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【連載版・完結済】婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫&その娘の女児付き)  作者: シルク
二部 追放令嬢と雲雀館を巡る騒動と追放勇者家政夫

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46/51

44話 モーティー・ギボンズとの対立

 こんな時間に来客なんて、まともな用件であるはずがない。


 私は書き終えたばかりの買い取り希望の書状を、そっと伏せた。

 ユースティスはすでに玄関へ向かっている。私は慌ててその後を追った。


「待って。私も行く」

「無理するな」

「無理じゃないわ。あの人は、私に用があるんでしょう」


 そう言うと、ユースティスは一瞬だけ私を見る。

 心配そうな目だった。

 けれど、彼は私を止めなかった。


 玄関の扉を開けると、冷たい夜気が流れ込んできた。


 外には、ランタンを持ったモーティー・ギボンズが立っていた。

 昼間と同じ、柔らかな笑顔。

 けれど夜の闇の中では、その笑みが余計に薄気味悪く見えた。


「夜分に失礼いたします、アンジュ嬢」

「本当に夜分ですね」


 思わずそう返すと、モーティーはわずかに眉を動かした。

 けれどすぐに、何事もなかったように笑う。


「正式な書類をお持ちしました。バーネット家とギボンズ家の間で進めている縁談についての概要、それから、あなたの王都帰還後の所属についてです」

「私はお断りすると伝えました」

「ええ。ですが、お断りの返事はまだバーネット家で受理されておりません」


 受理。

 その言葉に、胸の奥が冷えた。


「私の意思は、受理されなければ存在しないんですか?」

「そういう意味ではありません。ただ、貴族の婚姻には手順があるという話です。あなたが感情的に拒否したからといって、すぐに白紙にできるものではない」

「感情的……」


 笑いそうになった。

 怒っている時ほど、なぜか笑いたくなるのは不思議だ。


「私は、はっきりと意思表示をしました。王都には戻りません。縁談も受けません」

「困りましたね。あなたは昔から、そうやって自分の正しさだけで物事を決めようとする」


 モーティーはため息をついた。


「クリストファー殿下も、あなたのそういうところに疲れておられたのでしょう」


 その名前を出されて、胃の奥がきゅっと縮む。

 けれど、もう昔ほど痛くはなかった。


 ユースティスが一歩、私の前に出ようとした。

 私はその袖を軽く引く。

 大丈夫。

 これは、私が言わなきゃいけない。


「クリストファー殿下がどう思っていたかは、もう関係ありません」

「強がりを」

「いいえ。事実です」


 私はモーティーをまっすぐ見た。


「私はもう、殿下の婚約者ではありません。王都の王妃候補でもありません。あなたの婚約者でもありません」


 モーティーの笑みが、少し薄くなった。


「それで? あなたは一生、この田舎で薬草を煮て暮らすおつもりですか?」

「ええ。その方がずっと幸せです」


 自分で言って、驚いた。

 でも、嘘ではなかった。


 王都の舞踏会より。

 王宮の豪華な食卓より。

 誰かの評価のために笑う日々より。


 雲雀館の台所でユースティスが作る朝食の匂いの方が、ずっと私の胸を満たす。

 ココが走って抱きついてくる温もりの方が、ずっと大切だ。


 モーティーは、私の言葉を理解できないという顔をした。


「あなたは、自分の才能の価値をわかっていない」

「わかっています」

「いいえ、わかっていない。あなたの作った保湿軟膏、魔法灯、回復薬。聞けば、王都でも十分通用する品質だという。あなたのレシピを僕の研究室で整理し、組合の流通に乗せれば、莫大な利益が出るでしょう」

「やっぱり、レシピが目的なんですね」

「目的、という言い方は不愉快ですね。僕はあなたの才能を正しく使おうとしているだけです」

「正しく?」

「ええ。辺境の雑貨屋や薬屋に卸して終わるなど、あまりにも非効率だ。あなたは感情で動きすぎる。錬金術には体系と管理が必要です」


 彼はそこで、雲雀館の奥へ視線を向けた。


「少し、工房を見せていただけますか」

「嫌です」


 即答だった。

 モーティーは目を細める。


「婚約予定者に対して、ずいぶんな態度ですね」

「婚約予定者ではありません」

「なら、王都錬金術組合の役員として命じます。あなたは王立錬金術学園の準登録錬金術師であり、今も組合記録に名が残っている。あなたの調合作業とレシピの安全確認を行う権限が、こちらにはあります」


 安全確認。

 また都合のいい言葉だ。


「夜に突然やってきて、私の工房を見せろと?」

「必要があれば」

「お断りします」

「アンジュ嬢」


 モーティーの声が、少し低くなった。


「あなたはご自分の立場を悪くしている。ギボンズ家との縁談を拒み、王都帰還も拒み、その上、組合の確認にも応じない。これでは、バーネット家もあなたを庇いきれませんよ」

「庇ってもらった覚えがありません」


 言った瞬間、空気が止まった。

 モーティーは黙った。

 ユースティスも、私を見る気配がした。

 でも、もう止まらなかった。


「私は、王都で庇ってもらえませんでした。婚約破棄された時も、追放された時も、誰も私の話を聞いてくれなかった。今さら、家が私を庇うなんて言われても、信じられません」


「……あなたは、本当に愚かだ」


 モーティーの笑みが消えた。


「せっかく救い上げてやろうというのに」


 その言葉で、私の中の何かが完全に冷えた。

 救い上げる。

 上から手を伸ばして、私を拾い上げてやるつもりなのだ、この人は。


 でも、違う。


 私はもう、泥の中で助けを待っているわけじゃない。

 自分の足で立っている。

 震えていても、ちゃんと立っている。


「私は、あなたに救われる必要はありません」


 はっきりと言った。


「私の錬金術は、あなたの研究室のためのものではありません。私のレシピも、私の工房も、私の暮らしも、私自身のものです」


 モーティーの顔が歪む。


「きれいごとを。あなた一人で、どこまでやれると?」

「一人じゃありません」


 そう言った瞬間、ユースティスが私の隣に立った。


 肩が触れるほど近い。

 けれど、彼は私の言葉を奪わなかった。

 ただ、そこに立ってくれた。


 それだけで、私は息ができた。


「この家には、私を信じてくれる人がいます。村にも、私の作ったものを必要としてくれる人がいます」

「田舎者の慰めに、ずいぶん勇気づけられているようですね」


 モーティーは吐き捨てるように言った。

 その瞬間、ユースティスの空気が変わった。


「言葉を選べ」


 静かな声だった。

 剣は抜いていない。

 けれど、モーティーの喉がひくりと動いた。


「ここはアンジュの家だ。彼女を侮辱するために来たなら、帰れ」

「使用人風情が」

「俺は雲雀館の家政夫だ」


 ユースティスは淡々と言った。


「そして、彼女の護衛だ」


 短い沈黙。


 モーティーは悔しげに口元を歪めた。

 けれど、その目には明らかに迷いがあった。


 彼はユースティスの正体を知っている。

 先代ムルシア勇者。

 その名の重さを、王都の人間なら知らないはずがない。


「……よろしい。今夜は引き下がりましょう」


 モーティーは外套を整えた。


「ですが、アンジュ嬢。あなたの返答は、バーネット家とギボンズ家に正式に報告します。除籍を望むなら、それもよろしいでしょう。ただし、バーネット家の庇護を失えば、この館に住み続ける権利も失うことになるかもしれませんよ」

「雲雀館は、買い取ります」


 私が言うと、モーティーは一瞬だけ目を見開いた。


「……買い取る?」

「ええ。正式な評価額を確認し、村長立ち会いのもとで買い取ります。もう書状の準備もしています」

「あなたにそんな資金が?」

「あります」


 本当は、少し足りないかもしれない。

 でも、私は言い切った。

 すると、ユースティスが低く続けた。


「足りない分は俺が出す」


 モーティーの視線が、ユースティスへ向いた。


「使用人が?」

「この家は、俺と娘の家でもある」


 その言葉に、胸が熱くなった。

 私だけではない。

 私たちの家。


 モーティーは、その言葉が気に入らなかったらしい。

 美しい顔を歪め、冷たく笑った。


「なるほど。ずいぶんと仲睦まじいことで。これでは、王都で噂になるのも当然ですね」

「噂にしたければどうぞ」


 今度は、私が言った。


「でも、私の人生を噂で決めさせるつもりはありません」


 モーティーはしばらく私を睨んだ。

 やがて、乱暴に踵を返す。


「後悔しますよ、アンジュ嬢」

「しません」

「その言葉、よく覚えておきましょう」


 馬車の扉が閉まる。

 御者が手綱を引き、馬車が闇の中へ走り出した。


 車輪の音が遠ざかっていく。

 完全に聞こえなくなってから、私はようやく息を吐いた。


 膝から力が抜けそうになる。


「アンジュ」


 ユースティスがすぐに支えてくれた。

 腕が背中に回る。

 温かい。

 でも、私はその胸に倒れ込むのを、ぎりぎりでこらえた。


「……怖かった」

「ああ」

「でも、言えたわ」

「ああ」

「私の錬金術は、私のものだって」

「ああ。言えていた」


 ユースティスの声が、少しだけ柔らかくなる。


「よく言った」


 その一言で、私は泣きそうになった。


 褒められたかったのかもしれない。

 王都でずっと、正しくあろうとして、誰にも見てもらえなかった私を。

 震えながらでも立っていた私を。


「……ねえ、ユースティス」

「なんだ」

「雲雀館、本当に買えると思う?」

「買う」


 迷いのない答えだった。


「言い切るのね」

「お前が買うと決めたことだ。俺も一緒に戦う」


 また、胸が熱くなる。


 ユースティスは、私を守ると言う。

 でもそれは、私の代わりに決めるという意味ではない。

 私が決めたことを、隣で支えてくれるという意味だ。


 私は、それがたまらなく嬉しかった。


「明日、村長に書状を出すわ。プリシラにも、契約書の確認をお願いする」

「ああ」

「工房の鍵も増やさないと。調合ノートも、写しを作って別の場所に保管する」

「手伝う」

「ありがとう」


 玄関の扉を閉める。

 冷えた夜気が遮られ、雲雀館の中の温かさが戻ってきた。


 居間の暖炉では、火が静かに燃えている。

 壁の奥で、熱巡りの導管が小さく鳴った。


 私はその音を聞きながら、そっと胸に手を当てた。


 怖い。

 これからもっと面倒なことになるかもしれない。

 バーネット家も、ギボンズ家も、そう簡単には引き下がらないだろう。


 でも、私はもうわかっている。


 私は一人じゃない。

 ここには、帰る場所がある。

 私の錬金術を必要としてくれる人たちがいる。

 そして、隣に立ってくれる人がいる。


 だから、逃げない。


 雲雀館を守る。

 私の錬金術を守る。

 私の人生を、私の手に取り戻す。


 そう決めた夜だった。


(続く)

少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。感想などもお待ちしております。

いつもありがとうございます。

第二部は完結まで予約投稿済みです。朝・昼・夜に更新します。

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