30話 異国の勇者達 その2
若い剣士が、ほんのわずかに眉をひそめた。
ユースティスの冷えきった声に気圧されたのか、それとも最初からこの再会が穏やかにはならないと知っていたのか。
だが、彼はすぐに胸を張り直した。
まっすぐで、どこか危うい若さのまま、一歩前へ出る。
「俺はシド・ラウル。ムルシア王国の勇者だ」
その言葉に、思わず息が止まった。
――勇者。
私は反射的に、その腰の剣へ目をやった。
鞘に収まっていてもわかる。あれはただの剣じゃない。ユースティスの長剣に似ている。見事な意匠が施された重々しい剣。ムルシアの聖剣……?
ならば、この一団は。
私の視線が、自然と残る三人へ流れる。
法衣姿の男は、私と目が合うと、ほんのわずかに会釈をした。仕草はきちんとしているのに、表情は固い。
長身の黒人女性は、まだ何も言わず、ただ鋭い目でこちらの出方を見ている。
そして金髪のエルフ――彼女だけは、相変わらずユースティスしか見ていなかった。
私はようやく、自分がとんでもない一団の前に立っているのだと理解した。
「ムルシアの……現勇者パーティー……」
私が小さく呟くと、法衣の男が一歩前に出た。
「クリストフと申します。ムルシア正教会の神殿に仕える僧侶です」
簡潔で、まるで儀礼の一部みたいな名乗りだった。
続いて、長身の女性が肩をすくめるように言う。
「リゼット。斥候だよ。私たちは、長話しに来たわけじゃない」
最後に、エルフの女が静かに口を開く。
「私はエイドリアナよ」
名だけ。
けれど、それで十分だった。
ユースティスの横顔が、ぴくりとも動かない。
けれど、その静けさがかえって怖かった。まるで剣を抜く寸前みたいに、研ぎ澄まされている。
最初に本題へ踏み込んだのはシドだった。
「単刀直入に言う。ユースティス、俺達の仲間に戻ってくれ」
庭の空気が、さらに張りつめた。
私は思わずユースティスを見上げた。
けれど彼は驚きも怒りも見せず、ただ低く言葉を返す。
「断る」
即答だった。
あまりにも早く、あまりにも迷いがなくて、むしろシドの方が一瞬言葉を失ったように見えた。
けれど彼はすぐに食い下がる。
「話を最後まで聞け。ムルシアの北方の旧砦跡で、封じられていた竜級魔物が目覚めた。再生力が高く、何度斬っても倒れない。俺たちも二度討伐に出たが、押し切れなかった」
「それで俺か」
「……そうだ」
シドは言いにくそうに応えた。
その青さの残る顔に、焦りと悔しさが一瞬浮かぶ。
「今の俺たちには、あなたの剣が必要だ」
ユースティスは答えない。
私は彼の沈黙を、ただ冷たい拒絶だと思った。けれど、そうじゃないのかもしれない。ほんの少しだけ、彼の肩の筋肉が強張っているのが見えたからだ。
クリストフが口を挟む。
「被害はすでに周辺の村々に出ています。このままでは、さらに広がるでしょう。あなたは一度、ムルシアを救った方だ。どうか、今一度――」
「俺はもう、勇者じゃない」
低く、言葉を切るようにユースティスが言った。
「聖剣は力を失った。パーティーからも離れた。今さら戻る理由はない」
「理由ならあるわ」
はじめて、エイドリアナの声が少し強くなった。
青い目が、まっすぐユースティスを射抜く。
「あなたがいなくなってから、前線はずっと不安定だった。あの時だって、あなたは一人で背負いすぎていたのに……それでも、あなたがいたから回っていたのよ」
その声音に、私はわずかに息を呑んだ。
責めているようでもあり、縋っているようでもある。単なる仲間への言葉じゃない。もっと長く、もっと複雑な時間がその中に沈んでいる気がした。
ユースティスの表情は変わらない。
「今さらだな」
ただ、それだけを言う。
シドが苛立ちを隠しきれず、一歩踏み込んだ。
「今さらでも何でもいい!倒せないんだよ、あの魔物は!俺たちだけじゃ足りない。あなたが必要なんだ!」
「必要、か」
ユースティスの口元が、ほんのわずかに歪んだ。
笑ったわけではない。冷たく、乾いた皮肉に近いものだった。
「都合のいい時だけ、そう言うな」
その一言に、シドが息を詰まらせる。
クリストフも口を閉ざし、リゼットは目を細めるだけだった。
エイドリアナだけが、なおもユースティスを見つめていた。
「それでも来てほしいの」
今度の声は、少しだけ低かった。
張りつめた誇りの下に、別の感情がのぞく。
「あなたでなければ駄目なのよ、ユースティス」
その言葉が落ちた瞬間、私は妙に胸の奥がざわつくのを感じた。
理由はわからない。けれど、今この場で交わされているものは、ただの復帰要請なんかじゃない。もっと古くて、もっと厄介で、私の知らない時間が絡みついている。
ふいに、ココのことが頭をよぎった。
今は居間にいるはずだ。
お絵かきの続きをして、たぶん、私たちの話なんて知らずに。
その、あまりにも穏やかな日常が、この一団の出現でぐらりと揺れた気がした。
そして次の瞬間、エイドリアナの視線が、ようやく私へ向いた。
冷たい青だった。
湖みたいに美しいのに、底が見えない。
「……あなたが、アンジュ?」
名前を呼ばれただけなのに、空気が変わる。
私は無意識に背筋を伸ばした。
「ええ。アンジュ・バーネットです」
エイドリアナは私を上から下まで静かに見た。
値踏みというほど露骨ではない。けれど、その一瞬だけで、相手がどんな人間か量ろうとしているのがわかる目だった。
「そう」
それだけ言って、彼女はまたユースティスへ顔を戻す。
でも私は、その短い一言の中に、はっきりした棘を感じてしまった。
――この人、私のことが嫌いだ。
理由なんて、まだ何もわからない。
それでも、その直感だけは妙に確かだった。
シドが深く息を吸い、もう一度言う。
「話し合うために来た。今日一日で答えを出せとは言わない。だが、せめて考えてくれ」
ユースティスはしばらく何も言わなかった。
晩夏の風が、百日紅の花を揺らす。赤い花びらがひとひら、庭に落ちる。
やがて彼は、冷えきった声で言った。
「考える必要もない。帰れ」
それは会話を断ち切る、明確な拒絶だった。
けれど四人の側も、それで引くつもりはなさそうだった。
私は立ち尽くしたまま、胸の奥のざわめきが静まらないのを感じていた。
この人たちは、きっと簡単に引き下がらない。
ユースティスの過去は、こんなにも簡単に、理不尽に、雲雀館の門を叩いてくるのだ。
(続く)
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