41話 不愉快な来客
あれから数日が過ぎた。
実家からの返事はまだ来ない。
私はなるべく普段通りに過ごした。
朝はココを幼稚園に送って、昼は工房で調合をして、夕方には薬屋やプリシラの店に納品へ行く。
けれど、どこか落ち着かなかった。
錬金釜に材料を入れて、錬金棒でかき混ぜる。
いつもなら、魔法発光現象が起きる瞬間は少し胸が高鳴るのに、今日は光がぼやけて見えた。
気を抜くと、あの手紙の文面が頭をよぎる。
追放の取り消し。
王都への帰還。
縁談。
モーティー・ギボンズ。
――王立錬金術学園にいた頃、彼はよく私の調合を横目で見ていた。
『さすがバーネット家のご令嬢は、材料も道具も良いものを使えるんですねえ』
『まあ、いくら調合の腕がよくても、王妃になるなら趣味程度で十分では?』
『殿下に選ばれたからって、少し調子に乗っているんじゃないですか?』
にやにや笑いながら、そう言っていた顔を思い出す。
才能がないわけではないけれど、彼は自分で地道に研究するより、権力のある人に取り入るのが上手い人だった。
あの人と結婚?
冗談じゃない。
「……集中、集中」
私は頬を軽く叩いた。
今作っているのは、冬の乾燥に備えた保湿軟膏だ。
桃の種から取った油と、雪蜜蜂の蜜蝋、薬草の抽出液を合わせる。プリシラの店に卸す予定の新商品。
ここで暮らしていくために。
雲雀館を守るために。
私は、私の錬金術で稼がないといけない。
バーネット家から除籍されれば、もう実家の後ろ盾はない。
今までだって後ろ盾らしい後ろ盾はなかったけれど、それでも「バーネット家の娘」という名だけは私に残っていた。
それすらなくなる。
怖くないと言えば、嘘になる。
でも、王都へ戻る方が、もっと怖い。
「アンジュ」
不意に声をかけられて、私はびくりと肩を跳ねさせた。
工房の入口にユースティスが立っていた。
手には温かいお茶の入ったカップがある。
「休憩しろ。顔色が悪い」
「え? そんなことないわよ」
「ある」
きっぱり言われてしまった。
ユースティスは作業台の端にカップを置く。
湯気と一緒に、乾燥薄荷とオレンジ皮の香りがふわりと広がった。
「ありがとう……」
私はカップを両手で包んだ。
温かい。
指先が冷えていたことに、そこで初めて気づく。
「何かあったのか」
「……別に」
嘘をついた瞬間、胸が痛んだ。
ユースティスは何も言わなかった。
ただ、静かに私を見ている。
その視線が優しいから、余計に苦しい。
縁談のことを言えばいい。
モーティー・ギボンズのことも、バーネット家から除籍を申し出たことも、全部。
でも、言葉が出てこなかった。
だって、ユースティスは私を「一人の男として守りたい」と言ってくれた。
そんな人に、私は別の男との縁談を押しつけられているなんて、どうしても言いたくなかった。
「実家からの手紙のことか」
核心を突かれて、私は息を呑む。
「……断りの手紙は出したわ」
「そうか」
「ええ。王都には戻らないって。私はここで暮らすって。ちゃんと書いた」
「なら、それでいい」
ユースティスの声は穏やかだった。
「お前がそう決めたなら、俺はそれを支える」
その言葉に、喉の奥が熱くなる。
支える。
守る、ではなく。
決めるのは私で、その決断を支えると言ってくれる。
王都にいた頃、誰もそんなふうには言ってくれなかった。
私の人生は、家のため、殿下のため、王妃になるためにあるものだった。
私自身が何を望むかなんて、誰も聞かなかった。
「……ありがとう」
私は小さく言った。
「ユースティスは、優しいわね」
「そうか?」
「そうよ。すごく優しい」
そう言うと、ユースティスは少し困ったように視線を逸らした。
その仕草に、胸がまた小さく跳ねる。
昨日までとは違う。
もう、知らないふりはできない。
けれど、まだ言えなかった。
私もあなたを好きだと。
あなたの隣にいたいと。
言ってしまったら、今あるものが一気に形を変えてしまいそうで、怖かった。
「もう少ししたら、昼食にする。今日は根菜のスープと、塩漬け豚のソテーだ」
「……美味しそう」
「食べられそうか?」
「ええ。食べるわ。ちゃんと」
「ならいい」
ユースティスはそう言って、工房を出ていった。
その背中を見送りながら、私は温かいお茶を一口飲んだ。
薄荷の香りが、少しだけ胸の詰まりをほどいてくれる。
大丈夫。
私はここで暮らす。
ここで、私の錬金術を続ける。
そう決めたんだから。
◇◇◇◇◇
その日の夕方、雲雀館に一台の馬車がやってきた。
黒塗りではない。
けれど、王都貴族が使うような、やけに艶のある上等な馬車だった。
窓から見えた家紋に、私は目を細める。
ギボンズ家。
まさか。
玄関先へ出ると、馬車の扉が開いた。
降りてきたのは、明るい栗色の髪をきっちり撫でつけた、細身の男だった。
柔らかな笑み。
上質な外套。
そして、相手を値踏みするような目。
学園にいた頃と、何も変わっていない。
「お久しぶりです、アンジュ・バーネット嬢」
モーティー・ギボンズは、優雅に一礼した。
「いや、今は辺境の錬金術師とお呼びした方がよろしいかな?」
その瞬間、私の背筋がすっと冷えた。
彼は笑っている。
けれど、その笑みは少しも優しくなかった。
「お返事が待ちきれず、直接お迎えに上がりました。どうやら、こちらで随分と面白い錬金術をなさっているようですしね」
モーティーの視線が、私の背後にある雲雀館の工房へ向いた。
「結婚後は、その研究成果をぜひ王都で役立てましょう。あなたのレシピも、僕の研究室で管理すれば、もっと価値あるものになりますよ」
私は、無意識に拳を握りしめていた。
ああ。
この人は、私を迎えに来たんじゃない。
私の錬金術を、奪いに来たのだ。
(続く)
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