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妹が「お姉様の代わりは務まります」と言うので、婚約者も役目も譲りました。ですが務まらなかったようです【連載版】  作者: 本城オブリゲータ


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第二十九話 家は最後まで、便利な娘を手放したくないようです

 王妃不在の大使会議まで、あと六日。


 王家儀礼局の書記室は、今日も紙の音で満ちていた。



 会談卓の名札。


 大使夫人の迎え列。


 夜会の導線。


 王妃席を置かない代わりに、視線の中心をどこへ逃がすか。



 一つずつは小さい。


 でも、小さいからこそ一つでも外せば空気が歪む。


 私は朝から、会談卓の角度を何度も紙の上で引き直していた。



「リューネ補佐官」



 ロッテが、少しだけ言いにくそうな顔で近づいてきた。



「ご実家の方々が、王宮の外応接室で面会を求めておられます」



 私はペン先を止めた。


 やはり来たか、と思う。


 母の手紙へ返事をしなかった時点で、こうなるだろうとは分かっていた。


 ただ、今日か、とも思った。


 大使会議前のいちばん慌ただしい時を狙ってくるあたり、やはりあの家らしい。



「全員?」



「はい。ご両親と、妹君も」



 私は静かに息を吐いた。


 父、母、リネット。


 なら、たぶん話の中身もほとんど予想がつく。


 私のことを心配して来たのではない。


 《《いまの私の立場》》が家にどう使えるかを、確認しに来たのだ。



「取次簿は?」


「記録済みです。外応接室付き女官も同席可能です」


「ありがとう」



 私はペンを置いた。



「十分だけいただきます」



 立ち上がる。



「そのあとは、誰が来ても仕事優先で」


「承知しました」



 ロッテがきりりと頷く。


 こういう返事を、今の私はありがたいと思う。


 昔の私なら、家族が来たならそちらを優先して当然だと思っていたからだ。



 外応接室へ向かう途中、私は自分の手元を見た。


 持っているのは、家の帳面ではない。


 会談卓の配置案と、外取次の控えだ。


 それだけで、今の私がどちら側に立っているかは十分分かる。



 外応接室へ入ると、父も母もすでに立ち上がっていた。


 リネットは壁際に座っている。


 先日のように感情をむき出しにした顔ではなく、今日は妙に整った顔をしていた。


 嫌な予感がする。


 この子がそういう顔をするときは、だいたい《《何かを取り戻せる》》と思っているときだ。



「エルシェナ」



 母が、いかにも心配そうな顔で口を開いた。



「こんなに忙しいのに、ありがとう」


「ええ、本当に忙しいです」



 私は最初からそう返した。


 父の眉がわずかに寄る。


 でも気にしない。


 もう、そこを和らげて話を始める必要はないのだ。



「ご用件は」



 私が座る前にそう訊くと、父が一度だけ咳払いをした。


 嫌な予感しかしない前置きだった。



「王宮で、妙な噂が立っているそうだな」



 はい、来た、と思う。


 予想どおりだ。



「妙な噂とは」


「王妃不在の大使会議と夜会で、王弟殿下の近くにお前が立つとか、そういう話だ」



 私は何も言わず、父の顔を見た。


 母が扇を膝へ置き、すぐに話を継ぐ。



「もちろん、噂は噂でしょう。けれど、王宮の人間がそう見ているのなら、家としても準備が必要なの」


「準備?」


「ええ」



 母は少し身を乗り出した。



「あなたが王弟殿下に近い位置へ置かれるなら、リューネ家としても後ろ盾を見せなければなりません。だから――」



 私は次の言葉を、ほとんど正確に予想していた。



「リネットを、あなたのそばへ置いてあげてちょうだい」



 やはりそう来た。


 隣に座らせろ、よりまだましだろうか。


 でも本質は同じだ。


 私の得た位置を、また家のための足場にしたいだけなのだから。



「どういう意味でしょう」


「王宮の大きな席で、姉妹が不和では見苦しいでしょう?」



 母は言う。



「ですから、リネットをあなたの補佐役や付き添いとして出していただけないかと――」


「無理です」



 私は途中で切った。



 部屋が静まる。


 父の顔が険しくなり、母の唇が止まる。


 リネットだけが、信じられないものを見る目でこちらを見た。



「どうして」



 彼女が低く言う。



「補佐役って、そういう立場の人でしょう? お姉様だって最初は婚約者の補佐だったじゃない」



 その言葉に、私は少しだけ息を呑んだ。


 この子は本当に、最後までそこなのだ。


 補佐とは何か。


 役目とは何か。


 自分の頭ではなく誰かの後ろに立って手を出すとはどういうことか。


 それを一つも考えないまま、言葉の表面だけで自分を置こうとする。



「補佐役は、空いた席へ置く飾りではありません」



 私はできるだけ穏やかに言った。



「今の王家儀礼局で必要なのは、会談と夜会の順番を理解している人です。あなたをその場へ置く理由はありません」


「理由ならあるわ!」



 リネットが身を乗り出す。



「お姉様の家族ですもの!」


「それは仕事の理由にはならない」



 私がそう返すと、今度は父が怒気を混ぜて口を開いた。



「家族が支えることの何が悪い」


「支えるのであれば、止めるでしょう」



 父が黙る。


 母も同じだった。


 私は続ける。



「噂が立っているからこそ、家族が私へ近づくのは逆効果です。いま必要なのは、家の顔を差し込むことではなく、王宮の仕事を王宮の仕事として立てることです」


「お前は最近、本当に冷たいな」



 父のその一言に、私は少しだけ目を伏せた。


 昔なら、ここで少し揺れたのだろうと思う。


 でも今は違う。


 冷たいのではない。


 やっと線を引けるようになっただけだ。



「いいえ」



 私は顔を上げる。



「ようやく普通になっただけです」


「普通?」



 母が呆然と繰り返す。



「ええ」



 私は言った。



「家の都合で呼ばれたら戻ること。妹の立場を整えるために、自分の仕事へ家族を差し込むこと。それを今までの私は《《当然》》として引き受けてきました」



 一呼吸置く。



「でも、もうそれはしません」



 リネットの頬が赤くなる。


 怒りなのか、悔しさなのか、もう私にはあまり区別がつかなかった。



「お姉様ばっかり」



 彼女は、昔から変わらない言い方でそう言った。



「結局、お姉様ばっかり選ばれているじゃない」



 私はその言葉をしばらく聞いていた。


 前なら傷ついたのだろう。


 でも今は違う。


 少しだけ、哀れに思うだけだった。



「違うわ」



 私は静かに首を振る。



「私は、選ばれた席に座ったのではないの」



 机の上の帳面や札の感触を思い出す。


 王家儀礼局の木札。


 鍵。


 工程板。



「私は、そこで仕事をしてきたの」



 リネットが言葉を失う。


 母も、父も黙る。


 たぶんこの人たちは、まだ《《席》》と《《仕事》》の違いを本当の意味では分かっていないのだろう。



「先日の正式抗議を、忘れてはいないはずです」



 私は静かに言った。


 父の顔色が、そこで少し変わった。


 母の扇を握る手にも力が入る。



「王女殿下の婚約披露式典では、リューネ家名義の私的な干渉が記録に残りました。今回はまだ、私的な面会として外応接室で受けています」



 一拍置く。



「けれど、今後も家のために私の立場を使おうとするなら、そのときはもう家族の相談とは見なしません」


「どういう意味だ」



 父が低く問う。



「王家の儀礼と人事への私的介入として扱います」



 応接室が凍る。


 母の扇が、膝の上でかすかに鳴った。


 リネットでさえ、もう言い返せない顔をしている。



「今日は、その前に来ました」



 私は続けた。



「最後に《《家族として》》お断りするために」



 ここまで言うと、不思議なくらい静かだった。


 怒りはない。


 迷いもない。


 たぶん私は、やっと本当にこの家から離れたのだろう。



 そのとき、扉が軽く叩かれた。


 振り向くと、外応接室付きの女官が一礼している。



「リューネ補佐官」


「何ですか」


「王妃宮より急ぎの確認が」



 私は一瞬だけ目を閉じた。


 ちょうどよかったのかもしれない。


 これ以上ここへいる必要はもうない。



「分かりました」



 私は立ち上がる。



「話は終わりです」



 父が何か言いかけた。


 母も、リネットも。


 でも私は聞かなかった。


 十分だ。


 もう十分に、言うべきことは言った。



 扉の前で、私は一度だけ振り返る。



「私は、家の便利な娘ではありません」



 それだけ告げて、部屋を出た。



 回廊へ出ると、少しだけ足元が軽かった。


 痛みがないわけではない。


 でも、その痛みはもう《《戻る理由》》にはならない。



 王家儀礼局の書記室へ戻ると、机の上には新しい会談卓の配置案が置かれていた。


 エミルの書き込みがあり、ロッテの札位置修正が入っている。


 私がいないあいだも、ちゃんと動いていた形だ。


 それを見て、少しだけ笑う。



 昔の私なら、家に呼ばれた時点で、自分の予定を後ろへ下げていた。


 でも今は違う。


 私の仕事は、家の都合で畳まれるものではない。


 そう思えたことが、いちばん静かな決別だった。



「リューネ補佐官」



 ロッテが、少しだけ心配そうに声をかけてくる。



「大丈夫ですか」


「ええ」



 私は頷いた。



「大丈夫です」



 たぶん本当に。


 胸は少し痛む。


 でも、もうその痛みは私を家へ引き戻さない。



 私は自分の机へ戻り、会談卓の配置案へ目を落とした。


 大使会議まで、あと六日。


 夜会まで含めれば、まだやることは山ほどある。


 家の言葉で呼び戻されている時間はない。



「続けましょう」



 私がそう言うと、エミルもロッテも、すぐに札を手に取った。


 それでよかった。


 私が戻る場所は、もう家の応接間ではない。


 この机と、この紙束と、次へ渡せる仕事の中にある。

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