↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妻が知らない男を連れて帰ってきたので、婿入りの日に用意した三通の離縁状を出すことにした  作者: とっとっととっとって


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/9

第6話 羊の紋の馬車

「家令を追い出したそうだな」


 応接間の椅子に座るなり、父は言った。

 挨拶もなかった。外套も脱がなかった。

 エーリヒ・ローデン。ローデン商会の主で、商人ギルドの評議員。俺の父だ。

 今日は、ひと月に一度の訪問日ではない。


「耳が早いですね」

「質問に答えろ」

「横領していました。三年分の修繕費を、二重に払わせていた。証拠もあります」

「証拠など、どうとでもなる」

 父は、苛立たしげに指で肘掛けを叩いた。

 トン、トン、トン。

 子どもの頃から聞き慣れた音だ。父がこの音を立てるとき、商談はたいてい、相手の負けで終わる。


「婿の分際で、伯爵家の家の者を勝手に処分するとは、何を考えている。ローデン家の名に傷がつく」

「誓約書に基づいた処分です。父上も、署名なさった誓約書ですよ」

「あんなものは、祝いの席の飾りだ」

 飾り。

 祖父が聞いたら、墓の下で寝返りを打つだろう。


    ◇


「それより」

 父は、身を乗り出した。

「お前の妻のことだ」

 来た、と思った。

「夜中に若い男を、屋敷に連れこんだそうじゃないか」


 俺は、黙って父の顔を見た。


「離縁しろ」

 父は、当然のことのように言った。

「妻の不貞は、立派な離縁の理由になる。婿が恥をかかされたのだ。ギルドも、王都の公証院も、お前の味方をする。慰謝料も取れる。伯爵家に注ぎこんだ持参金も、取り返せる」

「……」

「うちに戻ってこい。悪いようにはしない」


 算盤が、勝手に珠を弾いた。


 ――離縁すれば、持参金は戻る。慰謝料も取れる。伯爵家の名は失うが、ローデン家の損は小さい。


 うん。

 数字の上では、父の言うとおりだ。

 商人の息子なら、損と得で考えろ。

 父の教えどおりに考えれば、答えは一つしかない。


「考えておきます」

 俺はそう答えた。

 父は、ふん、と鼻を鳴らした。

「考えるまでもないことだ。来週、公証院の書記を寄こす。書類はこちらで用意しておく」

 そう言って立ち上がった。

 出された茶には、最後まで手をつけなかった。


    ◇


 父の馬車が門を出ていくのを、俺は窓から見送った。

 扉には、羊の紋。

 月の終わりの決まった日に、グスタフを迎えに来ていた馬車にも、同じ紋がついていたという。


 さて。

 ここで、一つ考えてみてほしい。


 妻が若い男を連れて帰ってきたのは、昨日の夜だ。

 雨の夜で、屋敷の外には誰もいなかった。

 知っているのは、屋敷の中の人間だけ。使用人たちは噂好きだが、まだ屋敷の外には出ていない。今朝、町へ買い出しに行った者もいない。

 それなのに、父は、もう知っていた。


 家令を追い出したことは、まあ、わかる。衛兵隊に届けを出したのだから、商人ギルドの評議員の耳に入ってもおかしくない。

 でも、若い男のことは?


 ――なぜ、もう知っているのだろう。


 屋敷の中から、父に知らせた人間がいる。

 それも、昨日の夜から今朝までのあいだに。

 グスタフは今朝、衛兵隊に連れていかれた。その前の晩なら、あの男は自由に動けた。


 算盤の珠が、一つ、また一つと、嫌な位置に並んでいく。

 俺は、それを見ないようにした。

 父の商会と取引のある家は多い。羊の紋の馬車なんて、王都じゅうを走っている。

 そう、自分に言い聞かせた。


    ◇


 客間の前を通りかかると、扉が少しだけ開いていた。

 中で、例の若い男が、窓辺に立っていた。

 俺に気づいて、慌てて頭を下げる。

「あの、すみません。さっきの、馬車は」

「ああ。俺の父だ」

 若い男の顔から、すっと血の気が引いた。

「ローデン商会の……」

「知っているのか」

「……いえ」

 若い男は、首を横に振った。

「羊の紋は、王都で、見たことがあるだけです」

 嘘をつくのが、下手な男だ。


 俺は、それ以上聞かなかった。

 聞けば、この男はもっと下手な嘘をつくだろう。

 その代わりに、一つだけ言った。

「この屋敷では、誰も君を殴らない。少なくとも、俺がいるあいだは」

 若い男は、しばらく俺を見ていた。

 それから、さっきより深く頭を下げた。


 ……と、言ったそばからである。

 翌日の昼、俺は自分の言葉を、早くも撤回しなければならなくなった。

 この屋敷には、もう一人、人を殴ることにまったくためらいのない人がいたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。