37話 最強の盾
鋼鉄国バルガの王都は、かつて大陸随一の工業力を誇ったその面影を、無残なまでにかき消されていた。
立ち並んでいた重厚な赤煉瓦の工場群は崩れ、誇り高き黒煙を吐き出していた巨大な煙突は、無慈悲な力にへし折られて地面に突き刺さっている。
最強の影が放った一撃――《次元断・零式》の余波は、物理的な破壊を超えた「概念的な断絶」を街に刻んでいた。大通りを真っ二つに引き裂く巨大な溝からは、どろりとした闇の余波が立ち上り、周囲の空間を侵食し続けている。かつての活気は消え失せ、残されたのは鉄錆の匂いと、行き場を失った兵士たちの絶望的な叫びだけだった。
アルトは、火花を散らす瓦礫の山を越え、ゆっくりと王城へ向けて歩を進めていた。
その歩みは静かだが、一歩ごとに足元の影が脈動し、周囲の光を吸い込んでいく。すると、崩れた外壁の影から二つの黒い流星が飛び出し、弧を描いてアルトの左右に降り立った。
「……戻ったか」
アルトが低く呟く。
現れたのは、周辺の捜索に当たっていた二体の影の分隊。彼らは主の前に片膝を突き、深々と頭を下げた。だが、再会を祝う余韻すらこの戦場には許されない。背後から、地響きのような軍靴の音が迫っていた。
「見つけたぞ! 異端のガキめ、ここで果てろ!」
バルガ軍の誇り、鋼鉄の重装騎兵団だ。
数百の精鋭たちが、蒸気機関特有の甲高い排気音を鳴らしながら、重厚な鋼鉄の鎧を軋ませて突撃してくる。その先頭を走る隊長格、Lv42を冠した重装騎士が、魔力を込めた巨大な戦槌を高く振り上げた。
「者共、出会え! たかが影法師に、我らバルガの誇りを汚させるなッ!」
巨塊が空を切り、空気が悲鳴を上げる。
だが、跪いていた二体の分隊影は、弾かれたように地を蹴った。その動きは合流前よりもさらに鋭く、物理的な質量を感じさせないほどに苛烈であった。
「キィィィィン!!」
鼓膜を突き刺すような鋭い金属音が響く。
重装騎士が振り下ろした戦槌は、分隊の一体が放った影の刃によって、まるで熱したナイフでバターを斬るかのように、一刀両断にされた。
「……な、に……!? 我が国の鋼を、紙のように……」
騎士が驚愕に目を見開く暇さえ与えず、影の切っ先が彼の喉元を貫いた。
本来、Lv22の分隊とLv42の騎士の間には、触れることすら叶わない絶望的なレベル差がある。しかし、この影たちは今、主であるアルトが抱く「世界への底知れぬ反逆心」と深く同期していた。
戦いの中で敵の魔力を霧散させ、それを自身の糧として吸い取る。一体を葬るごとに、影たちの輪郭はより濃く、より禍々しいまでに巨大化していく。
Lv22……Lv25……Lv28……!
「化け物め! 総員、展開せよ! 《鋼鉄の加護》!」
後方に控えていた数名の魔導騎士が杖を掲げ、光り輝く魔法障壁を展開した。半透明の鋼の壁が影たちを囲い込み、レベル差による「圧」でその動きを封じようとする。
物理的な拘束、精神的な重圧。それが影たちの足を止めるかに見えた。
しかし、分隊の一体が不気味に腰を落とし、印を組んだ。
影の手から放たれた漆黒の波動が、蛇のように地面を這い、騎士たちの足元の「影」に突き刺さった。
「なっ……足が、動かん!? 重い……影を地面に縫い付けられているというのか!」
術を発動させた騎士たちの顔から、一気に血の気が引く。
それは、かつて聖王都の魔導士バルタザールが最強の影を封じるために放った拘束魔法――それを戦いの中で「解析」し、影独自の権能として昇華させた新たな技、**《影釘の呪縛》**であった。
自由を奪われた騎士たちは、もはや鎧を着た肉塊に過ぎない。
分隊たちはその絶好の隙を逃さず、影の剣を旋風のごとく乱舞させた。
「影奥義・《千景連斬》!!」
数千の黒い線が大気を切り裂く。
一瞬。たった一瞬の交錯で、バルガの精鋭部隊は断末魔すら上げることなく、霧散する魔力の奔流へと還元された。その青白い光を全身に浴びた分隊たちの頭上には、ついにLv32という驚異的な数値が刻まれていた。
「……影もまた、僕の意志に応えて成長しているんだな」
アルトは、分隊たちが切り拓いた血と鉄の道――漆黒の液体と化した魔力の残滓が広がる道を、静かに歩んでいく。もはや兵士たちは近づくことすらできない。アルトから漏れ出す「死の圧力」に当てられ、武器を捨て、崩れ落ちる者さえいた。
やがて、アルトは城の最深部、黄金と鋼で彩られた謁見の間へと辿り着いた。
最強の影がその巨大な拳を振るうと、重厚な装飾が施された扉が、紙細工のように内側へと粉砕された。
噴煙を突き抜けて中へ入ると、そこには豪華な玉座に深く腰掛け、怒りに顔を歪ませるバルガ王の姿があった。そして彼を守るように、数人の騎士たちが殺気を放って立ち塞がっている。
「……よくも、よくも我が国をここまで汚してくれたな、Lv0の異端者よ」
王の傍らで、一際巨大な大剣を肩に担いだ男が一歩前に出た。
冷酷なまでの沈着さを湛えた眼差し。その頭上には、これまでの敵とは次元の違う、不吉な数値が輝いていた。
【バルガ国最強の盾・アイゼン】Lv87
彼の背後に控える精鋭部隊もまた、最低でもLv60。エリュシオンの国家階級には届かずとも、一国を支える最高戦力たちが一堂に会していた。
結界の加護を失ったこの広間で、彼らが放つレベルの重圧は、空気を物理的に押し潰し、呼吸することさえ困難なほどの密度を作り出している。
「陛下、ご安心を。神の加護なきゴミがどれほどの影を連れてこようと、我が剣に断てぬものなし。この場で塵へと変えて差し上げましょう」
アイゼンが大剣を両手で構え、Lv87の魔力を一気に全開放した。
「おおおおおッ!!」
凄まじい咆哮とともに放たれた魔圧によって、謁見の間の大理石の床が耐えきれずに粉々にひび割れる。アルトのフードが激しい風圧に煽られ、その端正な顔が露わになった。
アルトは怯むことなく、最強の影を自身の横へと並ばせた。
その瞳には、恐怖も迷いもない。ただ、冷徹なまでの決意が宿っている。
「レベル87……。以前出会ったカイル・ヴァン・ブライトさんよりも、ずっと高い数字だね。でも……」
アルトはアイゼンを、そしてその奥で震える王を静かに射貫くように見つめた。
「僕を人間だと認めない、君たちの世界のルールは壊させてもらうよ」
その言葉と同時に、最強の影が咆哮を上げた。
影の瞳が紅く妖しく燃え上がり、主の意志に応えるように、漆黒の鞘から《虚無の太刀》が抜かれる。
刃から溢れ出す圧倒的な闇が、広間の黄金の輝きを塗りつぶしていく。
「……行くぞ」
鋼鉄の国、その最期の審判が、今ここに幕を開けた。




