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第34話 寺の小僧は、余計なものまで運ばされる

町へ戻る時は、町の顔をして帰ってこい。


おつねのその言葉は、店先を離れたあとも妙に耳へ残っていた。


武家の空気を吸うな、と言うのではない。寺の裏を嗅ぎ回るな、でもない。ただ、戻る時は戻れ、というのだ。それは町娘らしい言い方であり、同時におつねらしい言い方でもある。行くな、と縛るのではない。だが、帰る先を忘れるな、と釘を刺す。


「難しい娘じゃのう」


ひとりごちて、わしは城下の裏筋を歩いた。


昼を少し回った町は、朝とも夕とも違う疲れ方をしている。朝の威勢は引き、夕の投げやりさにはまだ早い。店の者は銭勘定を気にし始め、荷担ぎはもう一仕事あるかどうかを目で探り、女房衆は晩の支度までに何を片づけるかを考え始める。そういう刻である。


わしも本来なら、次の飯の種でも探すべきなのだろう。だが今日は、足が少しだけ寺の方を向いていた。


近ごろ、寺はどうにも忙しすぎる。


ありがたい顔をして米を数え、静かな足で薬種屋へ繋がり、村の水までどこか影を落としている。寺そのものが悪いと言い切るほどのものは、まだ何も掴んでおらぬ。だが、掴んでおらぬくせに、どうにも鼻が引っかかるのだ。


その寺の裏手に差しかかった時だった。


「おっととと……!」


情けない声が聞こえた。


見ると、小僧がひとり、腕いっぱいに荷を抱えてよろめいておる。年の頃は十にも届くまい。坊主頭はまだ真新しく、着ている小袖も寺の子らしい地味な色だが、裾はすでに土で汚れている。真面目に働いておるのだろう。だが、荷の持ち方が危なっかしい。


「おい」

と、わしは慌てて駆け寄った。

「落とすぞ」

「わっ、す、すまぬ!」


小僧の抱えていた包みがぐらりと揺れる。わしは咄嗟に手を伸ばし、下から支えた。包みは軽い。重いのではない。ただ、数が多くて片手がふさがり、足元がおろそかになっておったのだ。


「危ないのう」

「す、すまぬ……」


小僧は真っ赤な顔をした。


近くで見れば、だいぶ疲れておる。額に汗がにじみ、息も浅い。昼の寺の小僧など、掃除だの水運びだの、いくらでも仕事はあるだろう。そこへこんなふうに荷まで抱えさせられては、たまったものではあるまい。


「どこまで運ぶ」

と、わしは尋ねた。

「え、ええと……」

小僧は困ったように目を泳がせた。

「言うなと……」

「では、言わずともよい」

「……」

「持つだけ持とう」

「よいのか」

「見ておれぬ」

「変な男だな」

「近ごろよう言われる」


小僧はきょとんとしたあと、少しだけ笑った。


よい。こういう子は、まず笑わせておけば半分ほどほぐれる。もっとも、今朝の農村のように、笑わせても意味のない時もある。だが寺の小僧は、少なくともまだ子どもだ。これで少し肩の力が抜けるなら、それに越したことはない。


「どれ」

と、わしは包みを半分ほど取り上げた。

「軽いな」

「軽いけれど、数が多いのだ」

「なるほど」

「朝から走らされておる」

「それは難儀じゃ」

「難儀だ……」


その言い方が、妙に本気であった。


わしは思わず横目で見た。

「よほどか」

「よほどだ」

「寺の小僧は、皆こんなものではないのか」

「掃除や水汲みはいつものことだ」

「うむ」

「だが、近ごろはそれ以外が多い」

「それ以外?」

小僧はあたりを少し気にしてから、小声になった。

「運べ、走れ、急げ、黙れ、の連続だ」

「それは、だいぶ嫌じゃのう」

「うむ」

「何を運ばされておるかは」

「知らぬ」

「知らされぬか」

「知らされぬ」


本当に嫌そうな顔をする。


寺の小僧というのは、もっとこう、素直に「はい」とだけ動くものかと思うておった。だが、考えてみればそれも人である。わけも分からず走らされれば、嫌にもなるだろう。


「で、今日は何だ」

と、わしが聞く。

「包みだ」

「それは見れば分かる」

「そう言うな」

「すまぬ」

「薬種屋だの、町の紙屋だの、わけの分からぬところへ行かされる」

「……」

「この前は、茶屋の近くまで」

「ほう」

「今日は、また別の家だと言う」


わしは内心で少し身を固くした。


薬種屋。紙屋。茶屋の近く。


近ごろわしが武家屋敷の使いで走らされた筋と、だいぶ重なるではないか。


もちろん、城下の中で人や物が動けば、ある程度行き先は似通う。だから、それだけでどうこう決める気はない。だが、寺の小僧まで同じような筋を、しかも「知らされずに」走らされておるとなると、やはり気になる。


「坊主どもは忙しいのう」

と、わしは何でもないふうに言った。

小僧は鼻を鳴らした。

「ありがたい顔をして、皆忙しい」

「それは、だいぶよい言い方じゃ」

「よくない」

「いや、よい」

「兄さまも変だな」

「兄さま?」

「だって、おぬし、寺の者ではなかろう」

「違う」

「町の者か」

「半分」

「村の者か」

「半分」

「何だそれは」

「自分でもよう分からぬ」


そう言うと、小僧は少し笑った。


やはり、子どもだ。疲れておっても、こういう変な返しにはまだ素直に笑う。だが、その笑いも長くは続かなかった。


「急がぬといかん」

と、小僧。

「遅いと、また叱られる」

「寺の坊主にか」

「坊主にも、もっと上にも」

「もっと上?」

「……」

「おっと、今のは余計か」

「余計だ」

「すまぬ」


だが小僧は、わしが聞いたことそのものよりも、自分で口を滑らせたことに焦った顔をしていた。


もっと上。


寺の中の上の僧というだけではない気がした。あるいは、寺の外の、だが寺が顔を向ける先の“上”かもしれぬ。武家か、あるいは別の何かか。いずれにせよ、小僧のような子の口から自然と出る言葉ではない。


「で、今日はどこまで」

と、わしは話を軽く戻した。

小僧は少しほっとした顔をして、顎で前を示した。

「表ではなく、裏から抜ける」

「それも同じか」

「同じ?」

「いや、何でもない」

「変な男だ」

「それもよう言われる」


寺の裏の細道を二人で歩く。


包みは軽いが、小僧の足取りは重い。疲れだけではないのだろう。何を運ばされておるか分からず、誰へ渡すかも深くは知らされず、ただ急げとだけ言われるのは、気が滅入るものだ。


「寺の仕事は、皆そうなのか」

と、わしは聞いた。

「いや」

「違うか」

「昔はもっと単純だった」

「昔?」

「掃除、経、飯の支度、使い走り」

「それは単純か」

「今よりはましだ」

「今は」

「人の顔ばかり見ておる」

「顔?」

「うむ。誰が来た、誰が去った、誰へ渡した、何を言うた」

「……」

「米より、人の方が忙しい」


その言葉に、わしは思わず立ち止まりそうになった。


寺の帳面に、米や寄進だけでなく人の流れまで書かれておるのではないか、と少し前に思うたばかりだ。だが今、小僧はもっと生の形でそれを言うておる。寺は、米より先に人を数え始めている、と。


「よい坊主になれるぞ」

と、わしは半分冗談で言うてみた。

小僧はふくれた。

「なりとうない」

「おや」

「偉い坊主ほど、何を考えておるか分からぬ」

「それは、だいぶ危ない言い方じゃ」

「知るか」

「そういうところは子どもらしいのう」

「うるさい」


やがて、細道の先に小さな裏戸のある家が見えてきた。紙屋でも薬種屋でもない。どこにでもありそうな町家だ。だが、こういう“どこにでもありそうな顔”の家ほど、実はよく覚えておかねばならぬのだろう。


小僧は戸口の前で立ち止まる。

「ここだ」

「渡せばよいのか」

「うむ」


中から顔を出したのは、年かさの男であった。町人にも見えるが、指先が妙にきれいだ。紙や帳面を扱う者の手か、あるいは自分では重い荷を持たぬ者の手だろう。


小僧は何も言わず包みを渡し、男もまた何も言わず受け取る。礼もない。詫びもない。あるのは「来た」「渡した」「終わり」という、それだけの顔だ。


終わったのならそれでよい。だが、こういうやり取りを見ると、かえって何を運んでおるのかが気になる。


帰り道、小僧がぽつりと言った。

「兄さま」

「何じゃ」

「おぬし、また会うか」

「会うやもしれぬ」

「寺の近くにおるか」

「おる時もある」

「では」

小僧は少し躊躇してから言った。

「また荷を持ってくれ」

「おお」

「一人では、つまらぬ」

「それは荷の話か」

「……」

「では、叱られる話か」

「半分」

「残り半分は」

「話し相手だ」


その言い方が、妙に幼くて、わしは少しだけ笑った。


「よいとも」

と、わしは答える。

「ただし、飯の出ぬ寺なら考える」

「やはり腹か」

「大事なことじゃ」

「変な兄さまだ」

「近ごろ、皆がそう言う」


寺の裏へ戻る頃には、小僧の足取りも少し軽くなっていた。


別れ際、彼は抱えていた帳面を持ち直した。その拍子に、わしの目に紙端がちらりと入る。


見ようと思うたわけではない。だが見えてしまった。


そこには、見慣れ始めておる家印らしきものがあった。


武家屋敷の印に、似ている。


「……」


小僧はそれに気づかず、ぺこりと頭を下げて庫裏の方へ走っていった。


わしはその背を見送りながら、静かに息を吐く。


寺の小僧は、余計なものまで運ばされる。


しかも、その余計なものの中には、どうやら武家屋敷の気配まで混じっておるらしい。


町の顔をしておれ、とおつねは言うた。

近づきすぎるな、と猫目は言うた。

だが、こうして向こうから足元へ転がってくるものまで、見ぬふりするのは難しい。


「ほんに、やれやれじゃ」


そう呟きつつ、わしはまた町の方へ歩き出した。


まだ、用意されているプロットは終わっておりません。

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