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【連載版・完結済】婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫&その娘の女児付き)  作者: シルク
一部 辺境村の悪役令嬢錬金術師と追放勇者家政夫

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33/51

33話 異国の勇者達 その5

 村の外れまで来たところで、私は足を止めた。


 南口を抜けた先は、街道へと続く土の道だ。荷車や馬車の轍がいくつも重なっていて、そのままでは、ただ目で追うだけではどれが新勇者パーティーのものかわからない。

 けれど、追跡香があれば話は別だ。


「ここで一度、痕を拾うわ」


 私は外套の内ポケットから小さな紙包みを取り出した。

 青い粉が、昼の光の下でかすかに銀色を帯びている。


 ユースティスは私の横で周囲を警戒しながら、短く頷いた。


「頼む」


 私は地面にしゃがみ込み、包みをひらいた。

 風に散りやすい粉だ。呼吸を整えて、ココの花飾りの予備をそっと取り出す。今朝、私が髪に差してやったものと同じ布花。幼い髪に触れていた匂いと、微かな魔力の残滓がまだそこに宿っている。


「行き先を示して。ココのもとへ」


 小さく呟いて、私は<追跡香>を花飾りにふりかけた。

 青い粉は一瞬だけ、ふっと淡く発光して、それから風に乗るように宙へ舞い上がる。


 細い煙みたいな青い筋が一本。

 ゆらゆらと揺れながら、やがてためらいなく北東の街道方面へ流れていった。


「北東……」


 私は息を呑んだ。


 新勇者パーティーが北東へ向かったのは、本当だった。

 しかも迷いなく、真っ直ぐ。

 大街道のある南方面に向かったわけではない。大街道ではない街道を東方面に北上したのだろう。

 攫ったココを連れて、そのまま被害の出ている地域へ向かうつもりなのだろうか。そんなこと、あんまりだ。


 ユースティスの横顔が、ぐっと険しくなる。


「やはり、あいつら……」


 その声の低さに、胸が痛んだ。

 怒っている。もちろん怒っている。

 でも、怒りだけじゃない。自分が迷っていたせいで動きが遅れたのではないか、そんな後悔まで抱えているのがわかる。


「ユースティス」


 私が呼ぶと、彼は少しだけこちらを見た。


「追うわ。すぐに」

「ああ」


 それだけ言ったあと、彼は再び前を向く。けれど、足を踏み出す前に、低く吐き出すように言った。


「……俺が迷ったからだ」

「え?」

「昨日、はっきり追い返していればよかった。宿に泊まるなどと言わせず、その場で村から出していれば」


 私は一瞬、言葉に詰まった。

 でもすぐに首を振る。


「違うわ」

「しかし……」

「違う。だって、あなたは被害の出ている地域のことを考えていたんでしょう。見捨てきれなかったんでしょう」


 ユースティスは何も言わない。

 私は一歩、彼の方へ近づいた。


「それは弱さじゃないわ。あなたが優しいからよ」

「優しさでココが攫われた」


 その言葉は、ひどく苦しかった。

 自分で自分を刺すみたいな言い方だったから。


「だったら、その優しさで取り返しに行けばいい」


 思ったより強い声が出た。

 ユースティスが少し目を見開く。


「今は悔やむより先でしょ。あなたは迷ったかもしれない。でも、ココを見捨ててなんかいない。こうして追いかけてるじゃない」


 私は手の中の花飾りをぎゅっと握った。


「ココだって、きっと待ってる。パパが来てくれるって、信じてる」


 しばらくの沈黙。

 晩夏の風が、街道脇の草をざわざわと鳴らした。

 やがてユースティスは、目を伏せて短く息を吐いた。


「……すまない。お前に励まされるとはな」

「ふふ。たまにはいいでしょう。いつも助けてもらってるんだから」


 ようやく、彼の口元がほんの少しだけ緩んだ。

 それだけで、胸の奥が少しほぐれる。


「行こう、アンジュ」

「ええ」


 私たちは北へ向かって走り出した。


◇◇◇◇◇


 街道はやがて、村を離れて森へ近づいていく。

 両脇には、重たげな葉を茂らせた深い木々。昼だというのに、場所によっては陽射しが届かず、空気がひんやりしていた。

 追跡香は、私が折々に風に流すたび、細い青の筋となって進むべき方向を示してくれる。

 轍はまだ新しい。馬車はそれなりの速度で進んでいるようだけれど、途中で何度か止まった痕もあった。たぶん、ココの様子を見ている。そこが、今は逆にありがたい。

 ユースティスは私の半歩前を走りながら、足元にも周囲にも油断なく視線を走らせている。

 でも、その背中にいつもの余裕はなかった。


「無理はするな」


 不意に、彼が言った。


「そっちこそ」

「俺は平気だ」

「そういうところよ」


 思わず言い返すと、彼は少しだけ首を傾げた。


「そういうところって?」

「自分だけ平気だと思ってるところ。さっきからずっと、息も荒いのに」


 ユースティスは黙った。

 それが図星だったらしい。

 私は少しだけ口元を緩める。


「大丈夫。私もついていける。だから、一人で抱え込まないで」

「……お前は本当に」

「なに?」

「強いな」


 その言葉に、私は一瞬だけ足を止めそうになった。

 強いなんて、自分で思ったことはない。ただ、今は立ち止まりたくないだけだ。だって、ココが待っているから。


「強くなんかないわ。怖いもの」

「なら、どうして来た」


 私は前を向いたまま答える。


「ココが大事だからよ」


 その一言を、ユースティスはしばらく黙って受け止めていた。

 そしてとても低い声で言う。


「……ありがとう」


 胸の奥が熱くなる。

 こんな時なのに、そんな声で言わないでほしい。泣きそうになるから。


◇◇◇◇◇


 半刻ほど走った頃だろうか。

 追跡香の青い筋が、森の中へそれていくのが見えた。

 街道脇に、古びた石畳の分岐路がある。今はもう使われていないらしく、草が半分ほど道を覆っていた。


「こっちだわ」


 私は指をさす。

 ユースティスは足を止め、周囲を見回した。


「旧礼拝堂へ続く道だな……」

「知ってるの?」

「ああ。ずっと昔に、もう使われなくなったと聞いた。今は旅人もほとんど通らない」


 嫌な予感がした。

 人目につかない場所。ココを連れたまま、しばらく身を隠すにはちょうどいい。

 私はもう一度、追跡香を流した。

 青い筋はまっすぐ、その分岐路の奥へ伸びていく。


「間違いない」


 ユースティスは短く頷き、さらに歩調を速めた。

 道は細く、両脇の木々が深くなる。

 鳥の声すら少なくなっていく森の中で、私たちの足音だけがやけに大きく響いていた。

 やがて、木立の切れ間から古びた石造りの建物が見えてきた。

 屋根の半分が崩れた、礼拝堂跡。壁には蔦が絡み、窓は割れたままだ。けれど、前庭に馬車が一台停まっているのが見えた。

 黒塗りの馬車。間違いない。


「いた……!」


 私の声は、思ったより小さかった。

 喉がからからに乾いている。

 ユースティスが片手を上げ、私を制した。


「まだだ。音を立てるな」


 私は頷き、息を潜める。


 礼拝堂の奥から、かすかに声が聞こえる。

 男の声。女の声。

 そして――小さな、かすれた声。


「……アンジュ……」


 ココだ。

 その瞬間、全身の血が一気に熱くなった。

 生きてる。ここにいる。怖がってる。

 ユースティスの顔から表情が消える。

 それは怒りを通り越した、ひどく冷たい静けさだった。


「ココは無事だ」


 自分に言い聞かせるような声で、彼が呟く。


「ええ」


「ここからは急ぐ。アンジュ、俺が前へ出る。お前はココを見つけたら、何より先に保護しろ」

「わかった」


 私は外套の内側から、小瓶と布包みを取り出した。


「眠り除けの薬、腐蝕塩、再生阻害の煙玉……全部あるわ。あと、昨夜作ったものも」


「昨夜?」


竜級魔物ドラゴンクラスモンスター討伐用の補助アイテム。もしあいつらが本当に、その魔物と戦う気なら……たぶん喉から手が出るほど欲しいはず」


 ユースティスが一瞬だけこちらを見た。

 その目に、驚きと、ほんの少しの苦い納得が混じる。


「交換材料にするつもりか」

「ええ。ココを傷つけるつもりはないって言うなら、なおさら取引の余地はあるでしょう」

「危険だ」

「でも、ただ斬り込めばココが怖がるわ」


 私は唇を結ぶ。


「まずは取り返すのが先よ。戦いは、そのあとでもできる」


 ユースティスはしばらく何も言わなかった。

 やがて、深く息を吐く。


「……お前の言う通りだ」


 私は布包みをしっかり握りなおした。

 中には、小瓶に詰めた黒青色の液体と、封紙に包んだ灰銀色の粉末。それから、再生阻害の煙玉が二つ。どれも昨夜、眠れないまま作ったものだ。


「これで釣るわ。向こうが本当に竜級魔物ドラゴンクラスモンスターに手を焼いているなら、絶対に無視できない」


 礼拝堂の中から、今度ははっきりとエイドリアナの声が聞こえてきた。


「泣かないで。少し待てば、パパが来るわ」


 その声音の優しさが、かえって気味悪かった。

 私は胸の奥にふつふつと怒りが湧くのを感じる。


「……行きましょう」

「ああ」


 私たちは木陰から一歩、礼拝堂の前へと出た。

 崩れた扉の向こう、薄暗い内部に四人の姿が見える。

 シドが立ち尽くし、クリストフは険しい顔で何かを言いかけていて、リゼットは壁際で腕を組んでいた。

 そしてエイドリアナが、毛布をかけたココのそばに膝をついている。

 ココの大きな目が、こちらを見開いた。


「パパ!アンジュ!」


 私は喉が熱くなるのを感じた。

 ユースティスが一歩前へ出る。


「ココを返せ」


 礼拝堂の空気が、一気に凍りついた。

 シドが息を呑み、エイドリアナはゆっくり立ち上がる。

 青い目が、ユースティス、そして私へと向いた。


「来たのね」

「当たり前でしょう」


 私の声は、自分でも驚くほど冷たかった。

 そして私は、布包みを持ち上げる。


「まだ交渉の余地はあるかしら?」


 四人の視線が、私の手元に集まった。

 私は続ける。


「あなたたちが本当に相手にしているのが、再生能力を持つ竜級魔物ドラゴンクラスモンスターなら。これが何かわかるはずよ」


 包みをひらく。

 小瓶の中で、黒青色の液体が鈍く光った。


「再生阻害の刃油。腐蝕塩。傷の閉じを遅らせる煙玉。全部、私が作った」


 シドの目が変わる。

 クリストフも息を呑んだ。

 リゼットだけが、苦いものを見るような顔で私を見つめている。

 私はココから目を離さずに言った。


「それと引き換えに、ココを返して」


 礼拝堂の中が、しんと静まり返る。

 エイドリアナがゆっくりと私を見る。

 青い瞳は、少しだけ細められていた。


「本気なの?」

「ええ。本気よ」

「そんなものが、本当に役に立つ保証は?」

「あなたたちが今困っているなら、試す価値くらいはあるでしょう」


 私の声は震えていなかった。

 たぶん、ココの顔が見えているからだ。今は怖がっていても、ちゃんと無事で、手を伸ばせば届きそうな場所にいる。


「ココを返して。今すぐ」


 ユースティスは何も言わなかった。

 けれど、その沈黙の中に、私を止めないという意思がはっきりあった。

 シドが一歩前に出る。


「エイドリアナ、もうやめろ」

「シド」


「ここまでだ。子どもを使って引きずり出すなんて、やり方が最悪だってことくらい、もう分かっただろ」


 クリストフも静かに頷いた。


「ココ殿を返してください。これ以上は間違いです」


 エイドリアナは、二人の言葉を聞いてもすぐには動かなかった。

 ただ、ココの肩に置いた手をゆっくりと離し、まっすぐユースティスを見た。


「……あなたは、本当に来たわね」

「来るに決まっている」

「そう」


 その一言には、満足と、悲しさと、どうしようもない歪みが混じっていた。

 私は布包みを握りしめたまま、息を潜める。

 ここから先、どう転ぶかわからない。

 でも、ココはもうすぐ手の届くところにいる。

 あと少し。

 あと少しで、取り戻せる。


(続く)

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