42話 令嬢の自立
「……レシピを、管理?」
私は思わず聞き返していた。
モーティーは、まるで私が当然のことを理解していないとでも言いたげに、薄く笑った。
「ええ。あなたは昔から、発想だけは面白い方でしたからね。もっとも、王都ではその才能を活かしきれなかったようですが」
「……」
「ですが、こちらで随分と評判になっていると聞きました。辺境村の化粧品、薬、魔法灯、井戸水の浄化……。いやあ、驚きましたよ。まさか、あのアンジュ嬢がこのような田舎で実績を積んでいるとは」
褒め言葉の形をしているのに、ちっとも褒められている気がしない。
王立錬金術学園にいた頃から、モーティーはこういう話し方をする人だった。
直接馬鹿にするのではなく、相手の価値を自分より下に置いたまま、上から撫でるように褒める。
相変わらず、嫌な人だ。
「それで、ギボンズ様。今日は何のご用でしょうか」
「おや。お父上からの書状は届いているはずですが?」
「読みました。そして、縁談も王都への帰還もお断りする手紙を、すでに出しました」
そう言った瞬間、モーティーの笑顔がほんの少しだけ固まった。
けれどすぐに、彼は肩をすくめてみせた。
「相変わらずですね。感情的で、世間知らずで、ご自分の立場をわかっていらっしゃらない」
「立場?」
「ええ。あなたは王都を追放されたとはいえ、バーネット家のご令嬢です。そして、王立錬金術学園で教育を受けた錬金術師でもある。あなたの才能も、知識も、家と王国によって育てられたものです」
モーティーは一歩、こちらへ近づいた。
「ならば、それを家と王国に還元するのは当然でしょう」
当然。
また、それだ。
私の人生は、いつだって誰かの「当然」で決められてきた。
王妃候補なのだから、当然こうあるべき。
バーネット家の娘なのだから、当然家のために振る舞うべき。
錬金術師として才能があるのなら、当然王国に尽くすべき。
私がどうしたいかなんて、誰も聞かない。
「私の錬金術は、私のものです」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「王都で学んだことは否定しません。でも、この村で作ってきたものは、私がこの村で暮らしながら、村の人たちのために考えたものです。あなたに管理されるためのものではありません」
「管理という言葉がお気に召しませんか?」
モーティーは苦笑した。
「では、保護と言い換えましょう。あなたの調合は、辺境の小さな店で売るには惜しい。僕の研究室で体系化し、王都で流通させれば、もっと多くの人の役に立つ。もちろん、あなたにも相応の名誉が与えられますよ」
「その名誉は、誰の名前で発表されるんですか」
「何をおっしゃりたいのかな」
「私のレシピを、あなたの研究室で管理する。王都で体系化する。……その成果は、ギボンズ家と、あなたの研究室のものになるのでは?」
モーティーの笑みが、わずかに消えた。
やっぱり。
そういうことなのだ。
この人は、私を妻として迎えに来たんじゃない。
私のレシピを、私の錬金術を、私がこの村で積み上げてきた実績を、自分のものにしに来たのだ。
「誤解ですよ、アンジュ嬢」
「誤解なら、ここでお帰りください」
「そういうわけにはいきません。こちらも、バーネット家と正式に話を進めている身ですから」
「私は了承していません」
「それは今後、説得させて頂きます」
「……説得?」
「ええ。あなたは、少し疲れているのでしょう。王都から離れ、粗末な辺境暮らしに馴染んでしまった。ですが、あなたにはもっと相応しい場所があります。僕の隣なら、あなたは正しく評価される」
モーティーはそこで、雲雀館を見上げた。
「それにしても、ずいぶん古い館ですね。使用人も少ないようですし……ああ、そうだ。例の住み込み家政夫という男は?」
その瞬間、背後で扉の開く音がした。
「俺のことか」
ユースティスだった。
彼はいつもの黒い服。
台所にいたのか、袖口を軽くまくっている。
手には布巾。
どう見ても家事の途中の姿なのに、不思議とその場の空気が変わった。
彼は腰に剣を帯びていた。いつものことなんだけど……今日はやけにその剣が強いオーラを帯びているように見えた。
モーティーが彼を見て、目を細める。
「あなたが噂の家政夫ですか。アンジュ嬢が辺境村で拾ったという」
「拾われた覚えはない。雇われている」
「失礼。では、雇われ家政夫殿」
モーティーはわざとらしく笑った。
「たった一人で貴族令嬢の身の回りの世話をするとは、なかなか良いご身分ですね。しかも館に住み込みとは。王都では、少々噂になりそうな関係だ」
「噂にしたければ勝手にしろ」
「ユースティス」
私は慌てて声をかけた。
けれどユースティスは、私を見ずにモーティーを見据えていた。
「だが、事実は変わらない。俺は雲雀館の家政夫であり、アンジュの護衛だ。彼女とこの館に害をなす者がいるなら、相手が貴族でも退ける」
低い声だった。
怒鳴っているわけではない。
でも、胸の奥まで響くような声。
モーティーの顔から、少し余裕が消えた。
「……護衛、ですか。随分と大げさな」
「大げさかどうか、試してみるか」
ユースティスは剣に触れなかった。
ただ、静かにそう言っただけ。
それだけなのに、モーティーは一歩引いた。
私は息を呑んだ。
ユースティスは、いつもと同じ顔をしている。
穏やかで、静かで、感情を荒らげているようには見えない。
でも今の彼は、間違いなく元勇者だった。
台所でスープを煮込み、ココの髪を結い、私の朝食を用意してくれる人。
その同じ人が、たった一言で王都貴族の男を黙らせている。
その事実に、胸が震えた。
「……乱暴な方ですね」
モーティーは笑顔を取り繕った。
「ですが、僕は争いに来たわけではありません。アンジュ嬢、今日はご挨拶に来ただけです。近いうちに、正式な書類を持って改めて伺います」
「正式な書類?」
「縁談の詳細と、王都への帰還日程についてです」
「必要ありません」
「必要かどうかを決めるのは、あなたではありませんよ。バーネット家と、王都錬金術組合です」
そう言って、モーティーはまた微笑んだ。
「それと、次回はぜひ工房を拝見したいですね。あなたがこの村で作っているというレシピにも興味があります。結婚前に、どの程度の価値があるか確認しておきたい」
確認。
価値。
私の中で、何かが静かに冷えていく。
「お見せしません」
「強情ですね」
「私の工房です。私のレシピです。私が見せたくないと言っているんです」
モーティーは一瞬だけ、つまらなそうな顔をした。
けれどすぐに笑みを戻す。
「まあ、今日はここまでにしましょう。急ぐ必要はありません。あなたも、いずれ理解しますよ。辺境で薬や化粧品を売るより、王都で僕と組む方がずっと賢い選択だと」
「私は、賢い選択より、自分で選んだ暮らしがいいです」
「その幼稚な考えも、王都に戻れば改まるでしょう」
モーティーはそう言い残し、馬車へ戻っていった。
扉が閉まり、馬車がゆっくりと走り出す。
車輪の音が遠ざかっていくまで、私はその場から動けなかった。
「アンジュ」
ユースティスの声が、すぐそばでした。
「……ごめんなさい」
「なぜ謝る」
「また、面倒なことになってるから。縁談の話が来ていることを……黙っていたから」
「面倒だとは思っていない。それに、縁談は断ったんだろう?なら俺に言う必要はない」
ユースティスは静かな声で私をなだめるように言った。
「だが、あの男は駄目だ」
「うん。私もそう思う」
「レシピを狙っている」
「……やっぱり、そう見えた?」
「ああ」
私は小さく笑った。
笑うしかなかった。
「最悪ね。縁談っていうより、研究室への買収じゃない」
「お前は物じゃない。レシピも、お前の人生も、誰かが勝手に値をつけていいものではない」
ユースティスの言葉に、胸が熱くなった。
私は、ずっとそれを誰かに言ってほしかったのかもしれない。
王妃候補として。
貴族令嬢として。
錬金術師として。
価値があるとか、ないとか。
役に立つとか、立たないとか。
そんなふうに量られるたびに、私は少しずつ自分が削られていくような気がしていた。
「……ありがとう」
「礼を言うことじゃない」
「ううん。言わせて」
私は雲雀館を振り返った。
古い屋根。
少し歪んだ窓枠。
冬支度を始めたばかりの庭。
暖炉の煙突からは、薄く煙が上がっている。
この家を、奪われたくない。
この暮らしを、壊されたくない。
強く、そう思った。
「ユースティス」
「なんだ」
「私、決めたわ」
私は拳を握った。
「バーネット家からの除籍を、正式に受け入れる。そして、雲雀館を買い取る」
ユースティスがわずかに目を見開いた。
「買い取る?」
「ええ。今までは、追放先として与えられた屋敷だった。でも、家に籍がある限り、いつまでも口を出される。だったら、ちゃんとお金を払って、私の家にする」
「資金は足りるのか」
「全部は……正直、少し厳しいかもしれない。でも、これまでの報酬と売上がある。プリシラの店の分も、薬屋の分も、村長からの依頼料も。足りない分は、これから稼ぐわ」
「アンジュ」
「大丈夫。私、錬金術師だもの」
そう言って笑ったつもりだった。
でも、声は少し震えていた。
ユースティスはしばらく黙っていた。
それから、静かに口を開く。
「俺にも出させてくれ」
「え?」
「ここは、お前だけの家じゃない。俺とココも、この家に救われた」
「でも、ユースティスのお金はココのために」
「だから出す」
彼は迷いなく言った。
「ココが初めて安心して眠れるようになった家だ。俺も、この家を守りたい」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
雲雀館を買い取る。
私の家にする。
そう思っていた。
でも、本当はもう、この家は私だけのものではなかった。
ココが笑って、ユースティスが朝食を作って、私が工房で錬金術をする。
その全部が雲雀館だった。
「……じゃあ」
私は、そっと言った。
「この家を、私たちで守る?」
ユースティスは、ほんの少しだけ目を細めた。
「ああ。俺たちで守ろう」
その言葉は、婚約の言葉ではなかった。
愛の告白でもなかった。
それでも、私の胸には、何より深く染み込んだ。
私たちで。
この家を守る。
その言葉だけで、私はもう少しだけ強くなれる気がした。
(続く)
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