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【連載版・完結済】婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫&その娘の女児付き)  作者: シルク
一部 辺境村の悪役令嬢錬金術師と追放勇者家政夫

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35/51

35話 その後

 雲雀館に戻った頃には、日はとっぷりと暮れていた。


 玄関の扉を閉めた瞬間、私はようやく、息を吸い込めた気がした。

 礼拝堂からここまでの道中ずっと、心臓は鳴りっぱなしだったのだ。

 ココを取り戻せた。こうしてちゃんと雲雀館へ帰ってきた。頭ではわかっていたのに、屋敷の中へ足を踏み入れて初めて、その事実が少しだけ現実味を持った。


 ユースティスは黙ったまま、ココを抱いて使用人部屋に入っていく。

 私はその後ろをついていった。


 ココはもう泣いてはいなかった。けれど、ユースティスの肩に顔を押しつけたまま、片時も離れようとしない。

 礼拝堂を出てからずっとそうだった。


 使用人部屋に入ると、ユースティスはベッドの縁に腰を下ろし、ようやくそっとココを下ろした。

 けれど、ココはすぐに彼の服をきゅっと掴む。


「……パパ」

「いる。ここにいるぞ」


 その声は驚くほどやわらかかった。

 あんなに冷たい怒りをまとっていた男と、同じ人とは思えないくらいに。

 私は洗面器にぬるま湯を汲んで持ってきて、濡らした布をココの手にそっと当てた。

 少し汗ばんでいる。緊張していたんだろう。小さな手が、まだかすかに冷たい。


「ココ、お顔も拭こうね」

「……うん」


 いつもよりずっとおとなしい返事だった。

 私は胸の奥がじくりと痛むのを感じながら、額や頬をやさしく拭ってやる。


「怖かった?」


 そっと尋ねると、ココは少しだけ唇を震わせた。


「……こわかった。ママ、パパがくるよって。アンジュとはお別れだって。いやだよ。アンジュとお別れしたくない」


 私は一瞬、言葉を失った。


 ずっと一緒だった父親と引き離されて、一緒に暮らしていた私とはもうお別れだと言われる。

 それがどれだけ怖いかなんて、大人の私にだって想像できる。まして、ココはまだ幼いのだ。


「そっか……怖かったよね」


 私はベッドの縁に腰を下ろし、ココをそっと抱き寄せた。

 するとココは、躊躇なく私の胸に顔を埋めてくる。


「アンジュ……」

「うん」

「パパ、くるっておもってた」


 その一言に、思わず目の奥が熱くなった。


「……うん。来たでしょう?」

「うん……アンジュもきた」


 ユースティスが小さく息を吐く気配がした。

 見ると、彼はベッドの傍らで膝に肘をつき、指先を組んだまま俯いている。

 さっきまで一瞬たりとも隙を見せなかったのに、今はその肩から、ようやく少し力が抜けていた。


「ココ」


 彼が低く呼ぶ。


「もう大丈夫だ。お前を勝手に連れて行かせたりしない」

「うん……」

「約束する」


 ココはこくりと頷いて、ようやく少しだけ表情をゆるめた。

 私は胸を撫で下ろしながら、ベッド脇の小卓に置いてあった水差しからコップへ水を注いだ。

 ココに渡すと、小さな手で大事そうに持って、こくこくと飲む。


「えらい」

「……えらい?」

「ええ。ちゃんと待っててくれたもの」


 ココは少し考えるような顔をしたあと、ようやくほんの小さく笑った。

 その笑顔を見た瞬間、緊張が少しだけほどける。


「おなか、すいてる?」


 私が聞くと、ココはまた少し考えてから頷いた。


「ちょっとだけ」

「じゃあ、軽いスープを温めてくるわ」

「俺がやる」


 すぐにユースティスが言った。

 でも、私は首を振る。


「いい。あなたはココのそばにいて」


 ユースティスは何か言いたげだったけれど、結局何も言わなかった。

 ただ、ありがとうとも違う、どうしようもなく疲れたような目で私を見る。


 その視線を受け止めるだけで、胸がきゅっと苦しくなる。

 この人、どれだけ怖かったんだろう。どれだけ自分を責めているんだろう。

 でも今は、責めるより先に、少しずつ落ち着かせていくしかない。


◇◇◇◇◇


 台所で薄い野菜のスープを温め、柔らかくちぎった白パンを添えて部屋へ戻ると、ココはベッドの上で眠そうにしていた。

 でもユースティスの袖はしっかり掴んだままだ。


「ほら、少しだけ食べましょう」


 私は盆を置き、スプーンでスープをすくって口元へ運ぶ。

 ココは素直に飲んだ。温かなスープが喉を通っていくたび、ようやくこの子が家に戻ってきたのだという実感が、じわじわと満ちてくる。


「おいしい……」

「よかった」

「アンジュがつくったの?」

「温めただけよ」

「じゃあ、パパがつくったの?」


 私は吹き出しそうになる。

 こんな時でも、ココはちゃんとわかってる。


「そうね。たぶん、昨日の残りをね」


 ココは少しだけ得意そうに頷くと、パンも一口かじった。

 それだけ食べると、さすがに疲れが勝ったらしく、瞼がとろんと重くなっていく。


「ねむい……」

「眠っていいわよ」

「……ふたりとも、いる?」

「いる」


 ユースティスが即答する。


「いるわ」


 私も続けると、ココはようやく安心したように目を閉じた。

 少しして、寝息が聞こえ始める。

 部屋の中に静けさが落ちた。

 窓の外では、夜の虫の声がかすかに響いている。

 私はベッドの縁からそっと立ち上がった。

 けれどユースティスは動かない。椅子に座ったまま、眠ったココを見つめ続けていた。


「……何か飲まない?」


 小声で言うと、彼はしばらくしてからようやく頷いた。

 私たちは足音を忍ばせて部屋を出た。


◇◇◇◇◇


 ダイニングの魔法灯は、いつもより少しだけ明るく感じた。

 私は湯を沸かし、東方の緑茶を二人分淹れる。

 香ばしい香りが立ちのぼると、張りつめていた神経がようやく少しずつほどけていく気がした。

 カップを差し出すと、ユースティスは受け取ったまましばらく口をつけなかった。


「……悪かった」


 ぽつりと落ちた声に、私は顔を上げる。


「またそれ?」


「またでも何でもない。俺が迷ったからだ。最初からあいつらを村に入れなければ、宿に泊まらせなければ、ココは――」


「ユースティス」


 私は少し強めに遮った。


「それ以上は駄目」


 彼が目を上げる。

 驚いたようでもあり、叱られたようでもある顔だった。


「あなた、今日だけで何回自分を責めるの」

「だが」

「だが、じゃない」


 私は湯気の立つカップを両手で包んだ。


「あなたは迷った。でも、見捨てたわけじゃない。ちゃんと追いかけたし、ちゃんと取り戻した。ココだって、あなたが来てくれるって信じてた」


 ユースティスは黙っている。


 私は少し息を吸った。


「それに……私もいた」

「アンジュ」

「あなた一人で取り戻したんじゃないわ。私も一緒に行った。一緒に取り返した。だから、全部一人で背負わないで」


 その言葉を口にした瞬間、自分でも驚くくらい、胸の奥が真っ直ぐだった。

 怖かった。今もまだ、少し震えが残ってる。

 でも、それでも私はあの子を取り戻しに行った。ユースティスと一緒に。

 彼はしばらく何も言わなかった。

 やがて、ようやくカップを口元へ運ぶ。緑茶の香りがふっと広がる。


「……お前がいてくれてよかった」


 低い声。

 ぽつりと落ちただけなのに、心臓がどくんと鳴った。


「何度も、そう思った」


 私は返事ができなかった。

 できるわけがない。そんな声でそんなことを言われたら、胸の奥が全部熱くなってしまう。


 だから代わりに、カップを持つ手に少しだけ力を込めた。


「……私もよ」


 ようやくそれだけ言うと、ユースティスの目がわずかに揺れる。


「あなたがいたから、怖くても行けたの」

「アンジュ……」

「だから、おあいこ」


 無理やり笑ってみせると、ユースティスはようやく、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 口元に浮かんだのは、疲れ切った夜にしか見せない、小さな笑みだった。


 しばらく二人で黙ってお茶を飲んだ。

 緑茶の香ばしさが、夜の静けさにゆっくり溶けていく。


「……北方の件は、本当にまずいんだろうな」


 やがて、ユースティスが言った。


「たぶん、そうなんでしょうね」

「だが、あいつらとはもう無理だ」

「ええ」


 私は頷いた。

 そこに迷いはない。ココを利用した時点で、もう何かが決定的に壊れてしまったのだ。

 でも同時に、あのリゼットの言葉も頭に残っていた。

 被害は本当に出ている。放っておけば広がる、と。


「……戻る気はない」


 ユースティスは、はっきり言った。


「でも、見捨てるのも違う気がしてる」


 私はその横顔を見つめる。

 苦しいのだろうと思う。昔の仲間たちへの怒りと、今なお捨てきれない責任感の間で。

 けれど、彼がそう言ったことに、少しだけ安心もした。

 この人はやっぱり優しい。そして、その優しさを私は嫌いじゃない。


「じゃあ、別のやり方を考えましょう」


 ユースティスがこちらを見る。


「別のやり方?」

「勇者パーティーに戻るんじゃなくて、あなたと私で出来ることを」


 私は少し身を乗り出した。


竜級魔物ドラゴンクラスモンスターへの補助アイテムは、役に立つはず。あれで討伐できないなら、もっと別のアイテムを錬金してあの人達に渡せばいいわ」

「……お前は、本当に懲りないな」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


 そう返すと、ユースティスはふっと息を漏らした。笑ったのだ。ほんの少しだけれど、たしかに。

 その時、小さな足音がした。

 私たちは同時に顔を上げる。

 廊下に、眠たそうな顔をしたココが立っていた。片手には、いつも抱いて寝ている布兎を抱えている。


「……アンジュ、パパ」


 私は思わず立ち上がった。


「どうしたの、ココ」

「……いっしょにいて」


 その一言で、胸がきゅっとなる。

 ユースティスもすぐに椅子を引いた。


「もちろんだ」


 ココはほっとしたように目を細めて、それからとことこと階段を下りてきた。

 私はその小さな体を抱き上げる。あたたかい。ちゃんとここにいる。


 ユースティスがそばへ来て、ココの頭を撫でた。


「今日は三人で、居間で寝ましょうか」


 私がそう言うと、ココはうとうとしたまま嬉しそうに頷いた。

 ユースティスは少しだけ目を丸くして、それから静かに頷く。


「ああ。それがいい」


 こうして私たちは、居間へ毛布を運び込むことになった。

 晩夏の夜はまだ少し蒸すけれど、寄り添っていると不思議とちょうどよかった。

 ココを真ん中にして横になり、その小さな寝息を聞きながら、私は薄暗い天井を見上げる。

 今日、私たちは大切なものを取り戻した。

 そしてたぶん、もう後戻りもできなくなった。

 新勇者パーティーとの縁は切れた。

 でも、北方の脅威はまだ消えていない。どうなるか見守らないといけない。

 明日から、また考えなくてはいけないことがたくさんある。


 それでも今は、ココの温かさと、すぐ傍で静かに呼吸するユースティスの気配があるだけで十分だった。


「……ユースティス」


 小さく呼ぶと、闇の中で低い声が返る。


「なんだ」

「おやすみなさい」


 少し間があって、それから。


「……ああ。おやすみ、アンジュ」


 その声を聞いた瞬間、ようやく私は目を閉じることができた。


(続く)

次回で一部が最終話になります。


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いつもありがとうございます。

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