33話 異国の勇者達 その5
村の外れまで来たところで、私は足を止めた。
南口を抜けた先は、街道へと続く土の道だ。荷車や馬車の轍がいくつも重なっていて、そのままでは、ただ目で追うだけではどれが新勇者パーティーのものかわからない。
けれど、追跡香があれば話は別だ。
「ここで一度、痕を拾うわ」
私は外套の内ポケットから小さな紙包みを取り出した。
青い粉が、昼の光の下でかすかに銀色を帯びている。
ユースティスは私の横で周囲を警戒しながら、短く頷いた。
「頼む」
私は地面にしゃがみ込み、包みをひらいた。
風に散りやすい粉だ。呼吸を整えて、ココの花飾りの予備をそっと取り出す。今朝、私が髪に差してやったものと同じ布花。幼い髪に触れていた匂いと、微かな魔力の残滓がまだそこに宿っている。
「行き先を示して。ココのもとへ」
小さく呟いて、私は<追跡香>を花飾りにふりかけた。
青い粉は一瞬だけ、ふっと淡く発光して、それから風に乗るように宙へ舞い上がる。
細い煙みたいな青い筋が一本。
ゆらゆらと揺れながら、やがてためらいなく北東の街道方面へ流れていった。
「北東……」
私は息を呑んだ。
新勇者パーティーが北東へ向かったのは、本当だった。
しかも迷いなく、真っ直ぐ。
大街道のある南方面に向かったわけではない。大街道ではない街道を東方面に北上したのだろう。
攫ったココを連れて、そのまま被害の出ている地域へ向かうつもりなのだろうか。そんなこと、あんまりだ。
ユースティスの横顔が、ぐっと険しくなる。
「やはり、あいつら……」
その声の低さに、胸が痛んだ。
怒っている。もちろん怒っている。
でも、怒りだけじゃない。自分が迷っていたせいで動きが遅れたのではないか、そんな後悔まで抱えているのがわかる。
「ユースティス」
私が呼ぶと、彼は少しだけこちらを見た。
「追うわ。すぐに」
「ああ」
それだけ言ったあと、彼は再び前を向く。けれど、足を踏み出す前に、低く吐き出すように言った。
「……俺が迷ったからだ」
「え?」
「昨日、はっきり追い返していればよかった。宿に泊まるなどと言わせず、その場で村から出していれば」
私は一瞬、言葉に詰まった。
でもすぐに首を振る。
「違うわ」
「しかし……」
「違う。だって、あなたは被害の出ている地域のことを考えていたんでしょう。見捨てきれなかったんでしょう」
ユースティスは何も言わない。
私は一歩、彼の方へ近づいた。
「それは弱さじゃないわ。あなたが優しいからよ」
「優しさでココが攫われた」
その言葉は、ひどく苦しかった。
自分で自分を刺すみたいな言い方だったから。
「だったら、その優しさで取り返しに行けばいい」
思ったより強い声が出た。
ユースティスが少し目を見開く。
「今は悔やむより先でしょ。あなたは迷ったかもしれない。でも、ココを見捨ててなんかいない。こうして追いかけてるじゃない」
私は手の中の花飾りをぎゅっと握った。
「ココだって、きっと待ってる。パパが来てくれるって、信じてる」
しばらくの沈黙。
晩夏の風が、街道脇の草をざわざわと鳴らした。
やがてユースティスは、目を伏せて短く息を吐いた。
「……すまない。お前に励まされるとはな」
「ふふ。たまにはいいでしょう。いつも助けてもらってるんだから」
ようやく、彼の口元がほんの少しだけ緩んだ。
それだけで、胸の奥が少しほぐれる。
「行こう、アンジュ」
「ええ」
私たちは北へ向かって走り出した。
◇◇◇◇◇
街道はやがて、村を離れて森へ近づいていく。
両脇には、重たげな葉を茂らせた深い木々。昼だというのに、場所によっては陽射しが届かず、空気がひんやりしていた。
追跡香は、私が折々に風に流すたび、細い青の筋となって進むべき方向を示してくれる。
轍はまだ新しい。馬車はそれなりの速度で進んでいるようだけれど、途中で何度か止まった痕もあった。たぶん、ココの様子を見ている。そこが、今は逆にありがたい。
ユースティスは私の半歩前を走りながら、足元にも周囲にも油断なく視線を走らせている。
でも、その背中にいつもの余裕はなかった。
「無理はするな」
不意に、彼が言った。
「そっちこそ」
「俺は平気だ」
「そういうところよ」
思わず言い返すと、彼は少しだけ首を傾げた。
「そういうところって?」
「自分だけ平気だと思ってるところ。さっきからずっと、息も荒いのに」
ユースティスは黙った。
それが図星だったらしい。
私は少しだけ口元を緩める。
「大丈夫。私もついていける。だから、一人で抱え込まないで」
「……お前は本当に」
「なに?」
「強いな」
その言葉に、私は一瞬だけ足を止めそうになった。
強いなんて、自分で思ったことはない。ただ、今は立ち止まりたくないだけだ。だって、ココが待っているから。
「強くなんかないわ。怖いもの」
「なら、どうして来た」
私は前を向いたまま答える。
「ココが大事だからよ」
その一言を、ユースティスはしばらく黙って受け止めていた。
そしてとても低い声で言う。
「……ありがとう」
胸の奥が熱くなる。
こんな時なのに、そんな声で言わないでほしい。泣きそうになるから。
◇◇◇◇◇
半刻ほど走った頃だろうか。
追跡香の青い筋が、森の中へそれていくのが見えた。
街道脇に、古びた石畳の分岐路がある。今はもう使われていないらしく、草が半分ほど道を覆っていた。
「こっちだわ」
私は指をさす。
ユースティスは足を止め、周囲を見回した。
「旧礼拝堂へ続く道だな……」
「知ってるの?」
「ああ。ずっと昔に、もう使われなくなったと聞いた。今は旅人もほとんど通らない」
嫌な予感がした。
人目につかない場所。ココを連れたまま、しばらく身を隠すにはちょうどいい。
私はもう一度、追跡香を流した。
青い筋はまっすぐ、その分岐路の奥へ伸びていく。
「間違いない」
ユースティスは短く頷き、さらに歩調を速めた。
道は細く、両脇の木々が深くなる。
鳥の声すら少なくなっていく森の中で、私たちの足音だけがやけに大きく響いていた。
やがて、木立の切れ間から古びた石造りの建物が見えてきた。
屋根の半分が崩れた、礼拝堂跡。壁には蔦が絡み、窓は割れたままだ。けれど、前庭に馬車が一台停まっているのが見えた。
黒塗りの馬車。間違いない。
「いた……!」
私の声は、思ったより小さかった。
喉がからからに乾いている。
ユースティスが片手を上げ、私を制した。
「まだだ。音を立てるな」
私は頷き、息を潜める。
礼拝堂の奥から、かすかに声が聞こえる。
男の声。女の声。
そして――小さな、かすれた声。
「……アンジュ……」
ココだ。
その瞬間、全身の血が一気に熱くなった。
生きてる。ここにいる。怖がってる。
ユースティスの顔から表情が消える。
それは怒りを通り越した、ひどく冷たい静けさだった。
「ココは無事だ」
自分に言い聞かせるような声で、彼が呟く。
「ええ」
「ここからは急ぐ。アンジュ、俺が前へ出る。お前はココを見つけたら、何より先に保護しろ」
「わかった」
私は外套の内側から、小瓶と布包みを取り出した。
「眠り除けの薬、腐蝕塩、再生阻害の煙玉……全部あるわ。あと、昨夜作ったものも」
「昨夜?」
「竜級魔物討伐用の補助アイテム。もしあいつらが本当に、その魔物と戦う気なら……たぶん喉から手が出るほど欲しいはず」
ユースティスが一瞬だけこちらを見た。
その目に、驚きと、ほんの少しの苦い納得が混じる。
「交換材料にするつもりか」
「ええ。ココを傷つけるつもりはないって言うなら、なおさら取引の余地はあるでしょう」
「危険だ」
「でも、ただ斬り込めばココが怖がるわ」
私は唇を結ぶ。
「まずは取り返すのが先よ。戦いは、そのあとでもできる」
ユースティスはしばらく何も言わなかった。
やがて、深く息を吐く。
「……お前の言う通りだ」
私は布包みをしっかり握りなおした。
中には、小瓶に詰めた黒青色の液体と、封紙に包んだ灰銀色の粉末。それから、再生阻害の煙玉が二つ。どれも昨夜、眠れないまま作ったものだ。
「これで釣るわ。向こうが本当に竜級魔物に手を焼いているなら、絶対に無視できない」
礼拝堂の中から、今度ははっきりとエイドリアナの声が聞こえてきた。
「泣かないで。少し待てば、パパが来るわ」
その声音の優しさが、かえって気味悪かった。
私は胸の奥にふつふつと怒りが湧くのを感じる。
「……行きましょう」
「ああ」
私たちは木陰から一歩、礼拝堂の前へと出た。
崩れた扉の向こう、薄暗い内部に四人の姿が見える。
シドが立ち尽くし、クリストフは険しい顔で何かを言いかけていて、リゼットは壁際で腕を組んでいた。
そしてエイドリアナが、毛布をかけたココのそばに膝をついている。
ココの大きな目が、こちらを見開いた。
「パパ!アンジュ!」
私は喉が熱くなるのを感じた。
ユースティスが一歩前へ出る。
「ココを返せ」
礼拝堂の空気が、一気に凍りついた。
シドが息を呑み、エイドリアナはゆっくり立ち上がる。
青い目が、ユースティス、そして私へと向いた。
「来たのね」
「当たり前でしょう」
私の声は、自分でも驚くほど冷たかった。
そして私は、布包みを持ち上げる。
「まだ交渉の余地はあるかしら?」
四人の視線が、私の手元に集まった。
私は続ける。
「あなたたちが本当に相手にしているのが、再生能力を持つ竜級魔物なら。これが何かわかるはずよ」
包みをひらく。
小瓶の中で、黒青色の液体が鈍く光った。
「再生阻害の刃油。腐蝕塩。傷の閉じを遅らせる煙玉。全部、私が作った」
シドの目が変わる。
クリストフも息を呑んだ。
リゼットだけが、苦いものを見るような顔で私を見つめている。
私はココから目を離さずに言った。
「それと引き換えに、ココを返して」
礼拝堂の中が、しんと静まり返る。
エイドリアナがゆっくりと私を見る。
青い瞳は、少しだけ細められていた。
「本気なの?」
「ええ。本気よ」
「そんなものが、本当に役に立つ保証は?」
「あなたたちが今困っているなら、試す価値くらいはあるでしょう」
私の声は震えていなかった。
たぶん、ココの顔が見えているからだ。今は怖がっていても、ちゃんと無事で、手を伸ばせば届きそうな場所にいる。
「ココを返して。今すぐ」
ユースティスは何も言わなかった。
けれど、その沈黙の中に、私を止めないという意思がはっきりあった。
シドが一歩前に出る。
「エイドリアナ、もうやめろ」
「シド」
「ここまでだ。子どもを使って引きずり出すなんて、やり方が最悪だってことくらい、もう分かっただろ」
クリストフも静かに頷いた。
「ココ殿を返してください。これ以上は間違いです」
エイドリアナは、二人の言葉を聞いてもすぐには動かなかった。
ただ、ココの肩に置いた手をゆっくりと離し、まっすぐユースティスを見た。
「……あなたは、本当に来たわね」
「来るに決まっている」
「そう」
その一言には、満足と、悲しさと、どうしようもない歪みが混じっていた。
私は布包みを握りしめたまま、息を潜める。
ここから先、どう転ぶかわからない。
でも、ココはもうすぐ手の届くところにいる。
あと少し。
あと少しで、取り戻せる。
(続く)
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。感想などもお待ちしております。
いつもありがとうございます。




