りていくって伝えてくれる?」
「うんわかったー」
ココはパタパタと室内履きを鳴らして、部屋を出ていった。
本当に素直でききわけのいい子。
ココがいい子で、本当に癒やされる……。
私は化粧台の前で軽く白粉をはたいて、簡易な化粧をほどこした。
「さてと……何を着ようかな」
そしてクローゼットを開ける。王都から持ってきた普段着は高い布が使われていて、どれも田舎暮らし向きではない。
その他は、村の洋服屋さんで買った簡易な服が数点。
正直気楽に着れてとても気に入っている。
今日は白い綿のシャツと、青いスカートを選んだ。そして、胸元には王都から持ってきた緋色のリボンタイをつけてみた。うん。いい感じ。
1階に下りると、居間ですっかり支度が終わったユースティスとココが私を待っていた。
「おはよう、アンジュ。ハーブ水を飲むか?」
「ええ、頂くわ」
ユースティスが白い陶製のぽっとからハーブ水をコップに注いでくれた。
ひんやりと冷えていて、ハーブのさわやかさで一気に目が覚める。おいしい。
「今日は朝食を朝市でとろうと思うがどうだろう。ここは小さな村だが、一応いくつか屋台が出るんだ。なかなか美味しい田舎料理にありつけるぞ」
「いいわね。屋台なんてあるのね。もっと早くに行っておけば良かったわ。さあ、いいものがなくならないうちに行きましょう」
私はコップをテーブルにおいて、立ち上がった。
◇◇◇◇◇
「いらっしゃい、いらっしゃい!大角牛の肉が安いよ!」
「朝採れの野菜はどうかね!トマトにじゃがいも、キュウリもいいのが入ってるよ!」
普段は静かな村のメインストリート沿いに、沢山のお店が出ていた。
果物、野菜、肉に魚、日用品、服や装飾品まで。
もちろん王都のバザールほどではないけれど、村のモノと人が一箇所に集まったような賑わいだった。
活気ある村の風景にテンションが上がる。
「まずは野菜を買おう。アンジュ、トマトは好きかな」
「ええ大好きよ。カプレーゼ!そう、カプレーゼにして食べるのが好き!」
「そうか、それならバジルもいるな。……アントニオ。おはよう」
「よう、ユース!今日は何が入用だい?」
「トマトとバジル、それにじゃがいもを3キロほど貰おう。あと、今日のおすすめの葉物野菜を1束くれ」
「はい、毎度!」
八百屋で買い物をするユースティスを見守っていた。
彼はすっかり村に馴染んでいるようだ。
「待たせたな。次は肉屋に行くが……こんな買い物に付き合うのは退屈だろう。アンジュ、好きに見て回っていいんだぞ」
「ううん。それは最後にする。とりあえず、あなたに付いていって、いつもどんな感じで買い出しするか見せてちょうだい。だって、私が家事をする日だって、あるかもしれないんだからね」
「アンジュもかじするのー?」
ココは私のスカートの裾を握って、不思議そうにこちらを見上げてくる。
「そういう日もあるかもしれないわ。ユースティスがお出かけしたり、病気で倒れたりしたら、私がやらないといけないんだから」
「パパはずっとげんきだよー!」
「ふふ、そうね。万が一の話だからね」
ユースティスは私達のやり取りを薄く微笑んで見守っていたが、どこか嬉しそうだった。
「じゃあ次は肉屋だ。牛肉はあるから、鶏肉と塩漬け肉を買い足すか」
◇◇◇◇◇
野菜、肉、魚、乳製品を買い込んだ後。
私達は屋台でサンドイッチとレモネードを買って、広場のベンチに腰掛けた。
「ふう、どこからこんなに人が集まったのやら。この村、結構人住んでる?」
「ああ、多分400人から500人はいるな……これから名産の桃の収穫が始まるから、この時期は日雇いの労働者が増えている。冬はもっと人が減るがな」
「500……!?」
私は目を剥いた。
正直、このスズ村は200人か300人程度の本当の小規模な農村かと……。大陸を横断する大街道からも少し外れているけれど、中規模程度の村ではあるらしかった。
サンドイッチは、ライ麦のパンにマヨネーズソースが塗ってあって、豚のハムとシャキシャキのレタス、トマト、そしてチーズが挟んである。
かぶりつくと、素材が一体となって生み出される旨味が口いっぱいに広がる。
美味しい……。
レモネードで流し込むと、格別。
やっぱり素材の鮮度が違う。シンプルな料理だけど、とても美味しくて栄養が染み渡る感じがするから不思議だ。
私達はしばらく無言でサンドイッチを頬張った。
「さて。俺の買い物は終わりだ。アンジュ、日用品や服なんかも店が来ているぞ。錬金術の材料になりそうなハーブ屋や骨董屋も。見ていこう」
「ユースティス、あなたの買い物は終わったんじゃないの?荷物も重いだろうし、無理に付いてこなくていいわよ」
私がそう言うと、ユースティスは少し複雑そうな様子をする。
「アンジュ。お前は俺の買い物に付き合ってくれただろう。俺もそうさせてもらおう。荷物持ちも必要だろうからな。ココ、お前も来るだろう?」
「うん、いくー!ココもおようふくと、おはだにぬるのかう!」
「お肌に塗るの?」
ユースティスは不思議そうな顔をした。
私は慌てて朝あった事を話した。
「子供にはまだ化粧水は必要ないわよね。私は王都から持ってきたものが切れかけてるから、基礎化粧品が欲しいんだけど」
「ああ。ココ、お前に化粧水はまだ早いな。――化粧のことはわからんが、そういったものはメインストリート沿いにある『プリシラの店』に置いてありそうだぞ。あそこも朝市に出店をだしているはずだ」
「じゃあそこに連れて行って。悪いけど、同行よろしくね?ユースティス」
ユースティスは麻袋に入れた重たげな食料を軽々ともちあげ、私とココを連れて人混みを先導してお店に連れて行ってくれた。
メインストリートの奥まった所にある『プリシラの店』の看板の下に、テーブルを置いて気難しそうな60代くらいの女性が座っていた。
「やあ、プリシラ」
「おや、宿無しユース、それにココ。珍しいじゃないか。うちになにかようかい」
「今日は俺の主人の買い物だ」
「ほう……」
「はじめまして、アンジュ・バーネットです。今日は化粧水を買いに来ました」
私はスカートの裾を持ち上げて挨拶をした。
プリシラと呼ばれた女性は私のつま先からあたまのてっぺんまでジロッと視線を動かし、そしてニヤッと口を笑みの形にかえ、くぐもった笑い声もあげた。
「あんたが雲雀館のアンジュ嬢かい。バーネット家は王都で色々苦労なさったと噂に聞くけど、健康そうでなによりだよ。化粧水はこれとこれ。あんたは若いからこっちがいいだろう」
彼女はしみのある手で桃色の瓶を掴んで私に差し出した。
「私の手製の化粧水だよ。代々伝わる秘伝の製法で作った化粧水さね。お肌はつるつる、美白になれるハーブの化粧水」
「いいわね。じゃあこれを下さい。あと、日焼け止めもあったら欲しいんだけど……」
「日焼け止め?そんな高価もんはないよ。ここは王都とは違うんだ。安くて最低限のものしかないのさ――私も若い時に調合して試作をしたもんだがなかなか材料が揃わずね……まあ、日焼け止めには泥を塗るのが一番だね」
泥……。確かに、田舎では日焼け止めにそうすると聞いたことがあるような。
や、やだなあ。
私がたじろいでいると、プリシラの目が光った。
「ところでアンジュ嬢。あんた、バーネット家のものってことは、錬金術師なんだろう?」
「ええ、そうよ」
「どうだい、錬金術で日焼け止めっていうのは、作れないのかい?これから春が過ぎて、夏がやってくる。この村の女たちは皆農作業で毎日炎天下の下働いている。この『プリシラの店』で村娘にも手が届く値段の日焼け止めが出たら喜ぶと思うんだけどね。あんたが作って、私が売る。ビジネス、してみんかね」
錬金術で日焼け止め……?
確か、作れる!レシピ、見たことある!
(続く)
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