15話 過去
ユースティスが氷室から出した<炭酸水>と、彼が作って瓶に詰めた桃のジャムで、桃の炭酸水を作ってくれた。
……美味しい。
ひんやり、しゅわしゅわした炭酸が、喉に心地良い。
いつの間にか暑い日が増えていた。
王都ほどではないにしても、初夏のスズ村も日中はしっかり暑い。
[涼やか]のエンチャントが付いた布地のワンピースを着ていても、歩けばじんわり汗ばむ。
冷えた桃の炭酸水は、太陽の熱と興奮で火照った体を冷やしてくれた。
ユースティスは、無言で桃を剥いている。
「桃を白ワインで煮て、コンポートを作ろう。保存も効くし、瓶は買い足した所だ。多めに作るか」
「うん……ありがとう」
私はカウンターの椅子に座り、静かに、台所に立つ彼の大きな背中を見つめていた。
優しい家政夫。――そして、強くたくましい剣聖。勇者と呼ばれた男。
その人が、今目の前で桃を剥いてくれている。
一歩引いて見れば、なんとも奇妙な気分だった。
なぜそんな人が、辺境の村で、ただの家政夫として暮らしているのだろう。
「ユースティスは……なんで、この村に留まったの?」
「気になるか……?そうだな。お前も自分のことを話してくれた。だから俺も話そう」
ユースティスは桃を剥きながら続けた。
「前にも少し話したと思うが、俺は孤児だ。
十五になる頃には傭兵として旅をしていた。
ある日、ムルシア王国の大神官のお告げで、ムルシアを守る勇者に任命された。そして、王より直々に聖剣を賜った。
そして、手練れの仲間ができた。ムルシアに影を落とす黒竜退治をして、実力も認められた。ムルシア王国を守る勇者として、あちこちで魔物退治に明け暮れた。
……そのうち、パーティーの仲間の女性と恋に落ちた。そしてココが生まれた。俺の命より大事な娘ができた。しかし、ココの子育てに熱を入れるうちに、聖剣の持つ力を発揮できなくなっていった。戦い中もココを守ることを優先して気もそぞろ、というのを聖剣に見抜かれたのかな――聖剣は力を失い、俺はただの剣士に成り下がった。その頃、新たなお告げにより、新たな勇者と聖剣が誕生したと伝えられた。パーティーの仲間は新しい勇者を迎え入れ、手のひらを返して俺を冷遇した。妻だった魔法使いの女性も――俺に背を向けた。古い聖剣を活かせぬ俺に居場所はなかった。俺は見捨てられるように仲間から離れ、妻とも袂を分かった。そしてココを連れて西へと旅した。サンドル王国を通過し、さらに西の海洋王国ルドガンドから、新大陸に行こうと考えていた。誰も俺を知らない場所に行きたかったんだ……。
だが、その旅の途中でココが風邪を引いて倒れた。この村の近くだった。ココが休める場所を求めて、この村を彷徨った。最初は宿屋に泊まった。薬屋で買った薬を飲ませて、ずっと宿にこもって看病していた。幸いなことに薬が効いてココは回復したんだが――その頃に路銀が尽きた。行く宛も金も無くした俺が、ココを抱えて広場で途方にくれていると、村長が声をかけてくれたんだ。仕事がないなら、雲雀館の管理人をやらないか、と。ずっと宿屋に泊まっていた俺達親子を気にかけてくれていたらしい。
そして、俺はいつか戻ってくるであろう持ち主のために、雲雀館の壊れた箇所を修理しながら、使用人室で暮らしはじめた。毎日掃除をして、布類も洗濯してな。庭の手入れをして、小さな家庭菜園も作ったりした。時々村の農作業を手伝い、気づいたらスズの村に溶け込んでいた。
ココもこの村の生活に慣れ、親子で穏やかな暮らしに馴染んでいった。
若い頃からずっと旅を続けていた俺にとっては、平和で、とても新鮮な毎日だった。
そして、そこにお前が現れた。
そして、剣士の俺を家政夫に雇いたいという――。面食らったが、それも悪くないと思って引き受けた。そして、今に至る、というわけだ」
話しながらユースティスの剥いた桃は、十数個。いつの間にか、大きなガラスボウルいっぱいになっていた。
私は、黙って彼の話を聞いていた。
そして、彼が話し終わると、様々な感情が駆け巡ってきた。
「……私ったら……剣聖と呼ばれた人を、家政夫にするなんて、何を考えていたんだろう……!ごめんなさい……」
「気にしないでくれ。俺は今の生活が好きだ。そして、剣聖だの勇者だのと呼ばれていたのは過去の話だ。聖剣は今やただの長剣。俺もただの剣士にすぎない」
「ねえ、もしルドガンドに向かうなら……新大陸で暮らしたいなら、行っていいのよ?これまでよく働いてくれたんだもの。契約のお金だけじゃなくて、新大陸に向かってしばらく暮らせるだけの報酬は払うわ」
ユースティスは手を止めた。
そして振り返った。
「俺は今のこの暮らしが好きなんだ。ココもそうだ。俺が邪魔か?」
真剣な眼差しでユースティスは私を見つめた。
少し、怒ったような様子だった。
「違う!邪魔じゃない……!ただ、私の世話で……旅を諦めないで欲しくて」
「今の俺の居場所はここだ。そして、アンジュ、お前に仕えている。その暮らしを続けたい。それではダメか」
彼の居場所……。ここが。この雲雀館が。
「ダメじゃない……わ。じゃあ、ここでこのまま暮らして。私に仕えて……私の居場所も、今はここだから……」
私は、頬が熱くなるのを感じた。
自分でもわからない。何言ってるんだろう?おかしなことは言ってないんだけど……なんだか、まるで。
ユースティスに、一緒に暮らして欲しいって言ってるみたいじゃない。実際そうだし、これまでもそうだったはずなのに――どうしてこんなに恥ずかしいの。耳まで熱くなってきた……。
「良かった。コンポートを作るぞ」
ユースティスは静かに笑った。
なんだか、彼もホッとしているように見える。
私はひたすら照れくさいのに……ユースティスは、なんてまっすぐ言葉を口にする人なの。
その時、コンコン、と玄関のドアノッカーの音がキッチンまで聞こえてきた。
「誰だろ?見てくるわ」
私は上気した頬に気付かれるのが嫌で、そそくさと玄関へと向かった。
(続く)
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