31話 異国の勇者達 その3
晩夏の風が、百日紅の紅い花を揺らしていた。
庭先に落ちた花びらが、ゆっくりと石畳の上を転がっていく。
その穏やかな景色とは裏腹に、庭に満ちた空気はぴんと張りつめたままだった。
シド、エイドリアナ、クリストフ、リゼット――現勇者パーティーの四人は、それぞれに違う温度をまといながら、なおも庭先に立っている。
ユースティスは一歩も引かず、彼らを見据えていた。
「話し合うために来た。今日一日で答えを出せとは言わない」
シドが言った。
その言葉はまっすぐで、若さゆえの強さがあったけれど、どこか切羽詰まっている様子もみてとれた。
「……考えてくれ。あなたが必要なんだ」
ユースティスは、しばらく何も言わなかった。
晩夏の風がまた吹いて、花の枝がざわりと揺れる。
「戻るつもりはない」
低い声。
けれど、今度は先ほどのように会話を断ち切るだけの冷たさではなかった。
「だが、状況は聞いた。被害が出ているなら、知らん顔をするつもりもない。少し考える」
シドの顔が、ほんの少し明るくなる。
クリストフも安堵したように息をついた。
リゼットだけは、こちらを見たまま目を細め、まだ何かを量るような顔をしていた。
だがエイドリアナは、まだ納得していない様子だった。
青い瞳が、真っ直ぐユースティスを捉えたまま離れない。
「少し、では困るのよ」
「困るかどうかは、お前たちの都合だろう」
ユースティスの声音は変わらない。
けれど、私は近くに立っているからわかる。彼の中にも、迷いがないわけじゃない。
ただ、それ以上に、ここを守ろうとしている。
エイドリアナは唇を引き結び、それからふと視線をずらした。
「……ココは?」
私はぴくりと肩を揺らした。
ユースティスの顔が、わずかに険しくなる。
「会わせるつもりはない」
「どうして?」
「どうして、だと?」
「私は母親よ。彼女に会う権利があるわ」
その一言に、庭の空気がまた変わる。
権利。
たしかに、彼女はココの母親なのだろう。けれど、その言葉を口にした瞬間、私はひどく胸がざわついた。
会いたいから会う。寂しいから会う。そういうことではなく、何か別のものがにじんで聞こえたからだ。
ユースティスは、さらに一歩前へ出た。
「ない」
その短い一言に、エイドリアナの表情がわずかに歪む。
傷ついたようにも、怒ったようにも見えた。
「ココは今、穏やかに暮らしている。余計な波風を立てるな」
「余計……?」
「そうだ」
ユースティスの声は低く、揺るがなかった。
「お前たちが何を言おうと、ココを巻き込むつもりはない」
エイドリアナは何か言い返しかけたけれど、結局言葉を飲み込んだ。
代わりにシドが一歩引いて、わずかに肩を落とす。
「……わかった。今日は引く」
そして私たちを見渡し、少しだけ言いにくそうに言葉を継いだ。
「とりあえず、村の宿に泊まっている。気が変わったら来てくれ。明日でも、明後日でもいい」
リゼットが小さく鼻を鳴らした。
クリストフは律儀に一礼する。
エイドリアナだけが最後まで動かず、じっとユースティスを見つめていた。
「……私は諦めないわ」
その声は静かだった。
けれど、なぜだか背中がひやりとした。
四人は踵を返し、馬車へ戻っていく。
車輪がきしみ、馬が鼻を鳴らし、やがて音は村道の向こうへ遠ざかっていった。
完全に姿が見えなくなってから、私はようやく大きく息を吐いた。
「……びっくりした」
「すまない」
ユースティスがそう言う。
けれどその視線はまだ遠くを向いたままで、表情は固い。
「謝らないで。あなたが悪いわけじゃないでしょう」
「それでも、あいつらがここまで来たのは、俺の過去のせいだ」
私は答えに詰まった。
過去のせい、と言われたらそうなのかもしれない。けれど、その過去が今、私たちの暮らしに踏み込んできたのだと思うと、ひどく嫌な気分になった。
しばらく黙ったまま立っているユースティスの横顔を見る。
彼は今、何を考えているんだろう。
隣国のムルシア北方で被害が出ている。
新勇者パーティーでは倒せない魔物がいる。
そんな話を聞かされて、何も思わないはずがない。昔の仲間たちのことだって、全部がどうでもいいわけじゃないはずだ。
「……悩んでるの?」
そっと尋ねると、ユースティスは少しだけ目を伏せた。
「民に被害が出ていると聞かされて、平然としていられるほど、割り切れてはいない」
その答えが、いかにもユースティスらしくて、私は胸がちくりとした。
やっぱりこの人は優しいのだ。だからこそ、過去の人間たちは今さら彼を呼びに来る。
「でも、戻りたくはないのよね」
「ああ」
短い答え。
それでも、その一言には迷いがなかった。
「……ココを危険な場所へ連れて行くつもりはない。お前を置いていくのもな」
最後の一言があまりに自然に落ちてきて、私は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
わかった瞬間、頬が熱くなる。
「わ、私を置いていくのも、って……」
「今はそういう意味ではない」
「今は、ってなによ、今はって」
思わず変な返しをしてしまって、ユースティスはようやく少しだけ口元を緩めた。
でも、その笑みもすぐに消える。
「……少し考えたい。今夜は」
「ええ」
それ以上は聞かなかった。
聞けなかった、という方が正しいかもしれない。
彼がどんな答えを出すのか、怖かったから。
◇◇◇◇◇
その夜、私は地下工房にこもっていた。
錬金釜の前に立ち、古い錬金術書を広げる。
ページをめくる指先に、少しだけ力が入る。
「竜級魔物……再生能力持ち……」
新勇者たちの話が本当なら、普通の斬撃では仕留めきれない。
再生を阻害するもの、魔力の流れを断つもの、肉体の修復を遅らせるもの――そういう補助アイテムが必要なはずだ。
私は関連するページを何冊もめくっていった。
そして、ようやくいくつか使えそうなアイテムに関する記述を見つける。
<腐蝕塩>
<再生阻害の煙玉>
<浄化触媒を混ぜた傷塞ぎ止めの刃油>
「……作るだけ、作っておこう」
自分でも、何のためなのかははっきりしなかった。
ユースティスが本当に行くかどうかもわからない。
でも、何もしないまま待つなんて、私には無理だった。
もしかしたら、彼は魔物討伐に行ってしまうかもしれない。私を置いて。
その考えが胸をよぎった瞬間、錬金棒を握る手に力が入った。
行ってほしくない。
危険な場所へ戻ってほしくない。
そんなことを言う権利なんて、まだ私にはないのかもしれないけれど。
「……いやよ」
誰もいない工房で、私は小さく呟いた。
けれど、感傷に浸っている暇はない。
釜に蒸留水を注ぎ、粉末にした鉱石と薬草を入れて混ぜる。
青白い光が釜の縁から立ち上り、やがて深い藍色へと変わっていく。
夜更けまでかかって、私はいくつかの魔物討伐補助アイテムを作った。
どれも簡易なものだ。でも、ないよりはずっといい。
あとはこれが、使われないで済めば一番いいのだけれど。
◇◇◇◇◇
翌朝。
私は少し寝不足のまま、ダイニングへ下りた。
すると、朝食を終えたばかりらしいユースティスとココが、揃ってテーブルについていた。
ココは元気そうだ。
それだけで少しほっとする。
「おはよう、アンジュ!」
「おはよう、ココ。……二人とも早いのね」
「村長が来るんだって!」
ココが弾んだ声で教えてくれた。
その直後、玄関の呼び鈴が鳴る。
ユースティスが出ていくと、やってきたのは本当に村長だった。腰をさすりながらも、前よりずっと元気そうだ。
「おはようございます、アンジュお嬢様。今日はちょっと、ココのことでお話がありましてな」
「ココの?ああ、幼稚園の件?」
私は首をかしげた。
「ええ。今日は幼稚園で幼児を集めて歌を歌うらしく。ココも、一度見学に来てみてはどうかと」
私は思わずココを見る。
ココは目を丸くしたあと、すぐにきらきらし始めた。
「いきたい!ココ、いってみたい!」
そしてユースティスを見る。
「……パパ、だめ?」
ユースティスは少し黙った。
この前、ココをこの村にきちんと根づかせるかどうか、悩んでいたことを思い出す。
「とりあえず見学だけなら、いいだろう」
「やったあ!」
ココは椅子の上でぴょんぴょんと跳ねた。
私はその様子を見ながら、ふと昨日のことを思い出していた。
新勇者パーティー。ユースティスの迷い。エイドリアナの視線。
少しだけ不安がよぎったけれど、それをすぐに振り払う。
村の幼子預かり所にまで、あの人たちが踏み込んでくるなんて。そんなこと、あるはずない。……そう思いたかった。
「じゃあ、ココを送っていきましょうか」
「ああ」
◇◇◇◇◇
幼稚園は、村の中心から少し外れた、公民館に併設された小さな木造の建物だった。
庭には背の低い花が植えられ、木陰には小さな机と椅子が並べられている。中からは子どもたちの笑い声が聞こえてきた。
ダイナの娘ビビアナが、いち早くこちらに気づいて飛び出してくる。
「ココ!」
「ビビアナ!」
二人はきゃあきゃあ言いながら手を取り合った。
その姿を見て、私も自然と頬が緩む。
先生役の年配の女性が出てきて、にこやかに迎えてくれた。
「まあまあ、今日が見学の子だね。ココちゃん、いらっしゃい」
中では他の子どもたちが積み木をしたり、絵を描いたり、歌の真似事をしたりしている。
思ったより、ずっと穏やかで楽しそうな場所だった。
ユースティスもそれを見て、ほんの少し肩の力を抜いたようだった。
「……昼には迎えに来る」
「はいはい、わかっていますよ。心配しすぎです」
先生が笑う。
ユースティスは気まずそうに咳払いした。
私はしゃがんでココの髪を整えた。
「無理しないのよ。嫌だったら先生に言って、すぐ帰ってきてもいいんだからね」
「うん!でもココ、たのしそうだからだいじょうぶ!」
そう言って笑うココは、本当に嬉しそうだった。
私とユースティスは預かり所をあとにした。
昼には迎えに来る。たったそれだけのことなのに、ユースティスは何度も振り返ってしまっていて、少し可笑しかった。
「心配しすぎじゃない?」
「……そうかもしれない」
「でも、わかるわ。私もちょっとそわそわするもの」
そんなことを話しながら、私たちは村道をゆっくり戻っていった。
◇◇◇◇◇
昼前。
雲雀館で少しだけ作業をしてから、私たちはもう一度預かり所へ向かった。
けれど、建物の前に着いた瞬間、嫌な予感がした。
庭が妙に静かだったのだ。
さっきまで響いていた子どもたちの笑い声がない。
風だけが、ひゅうと建物の軒を撫でていく。
ユースティスが足を速める。
私も胸の奥がざわつくのを感じながら、その後を追った。
扉を開けると、先生が青ざめた顔で立ち上がった。
「ユ、ユースティスさん……アンジュさん……!」
「ココは」
低い声。
先生はわっと泣きそうな顔になった。
「すみません……!お昼前に、迎えが来たんです……!」
「迎え?」
「金髪の女性が、こ、ココちゃんのお母様だって……ココちゃんがママ!って叫んで飛びついていって……それで、その女性はココちゃんを連れて行ってしまって」
その瞬間、世界がひやりと冷えた気がした。
ユースティスの表情から、色が消える。
「どこへ行った」
「む、村の南口です……!馬車で……」
私は思わず息を呑んだ。
やられた。
あの女――エイドリアナ。
ユースティスはもう踵を返していた。
「アンジュ、来い!」
私は返事もそこそこに、スカートの裾をつかんで駆け出した。
心臓がうるさいほど鳴っている。頭の中は真っ白なのに、ひとつだけはっきりしていることがあった。
ココを、取り戻さなくちゃ。
(続く)
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