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妹が「お姉様の代わりは務まります」と言うので、婚約者も役目も譲りました。ですが務まらなかったようです【連載版】  作者: 本城オブリゲータ


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第十五話 王女殿下の婚約披露式典は、無事に終われば皆が最初から正しかった顔をします

 王女殿下の婚約披露式典の朝は、晴れていた。



 雲ひとつない青空だった。


 空の機嫌としては申し分ない。

 問題はいつだって、空より人のほうだ。



 私は夜明け前から大広間へ入っていた。


 花の配置。

 入場口の敷布。


 王女殿下の袖が引っかからないよう、階の縁に薄く蝋を引くこと。


 婚約相手側の家紋旗が、王家側の旗と高さを揃えているかどうか。


 どれも小さい。


 けれど、この小さいものの積み重ねだけが、式典を美しく見せる。



「北側の花台、半歩だけ下げてください」



 私が言うと、下働きの者がすぐに動いた。


 もう説明はほとんど要らない。

 ここ数日で、王家儀礼局の人たちは私の指示の仕方に慣れてくれたらしい。


 これは思った以上にありがたい変化だった。



 大広間の中央では、マルタ女官が最終の名札を並べている。


 壁際ではエミルが招待客の返書をもう一度確認し、クラウディア次席儀礼官は全体の時刻表を無言で見直していた。


 誰も無駄話をしない。

 でも、それぞれが自分の持ち場を知っている空気は、静かで心地よかった。



「問題は一つだけね」



 マルタ女官が、名札から顔を上げずに言った。



「婚約相手側のご母堂です」


「ええ」



 私は頷く。


 昨夜の()()()()()婿()()()()()()()発言は、言いがかりではない。

 面倒だが、理屈は分かる。


 だから真正面から否定するのではなく、《《そう見えない段取り》》を作る必要がある。



 私は大広間の中央へ視線を走らせた。


 王家側と婚約相手側を向かい合わせる形は、たしかに見方によっては片方が受け入れられる側に見える。


 席そのものは動かせない。

 動かせば、別の家が不満を持つ。


 なら変えるべきなのは、席の高さではなく()()だ。



「中央卓を少しだけ前へ」



 私が言うと、クラウディア次席儀礼官がすぐに顔を上げた。



「理由を」


「両家を向かい合わせる形を崩します」



 私は席次図を広げる。



「正面の軸を王女殿下と公子の二人に集中させるのではなく、《《婚約証と贈答卓》》に一度預ける。そうすれば、両家は互いを見合うのではなく、中央の儀式へ視線を向ける形になります」



 マルタ女官が小さく息をついた。



「なるほど。婿入りの印象が薄れる」


「ええ。それに」



 私は婚約相手側の母の席札を指で押さえた。



「入場順を少し変えます。ご母堂には、着席前に《《家門代表として婚約証を受け取る役》》へ立っていただく」



 エミルが目を丸くする。



「役目を先に与えるんですね」


「席より効きます」



 私は答えた。



「ご本人が欲しいのは上席ではなく、《《軽く扱われていない証拠》》ですから」



 クラウディア次席儀礼官がしばらく考え、それから短く頷いた。



「やりましょう」



 その一言だけで十分だった。


 私たちはすぐに動き出す。

 祝卓の位置を変え、入場順を書き換え、女官の導線を一つ増やし、婚約証の受け渡し位置を中央へ寄せる。


 席そのものは変えない。


 でも、座る前に《《立つ場所》》を与えることで意味を変える。

 社交はたいてい、そういうずらしで収まる。




 午前の半ば、婚約相手側のご母堂を控えの間へ迎えた。


 年齢のわりに背筋の伸びた、気位の高そうな人だ。

 昨夜の書状だけで十分にそれは分かっていたけれど、実際に対面するとやはり息苦しい種類の威圧感がある。



「席を変えないと伺いましたが」



 開口一番、それだった。

 少しもこちらを試すことを隠していない。



「はい」



 私は礼を崩さず答えた。



「席の高さは変えません」



 彼女の目が冷たくなる。


 でも私は続ける。



「代わりに、婚約証の受け取りを家門代表としてお願いしたく存じます。最初のご挨拶も、王妃殿下より先に北方支援への謝意として一言ございます」



 一拍。


 空気が止まる。

 そして、ご母堂の目の色が変わった。


 不満が消えたわけではない。

 でも、計算が始まった顔だ。



「それは、王妃殿下のお考えで?」


「式次第はすでにご確認済みです」



 嘘ではない。


 完全にこの順番を指示なさったのは王妃殿下ではないけれど、最終承認はいただいている。

 十分だ。



「……そう」



 彼女は扇を閉じた。



「なら、席はそのままで構いません」



 勝った、というより、収まった。

 社交では、その違いがとても大事だ。




 式典が始まるころには、大広間の空気はもう整っていた。


 王妃殿下が着座される。

 国王陛下も続く。


 使節団が入り、女官たちが定位置へつき、楽団が第一曲を奏で始める。

 園遊会のようなざわつきはない。


 それどころか、静かすぎるほど静かだった。


 上手くいく式典は、だいたいこういう顔をする。



 婚約相手側のご母堂は、予定どおり着席前に中央へ進み、婚約証の受け取りに立った。


 家門名が先に呼ばれ、王妃殿下からの謝意が添えられる。

 その瞬間だけで、彼女の背筋がさらに一段伸びたのが分かる。


 もう大丈夫だ。

 少なくとも、最初の火種は消えた。



 王女殿下が入場される。


 歩幅は少しだけ速い。

 でも、想定内だ。


 段差前の半拍。


 袖持ちの位置。


 すべて予定どおりに収まる。

 婚約相手の公子も、中央卓へ寄る角度をほんのわずか変えたことで、《《迎えられる》》のではなく《《並ぶ》》形に見えた。


 席を変えずに、見え方だけを変える。

 それが、今日の鍵だった。



 私は壁際から全体を見渡す。


 王女殿下の緊張。

 ご母堂の機嫌。


 北部公爵夫人の視線。

 外務卿の呼吸の乱れ。


 どれも完全ではない。


 でも、壊れてはいない。

 なら大丈夫だ。


 式典は最後まで立つ。



「祝卓の左、少しだけ」



 私は小声で女官へ告げる。


 贈答箱の紐が、ひとつだけ手前へ寄っていた。


 目立たない。

 でも、婚約証の前に乱れた紐が見えるのは良くない。


 そういう細部だけを、私は次々と直していく。


 誰にも気づかれなくていい。

 でも、気づかれないからこそ必要な仕事だった。



 やがて誓約文の読み上げが終わり、楽団が第二曲へ入る。


 王女殿下が少しだけ息を吐き、公子も表情をゆるめた。

 ここまでくれば、もう大崩れはしない。


 残るのは余韻と、誰が最初に《《最初からこうなるはずだった》》顔をするかだけだ。



 私は少しだけ笑いそうになる。


 大成功のあと、人はたいていそういう顔をする。

 前の園遊会で失敗した人たちも、次の式典が上手くいけば、まるで最初から自分たちが正しかったような顔をするのだろう。


 でも今日は、それでも構わないと思えた。

 今日だけは、ちゃんと名前が残る気がしたからだ。



 予感は当たった。


 式典の最後、王妃殿下が立ち上がり、短いお言葉を述べられたあとだった。

 ふいに、その視線が私のいる壁際へ向いたのだ。



「本日の諸手配は、王家儀礼局補佐官エルシェナ・リューネが整えてくれました」



 大広間が、一瞬だけ静まり返る。

 私の名前が、あの場へきちんと届いたのが分かった。


 婚約破棄された元令嬢でも。


 ヴェルナー家の元婚約者でもなく。

 王家儀礼局補佐官、エルシェナ・リューネ。


 その呼ばれ方だけで、胸の奥が熱くなる。



「よく働きました」



 王妃殿下はそれだけ付け加えた。


 たったそれだけ。

 でも十分だった。



 私はその場で深く礼を取る。


 立ち上がったとき、幾つもの視線がこちらへ向いていた。

 驚き、納得、面白がり、羨望。


 いろいろ混ざっている。

 でも、もう怖くない。


 見られることより、自分の名前で呼ばれることのほうがずっと大事だと知ってしまったからだ。



 式典が終わり、人が少しずつ引いていく。


 私はようやく壁際から一歩退いた。

 そのとき、すぐ隣で低い声がした。



「見事だった」



 レオンハルト殿下だった。


 今日一日、あの人はほとんど口を挟まなかった。

 必要な権限だけを渡し、あとは私に任せていた。


 それが今になって、少しだけ効いてくる。



「ありがとうございます」


「いや」



 彼は首を振る。



「感謝より先に、これは確認だ」


「確認?」


「あなたは、その席で通用する」



 それは褒め言葉より、ずっと強かった。


 通用する。

 その一言に、これまで積み上げてきたものが全部報われた気がした。



「……はい」



 ようやくそれだけ返すと、レオンハルト殿下の目がわずかに和らいだ。


 また、あの見えにくい笑い方だった。



 そのとき、少し離れたところでクラウディア次席儀礼官が足を止めた。


 こちらへ向かってくる。

 私は思わず背筋を伸ばした。


 この人は、認めるときほど言葉が少ない気がしていたからだ。



「リューネ補佐官」



 そう呼ばれて、私は少しだけ驚く。

 初めて、役職つきで呼ばれた。



「はい」


「式典、見事でした」



 彼女はそれだけ言った。

 それから一拍置いて、さらに続ける。



「明日、正式にお願いしたいことがあります」



 私は頷いた。


 たぶん、これが次の段階だ。

 疑われる側ではなく、任される側へ進む合図。



「承知しました」



 クラウディア次席儀礼官は小さく頷き、そのまま去っていく。


 それだけなのに、私は少しだけ息を詰めた。

 認められたのだ、と今さら実感が追いついてくる。



 大広間には、もう人がほとんど残っていなかった。


 王女殿下の笑い声が遠くで一度だけ聞こえて、すぐに消える。


 花は崩れていない。

 贈答箱も倒れていない。

 誰の扇も飛ばなかった。


 こうして何も起きないまま終わることが、実はどれほど大変なのかを、きっと今の私たちだけが知っている。



「エルシェナ」



 レオンハルト殿下が私の名を呼ぶ。



「はい」


「今夜はよく休め」


「はい」


「……そして、明日は少し話がある」



 私は少しだけ目を瞬いた。


 その言い方は、仕事の延長にも聞こえる。

 でも、それだけではない気もした。



「仕事の話ですか」



 私が訊くと、殿下はほんの少しだけ間を置いた。



「半分は」



 その答えで十分だった。


 私はそれ以上訊かなかった。

 今夜はもう、王女殿下の名前と、自分の名前が同じ大広間に響いたことだけで、十分に満たされていたからだ。



 祝福より順番のほうが壊れやすい。


 でも、順番さえ整えば、祝福はちゃんとその場へ降りる。


 今日はたぶん、それを一番よく証明できた日だった。



 そして私は、ようやく自分の机だけではなく、自分の名前もこの王宮に置き始めたのだと思う。

次話は明日の19:40投稿予定です。

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