26話 来訪
夏が終わりに近づいた頃。
実家から手紙が届いた。
『そろそろ王都に戻ってきて良いと王室から許可が出た。今がチャンス。戻ってきて社交界に再度顔を出しなさい』
はあ、とため息を付いて私は手紙を破り捨てた。
冗談じゃない。
この住心地のよいスズ村での暮らしを捨ててあの息苦しい王都に戻る?ありえない。
「アンジュ。夕飯だぞ」
ユースティスが部屋の扉をノックした。
「はあい。今降りていきます」
私はウキウキとダイニングに降りていった。
今日の夕飯はスズ村産ポークのロースト。マンゴーソースがけ。
オーブンでじっくり焼いたスズ村産の豚肩肉に、フルーティーなマンゴーソースをかけたもの。一緒に焼いてある野菜はじゃがいも、マッシュルーム、黄パプリカ。マンゴーソースには香草もはいっているらしく、ハーブの良い香りが食欲をそそる。
添えてあるのはレタスと朝採れトマトとすりおろしたチーズのサラダ。
そして、スープはにんにくと卵のスープ。私が大好物の一品だ。
ハーブバターと黒パンも添えてある。
ああ、幸せ……。
私はさっそくスープを一口。にんにくの香りと、柔らかな溶き卵のなめらかな口触りが口いっぱいに広がる。出汁は豚の骨からとったのだろうか、しっかりとしたコクがある。
「美味しい。このスープだけでもいいってくらいしっかりした味ね」
「そう言わずローストポークも食べてくれ。良い豚肩ロースが手に入ったんだ。昼から、低温で三刻以上かけて焼き上げたんだ」
そう言ってユースティスは大きなローストポークから、真ん中の一番いいあたりを切り分けてくれた。
「んっ……柔らかい!美味しいわ」
ローストポークはとても柔らかく焼き上がっていて、ゼラチン質に変化した脂肪分と、ホロホロ崩れる肉身のバランスが最高に良い。
実家のシェフに食べさせてあげたいくらいだわ。
どうやったらこんなにとろけるように焼き上げることが出来るの……?
マンゴーソースも酸味と塩気のバランスが絶妙。
ポークの肉の臭みやくどさを消して、全体をフレッシュな味にまとめあげている。肉の合間につつく野菜もいい感じだ。
口が油っぽくなってきたらレタスとトマトのサラダを一口。
お口の中をリフレッシュ。
そして再びポークを切って一口。
じゅわっと油と肉の旨味が口の中いっぱいにひろがって、ソースが爽やかにそれをすくいあげていく……。
もう、天国にいるみたい……。
「もう、ほんとに今日のディナーは格別ね」
「おいしー!パパ、おいしーよ!」
「良かった。時間をかけて腕をふるったかいがある」
ユースティスは嬉しそうに言った。
こうして雲雀館の夜は静かに更けていったんだけど……。
その翌日。
村の広場がにわかに騒がしい。
私は朝食後、庭のポーチで読書をするのが日課だったんだけど、広場の方が騒がしいので読書の手を止め、雲雀館の門の横にそっと立って様子を見た。
門からは広場が少し見えるんだけど、なにやら村の人が集まっている様子。
それに見るからに高価な馬車が止まっている……。
あれは……王家の紋章!?
私はすーっと血の気が引くのを感じた。
あの馬車に付いている紋章は、サンドル王国王家のものだ。
クリストファーがいつも乗っていた馬車についていたものだ。
なんで王家の馬車がここに……!?
馬車から誰か降りてくる。
人混みの向こうに見える人影は……。
めまいがした。
『追放する!』
私にそう叫んだ男。
確かに、あれは、クリストファー・サンドル。
元婚約者。
私を王都から、王立錬金術学園から追放した、クリストファー・サンドル第一王位継承者に間違いなかった。
彼はいつも通りふんぞり返った態度で馬車を降りて、辺りを見回していた。
そして。こちらを見た。
目が合うか合わないのかのタイミングで。
私は雲雀館に駆け込んだ。
胸が早鐘を打つ。
私はドレスの上から心臓を抑えて、荒くなった息を整えた。
二階に駆け上がり、自室のベッドに飛び込んだ。
夢であって欲しい。
もう二度と会いたくない人。クリストファー。
私を妬み、憎しみを向け、最後には他の女を選び、公衆の面前で私を断罪し、捨てた人。愛していたわけではないけれど、あの件はそれなりに私にダメージを与えたのだ。
なぜスズの村に彼が……?
「アンジュ?どうした」
ドアがノックされた。
ユースティスだ。
「なんでもないの……もし来客が来たら、いないと言って」
「アンジュ……普通の様子ではないぞ。なにがあった。話してくれ」
「……なんでもないから!私はいないってことにして!」
コツコツ。
玄関のドアノッカーの音が二階まで響いてきた。
意識が遠のく。
ああ。まさかとは思っていたけど。
「アンジュ!アンジュ・バーネット!僕だ。クリストファーだ。この俺が直々に迎えに来てやったぞ!」
高慢で陰険な声が響いた。
間違いない。クリストファーだ……。
「アンジュ……。下に行くが、お前は留守ということにしておく。安心しろ」
ユースティスがドアから離れる気配がした。
ああ。
なぜ?
なぜ今更、クリストファーが私のもとにやってきたの?
◇◇◇◇◇
下の階で押し問答が続いている。
断片的に聞こえてくる声からすると、クリストファーは私の留守を全く信じていないようだった。
ユースティスが帰るように告げ、クリストファーが拒否する。
「アンジュを出せ!これはサンドル国王位継承者の僕の勅命だ。拒否するのか?」
陰湿で高圧的な物言い。全く変わっていない。
「何度でも言う。アンジュはここには来ない。お帰り願おうか」
「ほう……貴様。この僕に楯突くのか?いい度胸だ。サンドル国の王族に逆らうということは、この国を敵に回すということだ。それでもいいのか?」
「パパ……こわいよお」
「ふん。めざわりな子供だ。お前ら、その子供を外につれていけ」
「はっ」
「ココに触れるな!」
私は耐えきれずベッドを降りた。
そしてドアを開け、階段へと走った。
「クリストファー!いい加減にして!」
階段の下の玄関ホールには、見知った顔があった。
金髪の王子、クリストファー。
そしてお付きの騎士が数名。
「私はここにいるわ。居留守を使っていたのは悪かったわよ!ココに触れないで!下がって……下がりなさい!ここはバーネット家の邸宅!無礼は許しませんよ!」
私は騎士たちを睨みつけ、階段をゆっくりと降りていく。
ココはユースティスに抱きつき、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「ココ、お部屋に行って。大人だけの話があるから」
「アンジュ、アンジュ……こわいよお」
「ココ、大丈夫だ。部屋に行けるな?後でクッキーとミルクを持っていってやる」
ユースティスが、ココの蜂蜜色の髪の毛をなぜた。
ココは怯えた様子で、奥の部屋に引っ込んでいった。何度も振り返りながら。
「クリストファー。今更何の用?」
「つれないな。アンジュ。それが元婚約者に対する態度か?
――使用人に茶を入れさせろ。王都からの旅で疲れた。ゆっくり話したい。あちらがリビングだな?」
クリストファーは勝手にリビングのソファに向かい、上座にどっかり腰を落とした。
「……ユースティス。お茶を……」
「わかった」
私はユースティスにお茶を淹れるよう頼み、リビングへと向かった。そして、クリストファーの向かいに腰掛ける。
……ソファの上で、足を組んでふんぞり返ったクリストファー。相変わらずの態度だ。
お茶が出てくるまでの時間が永遠に思えた。
ユースティスがお茶を並べ、クッキーが乗った皿もテーブルに並んだ。
クリストファーはお茶を一口。カッと目を見開いて、驚嘆の言葉を口にした。
「旨いじゃないか。無骨な家政夫だが、お茶の淹れ方は上手いらしい」
「何の用なの?クリストファー。私を追放したのは、あなたよ。今更なんの用なの?」
私は震える声で言った。
ユースティスが私の後ろに立ってくれなかったら、その言葉を口にすることも出来なかっただろう。
「アンジュ。スズ村での活躍。王都にも聞こえてきているぞ。
――風邪薬の評判、濁った井戸水の浄化……その他にも色々。バーネット家の令嬢が錬金術師として、スズ村の生活を向上させているそうじゃないか。
スズ村は桃が名産の小さな村だが、サンドルからルドガンドへ向かう街道沿いの村の一つで、旅籠村としても機能している。旅人の間で噂になってね。王都にまでその評判が聞こえてきたってわけだ」
私の活躍が、王都にまで……。
「錬金術大国のサンドル王国としても、目覚ましい活躍をした錬金術師は表彰しないとなるまいな。それが王都を追放された悪女だとしても」
胸が跳ねた。
悪女。
そう。それが私の別名なのね。
「結構よ。私は王都を追放された後、落ち着いたこの村で、村の人達の暮らしを良くしたかっただけ。表彰なんて期待してないから。クリストファー殿下。もうお帰り下さい」
「おいおい、アンジュ。つれないじゃないか。俺達は元婚約者。もっとざっくばらんにいこうじゃないか」
「親の決めた婚約だったわ。それにあなたは異国の令嬢ミミを選んだ。もう総ては過去のことです」
「あー……それなんだが」
クリストファーは、ミミの名前を出すときまり悪そうに鼻の頭をかいた。
「彼女はいささか錬金術の適正に欠けていてな。それに、僕が言えたことではないが……どうも……こう。男癖が悪い……王妃になるのにふさわしいとはいえない……」
そ。それはそうでしょうね。
乙女ゲーム『悠久の恋~王立錬金術学園★恋のから騒ぎ~』の中には、攻略対象のイケメンキャラが十名はいる。クリストファーもその一人だけれど、学園の先輩に後輩、教師、道具屋や司祭まで、女主人公には次々とイケメン男性がモーションを掛けてきて、ヒロインは各男性との友好値をあげていくシステムになっている。
ゲームの通りなら、ミミの周りは誘惑だらけだろう。
それに、男性とのデートイベントを捨てて、相当勉強に打ち込まないと錬金術師エンドにはならない仕組みになっていたはず。
今のミミは、恋愛イベントに忙しくて、錬金術どころではないのだろう。
呆れた。
クリストファーは、ミミに見切りをつけて、田舎で実績を積んでいる私に目をつけたっていうの?
「そこでだ。アンジュ。君は名門バーネット家の令嬢。血筋には問題ないし……錬金術の腕は確かと来ている。ここで総てのことを水に流して、一度王都に帰らないか?」
クリストファーはキザな笑みを浮かべた。
「それが君のためだ。戻りたいだろう?大都会の王都へ。そして……王位継承者である僕の腕の中へ」
「お断りします」
私は、気持ちいいくらいはっきりと、そう口走っていた。
もう一度言った。
一言一言、はっきりと。
「殿下。今のお申し出、謹んで、お断り、申し上げます」
(続く)
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